政治家や官僚などが判断の難しいことに常に直面している苦労は理解できる。
野党が何もできないのに非難だけをする姿は心底阿呆らしいと思う。
だとしても、与野党、官僚を問わず、言質を取られないように、曖昧に表現した言葉は、人の心を動かすことはない。だが、現実には、政治家も官僚も、言質を取られないことに腐心して言葉を選んでいる。そうした醜い姿勢を見せられ続けることに心底うんざりしてきた。
これは教育という国家百年の計にとっては、深刻な悲劇をもたらす。
なぜなら、信念に満ちた言葉や、言行一致の姿が、馬鹿馬鹿しいものとして嘲笑されるだけになってしまうからだ。正しいことをあざ笑う国の未来が明るいとは思えない。
日本はまだ、「由らしむべし知らしむべからず」(論語)という伝統を引きずっているのかもしれない。「人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることはむずかしい。転じて、為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない。」という意味だ。
それもそうかもしれないが、残念なことであり、悲しむべきことであり、悔しいことだ。
私に出来ることは、言葉の力を信念に満ちたものに高めていくことと、その言葉に釣り合う行動をすることだけだ。
言行一致を求める生き方を愚かだと言われることは、今の時代には仕方の無いことだ。愚かな狂人としてどこまで生きられるか試してみようと思う。
野党が何もできないのに非難だけをする姿は心底阿呆らしいと思う。
だとしても、与野党、官僚を問わず、言質を取られないように、曖昧に表現した言葉は、人の心を動かすことはない。だが、現実には、政治家も官僚も、言質を取られないことに腐心して言葉を選んでいる。そうした醜い姿勢を見せられ続けることに心底うんざりしてきた。
これは教育という国家百年の計にとっては、深刻な悲劇をもたらす。
なぜなら、信念に満ちた言葉や、言行一致の姿が、馬鹿馬鹿しいものとして嘲笑されるだけになってしまうからだ。正しいことをあざ笑う国の未来が明るいとは思えない。
日本はまだ、「由らしむべし知らしむべからず」(論語)という伝統を引きずっているのかもしれない。「人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることはむずかしい。転じて、為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない。」という意味だ。
それもそうかもしれないが、残念なことであり、悲しむべきことであり、悔しいことだ。
私に出来ることは、言葉の力を信念に満ちたものに高めていくことと、その言葉に釣り合う行動をすることだけだ。
言行一致を求める生き方を愚かだと言われることは、今の時代には仕方の無いことだ。愚かな狂人としてどこまで生きられるか試してみようと思う。