Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

真剣に

2018年12月18日 | Weblog
時として、真剣に誠実に
騙されることができる大人でありたいと思います。

子どもも若者たちも大人たちも、
大人の喜びそうなことを
レポートなどに書いておこうと
することがあります。

そんなときにこそ、
ど真剣に、真っ直ぐに、
私は答えていきたいと思います。

言葉の通りに、
真っ直ぐに反応していくだけ。

騙そうとしていたことが
恥ずかしくなるぐらいに、
真剣に真っ直ぐに返していくだけです。

騙されたとあざ笑うことが
赤面されるぐらいに、
しっかり騙されることが大切だと思います。



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2018年12月18日 | Weblog
「発動の機は周遊の益なり。」
(心が動くきっかけは、
 旅をすることで得られるものである。)

吉田松陰先生の言葉です。

やはり心が動いてこそ、
志を立て、何かをやろう!
ということになります。

旅は良きもの。
何かのきっかけが生まれます。

また、旅に出ようと思います。
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信頼

2018年12月17日 | Weblog
私が今日まで、
曲がりなりにもやって来られたのは、

目先の利益よりも「信頼」を
大切にしてきたからだと思います。

あの人なら時間に遅れない。
あの人なら誠実に努力してやってくれる。
あの人なら丁寧に仕事をしてくれる。
あの人なら求めた以上の答えを出してくれる。

その小さな積み重ねが
信頼を築いてきたのだと思います。

信頼とは、
結果に対するものでもあり、
プロセスに対するものでもあります。

時として出した結果が
いまひとつに終わったとしても、
多くの人がフォローして下さるのは、
その人のプロセスに対する
信頼があってこそだと思います。

だから謙虚に直向きに取り組む心と、
感謝の心を忘れてはいけないと思います。

それも信頼につながっているのだと思います。











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雑感

2018年12月16日 | Weblog
仕事であれ何であれ、
自分ができていないことに気づけない人は、
周囲が悪いと常に思う習慣ができあがっています。

そうならないために必要なことは、
自分が全てのものを背負うと決意し、
自分一人でやると決めることです。

そうすると、

自分は何ができているのか。
できていないのか。
どのように周囲に貢献できているのか。
できていないのか。
どれだけの人に
どのように助けてもらっているのか。
自分のやるべきことは何か。
その成果とは何か。

そうしたことが次第に見えてきます。

常にその意識を持たなければ、
自分が如何にできていないかが
見えなくなってしまうと思います。

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なりたくないもの

2018年12月15日 | Weblog
私は貧しくとも
卑しい人間にはなりたくないと思います。

また、

誰もが自分のことを卑しい人間だとは
思ってもいないだろうとも思います。

卑しさとは何でしょうか。

それは、

自分の目先の利益のことばかりを心配し、
大きな視点で物事の判断ができぬことだと思います。

自分の損得ばかりを気にして、
社会全体の利益とは何かを
広やかな視野で
考えられぬことだと思います。

若い頃にはなかなか
そういう発想には立てないものです。

しかし、修練をつまなければなりません。

あんパンを二つに割った時に、
咄嗟に大きい方を相手に差し出して、
ニコニコしていられる自分であろうと思います。





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「それなり」を超える

2018年12月15日 | Weblog
様々なハンバーガーショップや
ファミリーレストランが、
安くて「それなり」に美味しいものを
大量に作り、均一の味で出してくれます。

それはそれで素晴らしく価値のあることです。
ものすごい苦労を乗り越えて、
ビジネスを作り上げられたのだと思います。
私も含め多くの人の喜びが生み出されています。

そして、その発想は、
教育にも当てはめられています。

良きモデルがあれば、
何とかそれを同じようにマニュアル化して、
実施できないだろうかと。

それはある種の理想であると同時に、
幻想でもあります。

あるいは、
「それなり」で良しとできるか否か
という問題だと思います。

ビジネスマンと職人との違いかもしれません。

私は職人としての手仕事を貫こうと思います。
たいしたことはできていませんが、
それでも「それなり」にとどまりたくはありません。

ただ、良きチームを作って、
少しでも広げていく意志は持ち続けます。
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教育の姿

2018年12月15日 | Weblog
教育をイベントとしてやってく人、
世の中に広めていこうとする人がいます。

自らの実績を誇ることが、
教育だと思う人もいます。

前者は経済人の発想であり、
後者は教員の発想だと思います。

それはそれで良いのだと思います。
そこにその人たちの思いがあれば、
良き感化を受ける人もいると思います。

しかし、
私の教育はその方向には向かいません。

人格を陶冶し、
志を立てていくということは、
もっと泥臭いものだと思います。

大量生産できない手作りの教育を、
真剣にとことん突き詰めていくしかない。
そう思っています。

それは四書五経の精神や
松下村塾の教育を
少しでも理解していれば、
当然のことのように思えます。

命を削るような迫力を持たぬ教育は、
商売であっても教育ではないのです。

しかし、
それでも誰かの心に響いていけば、
それはそれで良いのだと思います。

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志は感謝と未来への責任

2018年12月15日 | Weblog
産経新聞解答乱麻に寄稿しました。
志の教育については、色々な角度から、
語っていきたいと思います。

 ↓ 

https://www.sankei.com/life/news/181213/lif1812130021-n1.html
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一瞬の中に

2018年12月13日 | Weblog
一瞬の中に、
その人の人生が詰まっています。

一瞬の表情、一瞬の仕草、一瞬の言葉。

そこにその人の価値観や感情が含まれています。

一切の誤魔化しはききません。

一瞬の中に人生があるのです。

一瞬にして、
その人の生きる姿勢の甘さが
読み取られてしまうのです。

ようやく私もそのことの恐ろしさに、
気がつく歳になってきたのかもしれません。

観念としてわかるのと、
実感としてわかるのでは、
天地の開きがあることにも
少しずつ気づけるようになってきました。

まだまだダメだなぁと思います。

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若者たち

2018年12月13日 | Weblog
若者たちに、

礼儀や立ち居振る舞いの大切さ。
自分の考えを持つことの大切さ。
本を読むことの大切さ。
志の大切さ。
様々なことを伝えたいと思います。

しかし、なかなかメッセージが
届かないこともあります。

それは、大人も子どもも同じです。

分かってくれる人は直ぐ分かるけれど、
聞く耳を持たない人には言葉は届かない。

今までの心の習慣という厚い壁がそこにあるからです。

問題は、それをどう乗り越えていくか。
どう突破していくかです。

人生の時を重ねてきた今だから言えることがあります。

若者たちがそれを知っていたら、
もっと道が開けるのにと思うことがあります。

それをただただ真剣に伝え続けていくだけです。
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