Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

なりたくないもの

2018年12月15日 | Weblog
私は貧しくとも
卑しい人間にはなりたくないと思います。

また、

誰もが自分のことを卑しい人間だとは
思ってもいないだろうとも思います。

卑しさとは何でしょうか。

それは、

自分の目先の利益のことばかりを心配し、
大きな視点で物事の判断ができぬことだと思います。

自分の損得ばかりを気にして、
社会全体の利益とは何かを
広やかな視野で
考えられぬことだと思います。

若い頃にはなかなか
そういう発想には立てないものです。

しかし、修練をつまなければなりません。

あんパンを二つに割った時に、
咄嗟に大きい方を相手に差し出して、
ニコニコしていられる自分であろうと思います。





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「それなり」を超える

2018年12月15日 | Weblog
様々なハンバーガーショップや
ファミリーレストランが、
安くて「それなり」に美味しいものを
大量に作り、均一の味で出してくれます。

それはそれで素晴らしく価値のあることです。
ものすごい苦労を乗り越えて、
ビジネスを作り上げられたのだと思います。
私も含め多くの人の喜びが生み出されています。

そして、その発想は、
教育にも当てはめられています。

良きモデルがあれば、
何とかそれを同じようにマニュアル化して、
実施できないだろうかと。

それはある種の理想であると同時に、
幻想でもあります。

あるいは、
「それなり」で良しとできるか否か
という問題だと思います。

ビジネスマンと職人との違いかもしれません。

私は職人としての手仕事を貫こうと思います。
たいしたことはできていませんが、
それでも「それなり」にとどまりたくはありません。

ただ、良きチームを作って、
少しでも広げていく意志は持ち続けます。
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教育の姿

2018年12月15日 | Weblog
教育をイベントとしてやってく人、
世の中に広めていこうとする人がいます。

自らの実績を誇ることが、
教育だと思う人もいます。

前者は経済人の発想であり、
後者は教員の発想だと思います。

それはそれで良いのだと思います。
そこにその人たちの思いがあれば、
良き感化を受ける人もいると思います。

しかし、
私の教育はその方向には向かいません。

人格を陶冶し、
志を立てていくということは、
もっと泥臭いものだと思います。

大量生産できない手作りの教育を、
真剣にとことん突き詰めていくしかない。
そう思っています。

それは四書五経の精神や
松下村塾の教育を
少しでも理解していれば、
当然のことのように思えます。

命を削るような迫力を持たぬ教育は、
商売であっても教育ではないのです。

しかし、
それでも誰かの心に響いていけば、
それはそれで良いのだと思います。

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志は感謝と未来への責任

2018年12月15日 | Weblog
産経新聞解答乱麻に寄稿しました。
志の教育については、色々な角度から、
語っていきたいと思います。

 ↓ 

https://www.sankei.com/life/news/181213/lif1812130021-n1.html
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