Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

政治の季節に

2017年10月21日 | Weblog
明日は講座で投票に行けないので、
期日前投票に行ってきました。

最近、思うことは、

政党や政治家の主張を知ることは
確かに大切なことです。

しかし、
もっと大切なことは、

それを本当に実現できる遂行能力が
あるかどうかを知ることだと思います。

言うだけなら子供でも言えます。
できなかった言い訳も同じです。

だから、
有権者にとって本当に大切なことは、

どの政党が、
一番美味そうな餅を描いたかを
ぼんやり眺めるのではなく、

それが絵に描いた餅なのか、
本当に食える餅なのかを
見分ける力を持つことなのではないかと思います。

美味そうに餅を描く力と、
現実に食える餅を作る力とは、
全く別物だと
思い知ることが大切なのだと思います。







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パワーが必要

2017年10月21日 | Weblog
人前で、一日とか、二日とか、
話をさせていただくためには、
話したいことが自分の中になければなりません。

また、一方通行で話すわけにも行きませんから、
キャッチボールできるように、
話の余力がなければなりません。

また、気迫をもって話さなければ、
大人数の聴衆に思いを届けることはできません。

ほとんど、一日、二日と立ちっぱなしで、
体力勝負でもあります。

その大変さは、
やってみなければわからないことです。

その充実感も、
やってみなければわからないことです。

だから、結局、
誰とも苦労を分かち合えないことになります。

そこに一抹のさみしさはあります。




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卵の生命

2017年10月19日 | Weblog
卵を永久に卵のまま保存しようとしても、

結局は腐らすだけである。

かといって、

急いで雛にしようとして殻をやぶっても、

雛にはならない。

生命とはそんなものである。

人間も、

人間の作った国家も

むろん同様である。

                 下村湖人126

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

教育をせずに放って置いてもいけないし、

教育の結果を性急に求めてもいけない。

相手は生身の人間だ。


問われているのは、

教育者や親の、

人間観や教育観なのである。


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一日の終わりに

2017年10月19日 | Weblog
今日も終日、企業研修でした。

一泊二日の研修。
一日の研修。
90分の講演。

講演・研修先も様々です。

色々な課題があります。
そして、
それぞれの思いがあります。

何か少しでもお役に立てるように、
いずれも周到な準備をして、
全身全霊で話そうと思っています。

しかし、それでも
後悔と反省の念に囚われます。

もっと高いパフォーマンスが
できたのではないかと。

そして、
一日が終わると、
どっと疲れが出ます。

だけど、次の瞬間には、
顔を上げている自分がいます。

明日のテーマに向けて、
嬉々として挑戦しようとしている自分がいます。

心から、
社会変革のために、
全力を尽くそうと思います。






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親の愛

2017年10月18日 | Weblog
子供を少しも束縛しない

親の愛などというものはあり得ない。

あってもそれは真の愛とはいえない。

しかし、だからといって、

子供をして束縛を束縛と感じせしめたら、

その愛は、多かれ少なかれ、

子供を虚偽に駆り立てずには置かないであろう。

親の愛ほど自然なものはないが、

親の愛ほどその表現に困難を感ずるものはない。


                     下村湖人86

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

親心の学び舎を受けて下さった皆様へ、

下村湖人の言葉をお贈りします。

本当に、どう伝えるか、どう表現するかが大切ですね。

そのことが問われていると思います。

実に深い言葉です。
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岡山から福岡へ

2017年10月18日 | Weblog
岡山の保育園で、
職員の皆様と、
そして、
保護者の皆様と
共に学ぶ時間を過ごさせていただきました。

お役に立てたかどうかはわかりませんが、
大切な時間、充実した時間でした。

帰路、
思ったことは、

自分自身が、
学んで学んで学び抜くしかない。

そうして少しでも力を付けられたら、
少しは何かを人に伝えられるかも知れない。

人様のお役に立てることができるかもしれない。

そんなことでした。

これから、
明日の企業研修に向けて、
準備を整えなければなりません。

また、明日の新しい出会いを楽しみに!
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慧眼

2017年10月14日 | Weblog
私は不満の無い人生を送りたいとは思わない。
私の望む人生は、
不満が平和を乱す原因とならず、
創造への動機となるような人生である。

私は苦悩のない世界に住みたいとは思わない。
私の住みたい世界は、
苦悩が絶望の原因とならず、
勇気への刺激となるような世界である。

                  下村湖人

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こんな言葉を紡ぎ出すことのできる人になりたい。

しかし、思索の浅さと、

物事の本質を見る目が甘すぎて、

とてもとても・・・。

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良き心を持つ

2017年10月13日 | Weblog
歪んだ心で利益を追っていれば、
必ずその歪みが自分に返ってくると思います。

それは、お金の面だけではなく、
健康面や、家族のこと、友人のことかもしれません。

どうしても心安らかではいられないので、
何らかの形で、
結局、大きなマイナスが生じてしまうのだと思います。

「言悖って出づるものは、また悖って入る。
貨悖って入る者は、また悖って出づ。」

とはよく言ったものです。
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育て方がダメだったんだと思う

2017年10月13日 | Weblog
三男を逮捕された、
タレントの清水アキラさんの言葉です。

どんな子育てであったか、
私は知る術もありませんが、

そう駄目でもないのだろうと私は思います。

なぜなら、
息子というものは、

父親が亡くなって、
初めて、父親の愛情や、考えていたことが、
少しずつわかってくるものだと思うからです。

私自身がそうでした。
できの悪い子供でした。

だから、
私も息子たちには、
わかってもらえていないだろうなと思います。

そして、私が死んだ後に、
少しずつわかってくれるのだろうと思っています。





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至誠天に通ず

2017年10月12日 | Weblog
至誠天に通ず。

この言葉を信じて生きていこうと思います。

きっと一時的には、

そう思えなくなる時期もあるのだと思います。

紆余曲折があるのだと思います。

しかし、死んだ後も含めて考えれば、

きっと、この言葉は正しいのだろうと思います。

そう信じます。
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