Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

倉敷探訪③

2012年03月02日 | Weblog
池田光政公は岡山藩主として藩政に敏腕をふるった人物です。
儒教を信奉し、陽明学者・熊沢蕃山を招聘しました。
さらに、寛文10年(1670年)には、
日本最古の庶民の学校として閑谷学校を開きました。

池田光政公は、八歳で家督を継いだため、
その重圧に夜も眠れなかったそうです。

しかし、「君子の儒」(孔孟の教えを奉ずる学者)として、
家臣・良民を教え導くことが大切だと言うことに気づき、
人としての道を学ぶ学問に打ち込むようになってからは、
くっすりと眠れるようになったそうです。

閑谷学校に行って見た、
光政公が筆で歌を書いた扇子には、
次のような一首が記されていました。


 心だに誠の道にかなひなば
 祈らずとても神や護らん


自分自身を磨くことを怠って、
いくら神仏に祈ったところで、
道が開けるはずはありません。

しかし、
人として真心を尽くし、
誠実に努め励んでいれば、
祈らなくても神仏のご加護はきっとあるだろう。

現代に生きる私たちにも通じる
不易の真理が詠み込まれた歌だと思います。



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倉敷探訪②

2012年03月02日 | Weblog
大原家の家訓として伝わる
「謙受の精神」というものがあると学びました。

大原孝四郎氏の父である壮平氏が、
漢学者の森田節斎に授かった
「謙受の記」によるものだそうです。

内容は次の通りです。

「とかく物事は一番になると慢心を起こして心がゆるみ、
 次には退歩していくものだ。
 どのような場合にも、わが社はいつも第一番に迫る、
 希望に満ちた二・三番の謙虚な気持ちと気迫をもって
 不断の努力を続けたい」

この精神が、二三のマークに込められているそうです。

一番にほど遠い私たちは、
全力で一番に迫り続ける気迫を持たなければならないと
意を新たにしました。

それにしても清々しいメッセージです。



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倉敷探訪①

2012年03月02日 | Weblog
バッカーズ寺子屋卒塾生合宿の下見に
倉敷に行っていました。

新たな発見、新たな学びが沢山あり、
素晴らしい時間となりました。

これを卒塾生たちにしっかりと伝えていこうと思います。

いくつもの心に残るできごとがありましたが、
やはり、大原家のフィロソフィの素晴らしさが印象に残りました。

例えば、

故大原總一郎氏が、
「倉紡従業員の教育に資する言葉を」
と棟方志功に求めたことがありました。

棟方志功が選んで書いた言葉は、

玉不琢不成器(玉琢かざれば器をなさず)
人不学不知道(人学ばざれば道を知らず)

というものでした。

中国の礼記・学記の言葉を選ぶところに、
教養の深さ、人間としての深さを追求していたことが感じられます。

棟方志功という版画家の精神も凄いと思いますが、

棟方志功に、社員の教育に資する言葉を求めた
大原總一郎という実業家の精神もまた凄いのだと思いました。


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