Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

学びの姿

2011年08月16日 | Weblog
シュリハンドクの話を読み返すたびに、
私は涙がでそうになります。

物覚えが悪かったシュリハンドクは、
自分の名前すらよく覚えられませんでした。

お釈迦様の説法を聞いてもよくわかっているのか、
わかっていないかもよくわからない。

ただ、お釈迦様のお話を聞いていると
心が温かくなるような気がして、
ただ、ただ、お話をじっと聞いていました。

お釈迦様は、そんなシュリハンドクに、
みんなが集まるその場を掃き清めるようお話になりました。
そして、「垢を流し、塵を除く」という一言だけを
シュリハンドクに授けられました。

それからシュリハンドクは、
一日中、箒を持って、その場を掃き清めました。

最初は掃除の要領も悪かったのですが、
だんだんと上手になっていき、
みんなは清々しい場で、
お釈迦様の説法を聞くことができるようになりました。

何年も何年も箒一本を手に、
シュリハンドクは懸命に掃除を続けました。

そのうちに、シュリハンドクは、
「垢を流し、塵を除く」ということは、
「自分の心の垢を流し、自分の心の塵を除くこと」だと悟りました。

この世の中の悪しきこと、苦しきこと、醜きことは、
すべて人間の心が生み出していることがわかったのです。

教育の場面においては、
何度も何度も、
根気強く伝えることが大切な場面があります。

一見、それが役に立つのかどうか、
端から見てわからないこともあります。

しかし、私は、その人が、
心に響く何かを感じ取ることができているのであれば、
人は必ず成長していくと思います。

時間がかかることもあります。

だから、信じて待つこと。
信じて待つ苦しさに打ち勝つことが
教育に携わる者にとっては、
とても大切な事なのだと思います。









コメント
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