Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

ちりめんじゃこの記憶

2022年09月26日 | Weblog

スーパーで買ってきたちりめんじゃこを食べていて、

ふと、「あぁ、子どもの頃も食べていたなぁ」と思い出しました。

子どもの頃の食の記憶というものは、

それほどまでに残るものなのかと思いました。

何十年も記憶の表層に出てくることが無かったものが、

なぜか今日の夜、ひょっこり出て来たのです。

私たちは、その場で子どもにわからせることを

教育だと勘違いしているのではないかと思います。

そうではなく、何の見返りも求めずに、添加物の無い、自然で新鮮な食を与えられていたことも、実は大きな教育だったのです。

そして、それは何十年か後にしか、思い出されないようなものかもしれません。

しかし、それはしっかりとその人間の一部になって残っているし、次の世代へと伝えていくことができるものなのです。

これほど大きな教育はないと私は思います。

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我が道を行く

2022年09月26日 | Weblog

当たり障りのないことを言ったり、やっていた方が、その場はうまくいくのだろうと思います。

確かに当たり障りのないことを言っていた方が、多くの人に受け入れてもらうことができますし、反対して足を引っ張る人も出て来ないと思います。

しかし、信念のないところに、教育の発展も、世の中の進歩もないのだろうと思います。

「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」

と詠んだ、吉田松陰先生の境地には、遠く及びませんが、やはり、妥協をしてはいけないと思います。

心を尽くして、角が立たぬように心を配りつつも、言うべきことは言わなければならないと思います。

ただ、それ以上に、私はやるべきことを黙ってやり続けていようと思います。

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で?

2022年09月26日 | Weblog

最近、色々な人のコメントを読んでいて思うこと。

「その通りですね。で、どうするの?」

分析や論評は的確でも、そこから先がないのが気になる私です。

「で、どうするの?」

今日も、この言葉を胸に突きつけながら、一歩一歩前進します。

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弔問外交

2022年09月26日 | Weblog

「弔問外交」という言葉が飛び交っている。

実に下品な言葉だと思う。

行うのは、あくまでも弔問であるべきだと私は思う。

結果として外交が行われることがあるのは勿論良いと思う。

多くの人が集まれば、そうした形が生まれることはよくわかる。

だが、はじめから「弔問外交」などと言っている人間に、

死者に対して心からの哀悼の誠を捧げる気持ちなどあろうはずがない。

下品だし、卑しい気持ちが透けて見える。

行うのはあくまでも「弔問」であるべきではないのか。

いつから私たちはそんな物言いしかできなくなったのだろうか。

もはや止められないことかもしれないが、

少なくとも私はそうした物言いはすまいと思う。

 

 

 

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