Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

聴く力

2018年10月20日 | Weblog
 「聴く」力をもっと磨くことができたら、それだけで私は日本の大きな教育改革になると思います。小中高の授業を通して、本当の意味で「聴く」という姿勢が、あまり育てられていないことを感じるからです。聴くことがおろそかになっている理由として、三つのことが考えられます。

 一つ目には、テレビやスマホから流れてくる情報を漫然と受け取ることに終始していて、情報に対する受け身の姿勢が育まれていることです。テレビもスマホも、その中で話している人も、聞いていないことで怒り出したりはしません。聞こうが聞くまいが知ったことではないのです。また、聞き手は聞き流すこともできますし、聞きたくなければスイッチをオフにすることもできます。聞き手は、相手の情報を遮断するところで主体性を発揮するのです。こうした中では、生身の話し手に対する聞く姿勢など育まれようがありません。

 二つ目に、学校の授業では、「正解のある勉強」ばかりしてきたということです。答えが一つであれば、家に帰って教科書や問題集や参考書で学ぶこともできますし、学習塾に行って学校以上に丁寧な説明を受けて理解することもできます。つまり、後からいくらでも学び直しがきくので、授業中に真剣に聞いていなくてもかまわないのです。また、聞いて学んだことの確認は、「記憶の正確さ」を問われるテストがほとんどで、話を聴いた後に、「自分で感じたこと、気づいたこと、考えたこと」を言語化することなどは求められません。こうしたことが日々繰り返されているから、その場で緊張感を持って真剣に聴くという態度が育まれないまま大人になっているのだと感じます。ちなみに、学校での聞き方の指導は、「先生の顔を見て。手は膝の上に置いて。」という二つに終始していることが多いようです。お地蔵さんのように黙って先生の話を畏まって聞いている状態を往々にして先生方は良しとしています。しかし、聴くことの目的は、本来、その話を元に考え、議論し、より高次のアウトプットを生み出していくことのはずです。「意見が言えるように、考えて聴く姿勢」を身につけること、つまり、「攻撃的に聴く姿勢」を身につけることこそ大切なのだと私は思います。

 三つ目に、「話すこと」を訓練されないから「聴くこと」が身につかないのだと思います。話の聴き方の重要性は、実は、何度も話す側に立ってみて初めてわかるものです。聞き手がどれほど話し手に影響を与えているかは、話し手の立場に立ってみなければ、なかなかわかるものではありません。しかもそれは、日本の学校教育で主流を占めている「原稿を読むスピーチ」ではなく、相手の目を見て、相手の心に自分の考えや思いを伝えるスピーチです。「読むこと」と「書くこと」は表裏一体のものです。「聴くこと」と「話すこと」も同じです。「書くこと」で「読むこと」が磨かれ、「話すこと」で「聴くこと」が磨かれるということを、どれだけ教師が深く理解しているかが問われるのだと思います。
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