Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

私の思う教育

2014年04月26日 | Weblog
私が大切にしたい教育の在り方は、

一人一人を見て、
その瞬間瞬間に応じた、
臨機応変の指導をしていくことです。

そして、
そのためには、
指導のタイミングを待つことも大切です。

一見、指導をすべきタイミングで何もしないこともあれば、
何故このタイミングでそこまで言わなきゃいけないのか?
ということもある。

それは私の感覚的なもので、
結果として正しかったことが
私も含め、後でようやくわかる
という質のものが多くあります。

理解されにくい教育実践です。

しかし、
一人一人を見て教育するということは、
また、
集団全体の力学を考えて教育するということは、
そうしたものにならざるを得ないのだと思います。

足に靴を合わせてあげるのは、
靴を準備する側としては手間暇がかかります。

成長すればサイズも変えなければなりません。
面倒だし、お金もかかってしまいます。

だから、
靴に足を合わせろと言わんばかりの教育が
いかに多いことか。

靴が小さければ我慢しろ。
痛みに耐えるのも学びだ。

靴が大きければ我慢しろ。
上手く履きこなす知恵を持つのも学びだ。

そうした教育も良いのかもしれません。
そこに学びもあるでしょう。

しかし、それは私の教育ではありません。


そうしたものに変質していくのであれば、
私は静かに去って行くだけです。

教育者がシステムに飲み込まれ続けた結果が、
今日の教育の姿だと思います。

だから、私は飲み込まれることに抗い続けます。

人間と人間の「思い」の結びつきで、
私が手がけてきた教育は成立しています。

一つ一つの行動の大義はどこにあるのかが大切なのです。

私の価値判断の基準は、
私がスムーズに仕事ができるということではなく、
そこに人の成長があるかどうかということでしかありません。

効率重視の社会の中では、
私はきっと愚かな部類の人間なのでしょう。

しかし、私が私の思いで教育を実践していく限り、
必ず人を人として伸ばしていくのだという
不退転の決意は持っています。

その結果が出せているのかどうかは、
私の知るところではありません。
そして、それを知ることもなく
私はこの世を去って行くのだと思います。

教育とはそうしたものなのだと思います。

コメント
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