「地図は、いかに精密であろうとも、
地図自身が、その持ち主を一インチたりとも運ぶことはできない。
法律書が、いかに公正に書かれてあったとしても、
法律書自身が、一件たりとも犯罪を防いだことはない。」
(『地上最強の商人』より)
そして、
道徳の教科書自身が、
正義を行うことも、
いじめをなくすこともないし、
年長者を敬ったり、
親孝行をすることもないだろうと思います。
つまり、
その価値を真に理解する人が、
それを用い、具体的に行動を起こすことによってのみ、
航海は成功し、犯罪は防がれ、正義は行われるのだと思います。
道徳の教科書を作って、
中途半端な価値観で教え、
結果として道徳の価値を貶めるより、
私は、世界の名作文学をただじっくりと読んだり、
世界の偉人の生き方や言葉に触れたりする方が、
余程教育的だと思います。
余計な解釈など要らないのです。
小賢しい現代人の知恵よりも、
歴史の風雪に耐えた、
文学の言葉の力の方を私は信じます。
道徳教育の教科書を作り、
義務化することには、
私は一種の不道徳の臭いを感じます。
それは、善しかない人間の物語はないからです。
善があり悪がある狭間で、
如何に判断するかを私たちは問われているのです。
教える側の人間性が、
社会の波にもまれ、
善悪の狭間に立って
なお善を希求するという強さを持たなければ、
道徳において語られる言葉は、
どうしても嘘くささを隠すことはできず、
その偽りと矛盾とを子どもたちは鋭く感じるはずです。
子どもに教えようとしていることを、
まずは自分自身が本当にできるのか?
そのことが問われるのだと思います。