Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

澄んだ空気

2010年12月29日 | Weblog
神社に行くといつも「澄んだ空気」を感じる。
それは、その場に関わっている人たちの、
心が生みだしているものだと思う。

私は教育の場においても、
「澄んだ空気」が大切だと思う。

正確に言うと、
「混沌とした空気」も生み出せなくてはならないし、
「澄んだ空気」も生み出せなくてはならないと思う。

なぜなら、現実の社会は「混沌とした空気」そのものであり、
正も邪も、善も悪も、薬も毒も含んでいるからである。
無菌状態で教育をすることは、
決して強い人間を育てることにはならないと思う。
人間は、邪を知るからこそ正を希求し、
悪を知るからこそ善を希求するものであろう。
澱みの中にあって、
なお理想を掲げる心を失わないような、
タフな心を育てて行くには、
「混沌とした空気」の中での教育が大切だと思う。

しかし、その一方で、
教育は、「現実をどう生きるか」という
処世術に堕してはならないと思う。

学ぶ子どもたちが、
互いに理想と夢と志を語り合い、
それを互いに心から支持し合い、
学び合っていこうという空気を作るためには、
一点の濁りも許してはならないのである。

皮肉や冷やかしや嫌がらせの一言は、
「澄んだ空気」を一瞬にして濁らせてしまう。
そして、その濁りは、
人間の理想ややる気を奪い取っていく。

だからこそ、
その一言を絶対に許さない殺気と言って良いほどの
強い気迫を教師は持たねばならないのだと思う。

また、教師自身が、
常に人生の理想と志を掲げていなくてはならないのである。

そして、私自身、そうありたいと願い続けている。








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