Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

死生観

2009年03月15日 | Weblog
死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし。
生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし。

吉田松陰の言葉である。

現代を生きる私たちは、
死生観について鍛える時間を失った。
それが、戦前の人間と現代の人間との大きな差異を生んでいると思う。

たしかに人の命はかけがえのない大切なものだと思う。
しかし、地球より重いとは思えない。
地球とは人類のみならず、
あらゆる生命体を育む場だからである。

それはさておき、

松陰の死生観を受け継いだ高杉晋作は、
回天の義挙にあたり、
「焦心録に題す」という漢詩を詠んだ。

内憂外患迫吾州(内憂外患我が州に迫る)
正是邦家存亡秋(正に是れ邦家存亡の時)
将立回天回運策(将に回天回運の策を立てんとす)
捨親捨子亦何悲(親を捨て子を捨つるまたなんぞ悲しまん)

実に強烈な漢詩である。

1864年12月15日、
高杉晋作は、雪の降る功山寺において、
たった80名で長州藩の俗論党2000名と、
ひいては、15万の幕府軍と戦うことを決意して挙兵する。
これが世に言う「回天の義挙」である。

そして、
たった一人の男の決意が、
長州藩の流れを変え、
幕府をも倒して、
新しい時代を切り開いていったのである。


命がけで日本の未来を切り開こうとした高杉は、
親を粗末にしたわけでも、
子を粗末にしたわけでもなかった。

もっともっと大きな大義に生きようとしたのである。

功山寺で挙兵したわずか二月前の10月5日には、
長男梅之進が誕生したばかりであった。




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