goo blog サービス終了のお知らせ 

未唯への手紙

未唯への手紙

豊田市図書館の19冊

2012年10月27日 | 6.本
全体主義

 外なる世界から、モデルを内なる世界に潜り込ませたのが、全体主義です。ユダヤは憎むべき世界とモデルを内なる世界に入れ込むことで、いくらでも膨らんできます。

 それで、親を告発できるようになる。こえrは中国の文化だか革命でも頻発した。強制すると、そういう世界になります。外なる世界から始めると、そういうカタチになります。

自分の意見を言うことから始める

 パートナーを見ていると、組織に対して、従順であろうとするのが見え見えです、本心は完全に反発している。

 やはり、内なる世界に向かうためには、自分の意見を言うことです。それで自分で納得して、周りと強調していくことです。

豊田市図書館の19冊

 金曜日は東京だったので、土曜の10時からの収集です。

 やはり、少ないですね。

 493.76『ササッとわかる「境界性パーソナリティ障害」』

 414.13『プラトンとアルキメデスの立体』美しい多面体の幾何学

 293.48『中欧 世界遺産と歴史の旅』プロの添乗員と行く

 312.27『中東政治学』

 329.37『EU 欧州統合の現在』

 293.7『イタリア 世界遺産と歴史の旅』プロの添乗員と行く

 377.9『女子と就活』20代からの「就・妊・婚」講座

 701.4『脳は美をどう感じるか』アートの脳科学

 335.22『世界の工場から世界の開発拠点へ』製品開発と人材マネジメントの日中韓比較

 935.7『鉄道大バザール 上』

 910.26『転々私小説論』

 934.6『遥かなるノートル・ダム』

 024.06『潜入ルポ アマゾン・ドットコム』

 372.38『フィンランドはもう「学力」の先を行っている』人生につながるコンピデンス・ベースの教育

 318.6『地域再生』逆境から生まれる新たな試み

 501.6『エネルギーの科学史』

 498.54『情報が食の安全を守る』

 334.3『世界の人口開発問題』人口学ライブラリー

 376.12『虹を駆ける天使たち』ナイロビの子どもたちと共に生きて

ローカルのローカルと組織の関係

2012年10月27日 | 5.その他
システム屋では先が見えない

 東京のお店のやりたいことが見えなかった。それはメーカーに固執することではなく、自分たちがお客様と一緒になって考えていけるか。

 パソコンの安いモノに買えないと会社の経営が悪くなる。それはおかしなロジックです。スタッフの環境を整備するのはシステム部門の責任です。いくらでも知恵が出せるはずです。

 システムをメーカーに頼っても、メーカーの関与する所ではない。自分たちが何をしたいかを要求すればいい。持ってくるモノだけに頼るのは間違っている。

 メーカーでのパソコン統一の論理にも欺瞞があります。同じモノを買うことで、安くさせるという論理ならば、ビッグの方がはるかに安くなります。

自分の役割

 外なる世界になると、自分の役割を限定させてしまう。そんなところで答が出るわけはない。100分の1とか、10000分の1ですから。そんなことを自分がやってもしょうがないという感覚なんでしょうね。

 Hとして、こういうカタチにしたいという思いがあって、はじめて成り立ちます。やはり、名古屋はダメです。完全に社会からおいていかれます。パートナーに期待するだけです。

 自分たちがどうするのかという思いがないとポータルは意味を持たない。逆を仕掛けることも関上げます。ポータルから思いを集めてきます。新しい成功体験を事例にして展開していきます。

スケジュール表

 ローディアのハードカバーなら、どこでも書けます。持ち運ぶにはかさばるので、無印でケースを買ってきました。

 なぜ、10月の一瞬たりともが失敗しているのか。この分析と残された時間で理想形を作り出します。今日中に19冊を片づけて、日曜日に態勢を整えます。

 今は、だらしない自分に対する言い訳が多すぎます。言い訳だけは言わないようにしましょう。超アナログでどこまで行けるかです。あの小さな字はどうにかしないといけないけど。一頁ずつ破るのは快感です。

 ローディアのドットはいい加減です。ページごとで開始位置が異なります。これはこれでいいけど。

 時間がないことを認識するために、机の上にはケータイの時計を置きましょう。1時間ごとにやったことをチェックします。

137億年の知恵

 137億年では、かなりの知恵を得ました。137億年といいながら、ギリシャの哲学者については、細かく描いています。全部を描くのは難しいのでしょう。

 哲学のモノの見方を自分のキータームと合わせないといけない。

ローカルとグローバルの役割

 Tシステムは、ローカルとグローバルがそれぞれ役割が分かっていない。仕掛ける方も仕掛けられる方も。

 システムの仲介者が一番悪い。全然、何のためにやっていくのか、ローカルをどうしていくのかの意識がない。ローカルはお客様に対してはグローバルになります。そこでどうしていくのか。もっと、ローカルのローカルから積み上げていかないと、変わらないです。

 その時に、パソコンの値段とは、インターフェースの有無とかのありきたりのことを言っていては意味がないです。元々、意味を考えていないでしょうけど。

ローカルのローカルと組織の関係

 今は、ローカルのローカルが哲学する時です。

 組織に甘えていてはいけない。組織は何の役にもならない。自分の中にキッチリしたモノを作らない限り、組織を超えることで、はじめて意味が分かってくるのです。

 なぜ、こんなボロっちい組織でこんなに持っていて、世間からそれなりの尊敬を集めているのかわからない。研究開発部署の課長で同じことを言った人が居ます。その時の見解は、他がもっと悪いかからでしょう。

 それで相対的に日本全体を落としてもしょうがないでしょう。今こそ、ローカルのローカルから変える時です。そうでない限り、ブローバルは変わらない。

 その意味では、内なる世界は、フィンランドのように教育から始めないといけない。組織の教育は、自分たちの価値観の押しつけします。ローカルが思考停止になった時に悲劇が起きます。

 内なる世界は、組織にとっては、今の段階では邪魔なんです。組織を超えて、お客様のところに行くには内なる世界に行くためです。結局は組織の延命のためには必要なことです。

皆が内なる世界を作るには

 どうしたら、皆が内なる世界を作ろうとする気になるのか。当然、生きている理由への認識がまず必要ですね。

 今、やっているどんなことでもいいから、その理由と外からの視線を持つことですね。知識と意識がバックにないといけないから、難しいところです。

ローマ サンピエトロ寺院案内

2012年10月27日 | 4.歴史
『イタリア 世界遺産と歴史の旅』より

以前来た時は、バスが専用駐車場に停車して、10分ぐらい歩かなければならなかったが、今回はサンピエトロ寺院の近くに停めることができたので、それほど歩くことはなかった。バスを停める場所が頻繁に変わる。

サンピエトロ寺院の前にのびる道路は、ムッソリーニの時代に造られ、「コンチリアツィオーネ通り」と呼ばれる。「和解」という意味である。1929年2月11日のラテラーノ条約での和解を記念して造られた。それまでは、ヴァティカンの住宅があったのだが、それを取り壊して大通りを造った。

サンピエトロ寺院前の広場は、「サンピエトロ広場」と呼ばれ、16世紀の有名な建築家、ベルリーニが造った。

広場は丸い形をしている。寺院に向かって広場の左右に並んでいる円柱は284本、付け柱88本の列柱廊となっている。バラバラに並んでいるように見えるが、あるIカ所に立って見ると、4本の円柱がきれいにそろって、1本しか立っていないように見える。広場の真ん中には、28メートルの高さのオペリスクが立っている。

私たちが広場に到着したときは、列柱廊の端まですでに行列ができていた。全員、サンピエトロ寺院に入る人たちである。入場には荷物検査があり、順番に並んで入る。

「この程度の列だとたいして待ち時間は長くありません。10分か20分もあれば入場できます。多いときには、広場を4分の3周するところまで並んでいますよ」と、ガイドが言った。

サンピエトロ寺院には、短パン、ミニスカート、ノースリーブでの入場はできない。イタリアの教会はほとんど同様であるが、特にここは厳しい。冬にノースリーブで歩く人はいないが、夏には気を付けたい。しかし、検査で引っかかっているのは、たいてい欧米人だ。

ダン・ブラウンの「天使と悪魔」の中にも、そういうシーンがあったのを思い出す。

法王(教皇)が変わってからは、服装チェックも少しゆるやかになったらしい。以前は男性のズボン丈も足首が見えると断られたらしいが、今ではひざ下なら大丈夫と言われている。

サンピエトロ寺院は、「ピエトロ」のために造られた。ピエトロはイタリア語で「ペトロ(ペテロ)」のことだ。ペテロとは、キリストの12の使徒の一人である。本名を「シモン」といい、漁師であったところ、キリストの最初の弟子となった。

ペテロというのは、ギリシャ語で「岩」を意味している。シモンは力があり、頑健で、また頑固でもあったので、ペテロと呼ばれるようになった。

キリストが十字架にかけられたのは、第2代ローマ皇帝「ティペリウス帝」の時代である。数年の内にキリストの教えは広まったが、多くの信者は処刑された。

その後、西暦64年に、第5代ローマ皇帝「ネロ」によるキリスト教への大迫害があり、ペテロは逆さに張り付けにされて殉教したと信じられている。

313年にローマ皇帝「コンスタンティヌス」によってキリスト教は公認され、聖ペテロの墓の上に、寺院が建てられることになった。当時は、木造建築だった。

15世紀に入り、ニコラウス5世が修復を計画した。しかし、実際には16世紀に入ってからユリウス2世のもとで設計者ブラマンテが選ばれて修復が始められた。その後、ラファエロなどの建築家が後を継ぎ、1546年以降は、ミケランジェロが主任建築家となった。ミケランジェロは、「ドーム」の設計も行ったが、残念ながら完成前に亡くなっている(1564年)。

ドーム(クーポラ)は1593年に完成した。136メートルのドームの屋上には上ることができる。途中まではエレペーターで上り、最後は階段を上る。

内部では、ミケランジェロが1499年に完成させた大理石の「ピエタ」を見ることができる。ミケランジェロ西成のときの作品である。

「ピエタ」とは、十字架から降ろされたキリストを抱く聖母マリアの彫刻や絵画のことである。

ミケランジェロは、その後、フィレンツェに戻って、ダビデ像を製作した。

ピエタは防弾ガラスで囲まれている。一度、外国人によって石でマリア像がたたかれたためである。「サンピエトロ寺院内部は、写真撮影できます。ビデオもフラッシュも大丈夫です。ただし、お祈りをしている人は撮らないでください。また、ポーズ写真は禁止です」とガイドが説明した。

ブダペスト案内

2012年10月27日 | 4.歴史
『中欧 世界遺産と歴史の旅』より プロの添乗員の案内で、行った気になりましょう

ホテルのロビーで現地の日本語が話せるハンガリー人ガイドと落ち合い、市内観光が始まった。バスで、最初に英雄広場へと向かう。

ブダペストの町は、ドナウ川を挟んでブダ地区とペスト地区とに分かれている。地図を見ると分かりやすいが、王宮やマーチャーシュ教会、漁夫の砦のあるほうがブダ地区で、西側に位置している。地図では左側であるが、ドナウ川の右岸にあたる。そして、これから観光する英雄広場や聖イシュトヴァン大聖堂のある方がペスト地区となる。

今回は、ペスト地区側に泊まったので、効率よく、まずペスト地区から観光を始め、その後ドナウ川を渡ってブダ地区へと向かう。

英雄広場は、文字通り、ハンガリーの「英雄」と呼ばれる人たちが、銅像となって勢揃いしている広場である。

アンドラーシ大通りをバスで行くと、前方に、柱が見えてきた。広場中央に立つ高さ36メートルの、大天使ガブリエルの像が立つ柱である。大天使ガブリエルは、初代国王イシュトヴァンをハンガリーの王位に就けるようにとローマ法王の夢に現れたと言われる。その下の像は、マジャール族の首長アールバードを中心とする部族長の騎馬像が並んでいる。

ガイドが案内を始めた。

「英雄広場は、ブダペストで一番大きな広場です。ここは、アンドラーシ通りと共に世界遺産となっています。ドナウ川の景色も世界遺産ですが、別々の世界遺産です」

1987年にドナウ川沿いの景色がユネスコの世界遺産に登録された後、2000年に英雄広場とアンドラーシ通りが加わっている。

英雄広場は、ハンガリー建国千年を記念して、1896年から1929年に造られた。広場に向かって右手にある現代美術館の横でバスを下車して見学となった。

現代美術館は、1896年に建てられた古典様式の建物である。常設展は行っていない。

「反対側、広場に向かって左手にある建物は、西洋美術館で、ハンガリー画家の美術館ではなく、西ヨーロッパの美術館です。スペイン、イタリア、ドイツ、フランドル画やエジプトの彫刻もあります。スペインのエル・グレコやベラスケスもあるので、興味のある人はフリータイムのときに行ってください」 英雄広場の一番左側の像が初代国王イシュトヴァンなので、よく見ておいてほしい。後ほど聖イシュトヴァン大聖堂を訪れたときに詳しく説明する。

そして、左から5番目がベーラ4世で、後ほど見学する王宮やマーチャーシュ教会を最初に建てた王である。右から6番目が、15世紀のハンガリー王マーチャーシュ一世(1443~1490年)で、やはり後ほど訪れるマーチャーシュ教会を増築し、そこで結婚式を挙げた人物である。

一番右が、19世紀の英雄コシュート・ラョシュで、1848年にオーストリアのハプスブルク支配からハンガリーの独立運動を起こした指導者である。結果は失敗に終わった。後の1867年にようやく「オーストリア=ハンガリー二重帝国」という形でお互いが妥協することになった。

この広場が着工されたのは、1896年のことで、この二重帝国の皇帝兼国王フランツ・ヨーゼフの像もここに造られたが、帝国崩壊とともに壊され、1948年にコシュート・ラョシュの像に差し替えられた。

「広場の向こう側は、市民公園になっています。池は夏はボート場になり、冬はスケートリンクになります。農業博物館として使われている建物があり、温泉もあります。温泉は雪が降っていても入れます」

温泉は、西洋美術館の向こう側にある「セーチェニ温泉」で、ガイドブックにもよく載っている温泉プールでチェスのできるところである。

「西洋美術館の向こう側には、動物園もあります。1500種の動物がいて、19世紀のハプスブルク家の皇妃でハンガリー王妃エリザベートがキリンをプレゼントしました」

フリータイムのときにもう一度ここまで来る場合は、地下鉄1号線が便利だ。

Oの新しい悲劇

2012年10月26日 | 5.その他
体重のアップダウン

 71.8Kg。三日で3Kg増えて、4日で3Kg下げました。激しい一週間。

 体重計がピタッと決まらないので、答になっているか分からない。これは寒さのせいなのでしょうか。

内なるものと外なるものの関係

 内なるものの共通項が、外なるモノを実現させる。何となく、予言の書に近くなっています。あれも、内なる思いをそのまま、外なる思いに変えてしまった。

 その方が分かりやすいのは確かです。色々なモノの思いを集めて、その共通項で絞り込めば、多様性も可能になります。一貫しています。それが全体主義です。

東京の40名の会議

 ポータルのヒアリングの間のつなぎの時間で東京の会議に出たけど、今、やっていることはあまりにも小さい。40人以上居ながら、だれも先のことは考えていない。あんな小さなことに、多くの人が集まって、時間を潰している。

 応える方は、自分で決定権を持っていないのに、適当に答えています。質問する方もそんなものだと、納得しています。こんなのでは、何も変わりはしない。衰退するだけです。

 東京のシステムの連中が出てきたけど、何も変えるつもりはない。とりあえずは、今日の飯が食えればいい。

 外なる世界だけで、やろうとするとダメです。内なる世界に先を見た、論理的なちゃんとしたモノをそれぞれの人が作っていかないと。あまりにも、質問がくだらない。

 それにしても、あれだけの人間があんなくだらないことで、会議をして、飯を食っていると思うと、お先真っ暗です。

Oの新しい悲劇

 Oは自分の世界だけで、勝手に答えを作っています。同行している電算部とはシンクロしていません。今の段階では、勝手に答えられるけど、実際になった時とは異なります。

 まあ、彼以外に考えていないから、こんな状態になるのです。そういうところで生きている人間がほとんどだから、Oぐらいで十分なのでしょう。

 Oの口から出まかせです。あまりにもいい加減、自分で作るわけではないので、いい加減。彼をあんなところに立たせてはいけない。もっと、運用に責任持たせる人間を前面にしないと、Hに思いが伝わらない。

 作って、展開するところは別のところです。展開する所が重要なのに、作った気になるだけです。Hの身になって考えていないし、考えてもしょうがない。内なる世界がない人間は捨てます。その前に、多分、捨てられているでしょう。

スケジュール表

 スケジュール表にチャレンジしているけど、今日はあまり上手く出来ていない。これをベースに私の時間を全て、未唯宇宙の方にシフトさせます。残された時間はさほどない。

 そんなことに関わらないで、自分の内なる世界をやります。10月はそのために、やってきたので、30日・31日はとことんやります。

 そのためのスケジュール表として、ハードカバーのローディアを買ったのだから、とりあえず、12月まで作ります。自分の時間を明確にします。緊張感を持ってやりましょう。

 自分の時間を全て、そこに書きます。それ以外はどうでもいいです。ただし、パートナーについては別です。何しろ、絶対的な存在なのだから。移動時間はスケジュールのためにあります。

道に迷っていた

 1時から起きていたから、電車の中は眠たかった。自分に対しての言い訳です。お陰で、イメージと全然合わなくて、道に迷っていた。それも2回も。

10月も終わりです

 とりあえず、明日5時から動きだします。10月は本を多く片づけました。そこから色々なアイデアが出てきました。時間のコード化なんて、気づきましなかった。

 自分の存在とか、人類の存在とかは、どう見ても、論理的ではない。そこに、論理をいれるしかない。何故、存在するのか、目的を持つしかないでしょう。

 2050年に世界はどちらに向かうかです。皆が内なる世界を持てば、変わります。持たなければ、究極になります。何しろ、考えることしかしない!

 他の人間が存在していることを信じない。存在と無の世界で、自分の中で完結させます。そして、未唯宇宙で答を出していきます。

自分の時間

 自分の時間は寝ているか、読んでいるか、考えているかのいずれかにします。

 パートナーのやっていること以外は皆、つまらない、役に立たない、世の中を変えない、意識を変えない。

 ここへのつぶやきを確実にするために、ICレコーダーのソフトをインストールします。今度の会社のPCなら、大丈夫でしょう。補完しているのは、会社のモノだけです。

分散型電力供給体制の構築

2012年10月26日 | 3.社会
『盛衰』より

日本がエネルギー分野で再生するためには何が必要なのだろうか。そのとき重要なのは、分散型の電力供給体制である。日本の電力会社は地域独占型の電力供給体制である。また包括原価方式、つまり原価に利益を上乗せして電力価格が決定されている。そのような方式がもはや限界に来て、多くの矛盾を生んでいるのが現実である。

地域独占型ならびに包括原価方式の電力供給体制は、第二次大戦後の復興過程で日本が選択した方式である。強力な電力産業が産業発展を安定的に支える必要があるとの理由から、発電と送配電に分かれて、複数企業の競争により効率化を図るという仕組みは、当時の発展途上の日本にはなじまないと判断された。

しかし成熟先進国となった日本にとって、今やこの体制は矛盾と弊害が余りに多い。日本の電力価格は高く、グローバル化した世界で高い電力価格は企業の立地条件や国際競争力を劣化させ、ひいては日本の空洞化につながる。また、大電力企業は競争の脅威なくして価格決定ができる。

さらに、競争を排除する傾向と力が働く。つまり電力会社は、一般企業や事業者、公共団体、個人などが電力供綸者になることに強力に反対する。自然エネルギーなど代替エネルギーの開発にも強力に反対するようになる。しかし、現実に東京電力など大電力企業の経済的、政治的、社会的影響力は甚大なものがある。

二〇一一年一二月二七日に資源エネルギー庁に「電力システムに関するタスクフォース」がつくられた。これは経済産業大臣を議長とした二カ月にわたる検討の結果であり、そこで適切な提言が行われている。ポイントは次の三点である。第一は企業や消費者の自由な選択、創意工夫を最大限活用する電力市場の形成、第二は需要サイドによる需給管理が可能な次世代スマート社会の構築、第三は公正で透明な電力市場の競争環境の整備、である。

東電は事実上の国有化となるが、地域独占、包括原価方式の電力価格決定方式など、東電の現在の経営体制の温存、体質の継続には何ら変わりがない。発電と送配電の分離による分散型電力供給体制を整備し、需要側の選択可能な競争体制を構築すべきである。

二〇一一年八月に「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法(再生可能エネルギー法)」が可決、成立している。そこでは、〝再生可能エネルギー源(太陽光、風力、水力、地熱、バイオマス)を活用して発電する供給者(特定供給者)からの電力供給を電力会社(電気事業者)は電気的に接続することを拒んではならない〟と規定している。

二〇二一年四月二五日、経済産業省有識者委員会(植田和弘委員長)で、七月から始まる全量買い取り制度の施行で電力会社の買い取り価格案が提示されている。その案によれば、一キロワット時の税込み価格で、太陽光は四二円と高い。風力は二三円(小型は五七円)と『白書』で示された額の倍ほどで発電業者側の言い値に近い。電気利用料金が月額七〇〇〇円程度の一般家庭であれば、買い取り額の上乗せで当初は一〇〇円程度の負担増が見込まれるが、買い取りが増えるとさらに増額の可能性がある。ちなみに現行の火力発電では、発電コストは一〇円程度である。

だが、再生可能エネルギー発電の技術は日進月歩である。単位当たり価格は世界中で急速に低下している。買い取り価格は、発電事業者の発展を促進するために適切に定める必要がある。その点、太陽光の四二円は国際的に見るとかなり高い。

再生可能エネルギー法にも留意すべきところがある。同法の第五条には重大な抜け穴がある。「接続を拒んではならない」という義務の例外要件として、第五条の二項に「当該電気事業者による電気の円滑な供給の確保に支障が生ずる恐れがあるとき」という規定が盛り込まれている。

むろん自然エネルギーの不安定性や偏在性は、蓄電管理やスマートグリッドなどで克服可能である。だが、接続が拒否されれば、それらの開発・普及が阻害される。

知識労働者のコミュニケーション

2012年10月26日 | 3.社会
『経営の神髄』より

 今日ほど組織内のコミュニケーションに力が入れられたことはない。第一次大戦の前後において、組織内のコミュニケーションの問題に最初に取り組んだ人たちには想像もできないほど、力が入れられている。

 組織内のコミュニケーションは、企業、軍、政府機関、病院、大学、研究所のいずれを問わず、今日あらゆる組織において最大の関心事である。事実、コミュニケーションヘの取り組みほど、知的な人たちが懸命に働いている分野はない。

 にもかかわらず、明らかになったことといえば、コミュニケーションは一角獣のようにわからないということだけである。コミュニケーションについての議論は多い。多すぎて何が論じられているかすらわからない。しかも、実際のコミュニケーションは減る一方である。

 コミュニケーションとは知覚である

 現存する最古の修辞論プラトンの『パイドン』によれば、ソクラテスは、「大工と話すときは大工の言葉を使え」と説いたと言う。

 コミュニケーションは、受け手の言葉を使って、はじめて成立する。したがって、受け手の経験にもとづいた言葉を使わなければならない。経験にない言葉は理解されない。知覚の範躊を越える。

 受け手の知覚の範躊か、受け手が受け止めることができるかを考える必要がある。人の心は刺激と印象を期待の枠内で捉えようとする。期待していないものを知覚することに抵抗し、期待するものを知覚できないことに抵抗する。

 もちろん、これから知覚するものが期待に反しているであろうことを、あらかじめ警告することはできる。だが警告を発するには、そもそも期待されているものが何かを知らなければならない。さらに、期待に反していることを間違いなく伝える方策、つまり連続した心理状態を断ち切るショックが必要となる。

コミュニケーションとは期待である

 受け手が期待しているものを知ることなく、コミュニケーションを行なうことはできない。期待するものを知って、はじめてその期待を利用することができる。あるいはまた、受け手の期待を破壊し、予期せぬことが起こりつつあることを強引に認めさせるためのショックの必要を知る。

コミュニケーションとは要求である

 コミュニケーションは、それが受け手の価値観、欲求、目的に合致するとき、強い力となる。逆にそれらのものに合致しないとき、まったく受けつけられないか、抵抗される。

 もちろん、それらのものに合致しないときであっても、コミュニケーションが力を発揮するならば、受け手の心を転向させることができる。受け手の信念、価値観、性格、欲求までをも変える。だが、そのようなことは人の実存に関わることであり、しかるがゆえに稀である。人の心は、そのような変化に激しく抵抗する。

 聖書によれば、キリストさえ迫害者サウロを使徒パウロとするには、サウロをいったん盲目にする必要があった。受け手の心を転向させることを目的とするコミュニケーションは、受け手に全面降伏を要求する。したがって、メッセージが受け手の価値観に多少なりとも触れないかぎり、コミュニケーションがなされることはない。

コミュニケーションは情報ではない

 情報はコミュニケーションを前提とする。情報とは記号である。情報の受け手が記号の意味を知らされなければ、情報は使われるどころか、受け取られることもない。情報の送り手と受け手の間に、あらかじめ何らかの了解、コミュニケーションが存在しなければならない。

 コミュニケーションは、必ずしも情報を必要としない。実際、いかなる論理の裏づけもなしに経験を共有することこそ、完全なコミュニケーションをもたらす。コミュニケーションにとって、主役は知覚であって情報ではない。

下へのコミュニケーション

 それでは、コミュニケーションについてこれまで得られた知識と経験は、組織内のコミュニケーションについて何を教えるか。過去の失敗の原因や将来の成功の条件について教えることは何か。

 われわれはこれまで数百年にわたって、コミュニケーションを上から下へと試みてきた。しかしそれではいかに賢明に行なおうとも、コミュニケーションは成立しない。何を言いたいかに焦点を合わせている。コミュニケーションを成立させる者は送り手であると前提している。

 とはいっても、はっきりものを言ったり書いたりする努力が必要ないというわけではない。とんでもない。しかし、いかに話すかという問題は、何を話すかという問題が解決されて、はじめて意味をなす。

 下の者の言うことを聞いたからといって、そのまま問題の解決にはならない。かつてエルトンーメイョーの人間関係学派は、それまでのコミュニケーションに対するアプローチの欠陥に気づき、上に立つ者は下の者が言わんとすることに耳を傾けなければならないと強調した。

 人間関係学派は、部下に理解させたいことからではなく、部下が知りたがっていること、興味があること、すなわち知覚する用意があることから着手しなければならないとした。今日でもこの考えは、あまり実地には応用されていないものの、古典的な処方として生きている。

耳を傾ける

 耳を傾けることはコミュニケーションの前提である。だが耳を傾けるだけでは、効果的なコミュニケーションは実現しない。耳を傾けることは、上の者が下の者の言うことを理解して、はじめて有効となる。ということは、下の者にコミュニケーションの能力があって、はじめてコミュニケーションが有効になるということである。上の者にできないことが、どうして下の者にできるか。保証はない。

 耳を傾けることが悪いわけではない。それは、上から下へのコミュニケーションが不毛だからといって、上の者が下の者にわかりやすく話し、書き、相手の言葉を使うことが悪いわけではないのと同じである。

 耳を傾けることを強調する考えの根本には、コミュニケーションは下から上へ向うとの認識、受け手からスタートするとの認識がある。この認識自体は重要な意味がある。しかしそれでも、耳を傾けることはスタートにすぎない。

ゆったりした衰退から抜け出すには

2012年10月25日 | 4.歴史
GG=LLは未来予測

 GG=LLは未来予測です。2050年までの未来予測のシナリオをつくる。

マルチ・バース

 マルチ・バースができるということは、この宇宙全体が無限次元です。

個別にやることと集めてやること

 SNSで個別にやることに対して、集めることのメリットを示さないといけないのでしょう。集めることのメリットはつなぐということです。個別だけではムダが生じます。

 2年前の結論からすると、三段ループです。お客様-スタッフ、スタッフ-本部、本部-メーカーのスルー性です。当然、お客様-メーカーもその中に入れ込みます。これはサファイアの考え方そのものです。当然、地域とか経営者では異なります。それをどこまで織り込んでいくのか。

メーカーの立場

 あくまでも、Think Globally,Act Locallyです。グローバルは考えるだけです。ローカルが動き始めれば、いくらでも支援します。やっかいなのは、メーカーとHとの関係です。売ってもらっているのか、売ってやっているのか。

 ローカルはグローバルに対して、分化させないといけない。そこが曖昧だから、おんぶに抱っこになっています。

経営者ヒアリング手順

 経営者ヒアリングの手順は、前半、パートナーから今回の企画を説明します。その中に、2,3,4については、Hでどう受けていくのかを後半のテーマにします。

 元々、Hとしては、コミュニケーションをどうしたいのか。どっちの方向に行くのか、地域とかお客様との関係は微妙です。そうでないと、一連のメーカーからの施策がバラバラになります。

ルソーの散歩吟味

 ルソーの散歩をバスなどで読んでいます。

 「なぜ、こんなことをやっているのか。自己探求こそ、自分の残された時間を費やす課題」と結論している。

 「考えることは私にとっては苦痛だ。私を疲れさせて、悲しい気分にする。単に考えるのならいいけど、深く考えるとそうなる」

 「ひとりぼっちになって、自分自身をエネルギーの源にするようになった」「だが、その泉は汲みつくせない。私は自給自力で生きていける」

 またしても、言葉を与えられた。『告白』を借りてきましょう。

ゆったりした衰退

 アメリカも日本もゆっくりした衰退に向かっている。その理由はよく似ている。自分たちの努力を忘れている。努力できなくなっている。先を見えなくなっている。見ないようにしている。過去の栄光だけで生きている。

 それ故に、再投資できない。世界に対しては戦略できるけど、企業としては、国としてはどんどん衰退している。つまり、新しいインフラを構築できなくなっている。

 世界を変えるためには、それぞれの人が内なる世界でイメージしたものを集めてきて、それをエネルギーにして、外なる世界に向けていくということ。エコットでのセミナーもそういうことです。講師だけではダメです。皆に内なる世界を作り出さないといけない。

 そのまま、外なる世界にしようとすると、軋轢だけでおしまいになってしまいます。行動するのは最後です。内なる世界というのは、考えるベースです。束縛をすべて外して、考える。そこでカタチをつくるのが基本です。そうでないと、引っ張られます。そこで論理的につながっていないと、他とも論理的につながりません。

サファイアの構成のメリット

2012年10月25日 | 5.その他
我慢した節約

 我慢した節約はダメだというけど、今のように、我慢せずに、車で走り回っていることで、次の社会が描けるのでしょうか。こんなものは論理的にすれば、半分以下のエネルギーで済むに、皆で色々なことを考えれば、先が見えます。

 政府も自分たちでやらないとダメです。企業でエコと言っているものは、物を買わせるの尾が目的です。作って、買わせるにはエネルギーが必要です。それ以外のものがない。彼らを味方にしないといけない。交通体系とか地域インフラを含めて。

販売店の思い

 今まで、販売店への思いをカタチにしてきた。ここでは理念では通じない。それだと、販売店が幸せかどうか、地域の中で生きていけるのか。思いはもっと、大きいです。衛星配信にしても、販売店システム全体を理解した上でないと動けない。おっちょこちょいでは何の役に立たない。

 今のヒアリング対象ではシステム屋さんしかいない。システム屋は自分たちが生き残ることしか考えていない。自分たちの地域をどうするのか、自分の会社をその中でどう位置付けていくのか。そのことを考えて、やっていく時期に来ています。人任せにはできません。自分たちでやっていけるために、グローバルとして、道具を用意しました。

 道具を非難するよりも、自分たちで何ができるのか。それと合っているのか、合っていなかったら、自分たちはどうするのか。今のままで、いいなら、提供しない方がいいです。ポータルは刺激的なものです。といっても、社会ではもはや、現実になっているものばかりです。だからガジェットは使えるのです。

 こういうことを話す相手がいない。今のところ、わかるのは、地域を考えている人だけでしょう。あとは、先とか全体を考える人です。それをメーカーの人に提案したけど、わかる人はいない。少しわかってもらったのは、前の室長ぐらいです。だけど、これは真理です。それが証拠に、そちらの方に向かって動いています。

バラバラにやっている

 皆、バラバラなことをやっています。答えが見えていないのです。

 Tシステムにしても、メーカーとして決めたことだから、とりあえず、道具を作ればいいでしょう。販売店の人の思いはない。そこで、情報系を作っている人は、言われた部分だけを作っています。全体がどういう風に動くのかは聞かされていません。

 それをやっているマネージャーの方は、自分の部署が取りあえず、食っていけばいい。販売店の方のわがままを聞いていてもしょうがない。そんな感じです。こんなので作ったものが動くためにはどうしたらいいのか。スタッフの中に、お客様の考える心を入れるしかない。

 お客様からの要望、クレーム、つぶやきもその中に入れてしまう。店舗のパソコンの前で見ていてもしょうがないから、移動しながら気づけるようにしていかないといけない。常に考えられるようにしていく。お客様からの発信には応えられるようにする。

 Tシステムの中身は、お客様がいつ使うのという感じです。

情報は望めばやってくる

 私の場合は偶然に任せます。Tシステムの説明にしても、東京の連中がどういう反応をするのかをやれるチャンスが勝手に舞い込んできた。その点では、パートナーは天使だけど、相変わらず、優しくない。

サファイアの構成

 元々、ネットワークでも、H単独とメーカーとつなげるものをどうするかで悩んだ。サファイアでは後者を選んだ。その理由はHとメーカーとお客様をつなぐためです、だから、サファイアというリングをイメージした名前にしました。

 当然、理念が先行しています。販売店システム全体を考えるのだから、個別の利益ではないです。その中でも、自分たちのネットワークを作ろうとする自社店があるのは、一つの活力です。

 ポータルもネットワークと同様に、本部と店舗からメーカーとかお客様との関係に広げています。自社店でグループウェアとか使っているものを超えた存在になります。メーカーとのコミュニケーションを進化させます。そのなかで、社会でのSNSの機能も入れ込みます。

 当然、それでメリットのある会社とそうでない会社があります。全体としては、そういうつながりまで求められているということです。

ヒッグス粒子の発見の意味

2012年10月25日 | 2.数学
『ヒッグス粒子が読み解く「宇宙の謎」』より

ヒッグス粒子の発見には大きな意味が二つある。

 一つは、物に質量があるのはヒッグス機構によるとする理論が証明されたこと。この理論は一九六四年にピーター・ヒッグス博士が提唱したもの。それによると、誕生したばかりの宇宙空間ではすべての素粒子が質量を持っておらず、光の速度で飛び回っていた。ところが、誕生からわずかI〇のマイナスー三乗秒(一〇兆分の一秒)後、真空が冷えて相転移が起こり、隠れていたヒッグス場が突如現れた。「場」というのは空間の性質をいう言葉で、ヒッグス場はいわばヒッグス粒子の凝縮体が詰まった空間のこと。このヒッグス場ができたことで、素粒子たちに質量が生まれた。素粒子たちはヒッグス場が邪魔になって、動きがにぶくなった。それが質量の正体というわけだ。

 こうして、質量を得た素粒子はもはや光速で飛ぶことができなくなった。もちろん現在も同じ。ただし、素粒子にはヒッグス場を感じるものと感じないものがある。たとえば光子はヒッグス場を感じない。そのため質量がなく、光速で飛んでいる。ちなみに、アインシュタインの特殊相対性理論によれば、光速を超えて飛ぶ素粒子はない。

 ヒッグス粒子発見がもたらした二つめの大きな意味は、素粒子標準模型で存在を予言されている素粒子がこれですべて見つかったことだ。素粒子標準模型では宇宙には一七種類の素粒子があると考えられてきたが、ヒッグス粒子だけが未発見のまま残されていた。それが見つかったことで、理論の正しさが証明され、標準模型が完成したことになる。

●ヒッグス粒子はこんな粒子

 ヒッグス粒子は、素粒子標準模型が定める素粒子の一つ。素粒子とは、これ以上分割できない根源粒子をいう。周知のとおり、身のまわりの物質や私たち自身の体はすべて原子でできているが、原子は陽子や中性子と電子でできている。このうち電子はこれ以上分割できない素粒子なのだが、陽子や中性子は素粒子ではなく、クォークと呼ばれる素粒子からできている。

 ヒッグス粒子と電子は同じく素粒子であるとはいえ、いろいろ違いがある。電子がマイナスの電荷を持っているのに対して、ヒッグス粒子は電荷を持たない(電荷ゼロ)。また、素粒子にはスピンという、いわば「自転」のような性質があり。

 電子のスピンは+-1/2である一方で、ヒッグス粒子はスピンを持だない(ゼロ)と考えられている。さらに、両者の質量ははなはだしく異なり、ヒッグス粒子は非常に重く、電子の二五万倍もある。

 このような重い粒子が姿を現すためには、宇宙誕生時と同じくらいの超高于不ルギーな状態をつくり出す必要がある。しかも、ヒッグス粒子は出現してもほかの素粒子と反応し、一瞬で崩壊して別の素粒子に変わってしまうので、実際に現れてもそれを捉えることが難しいのだ。崩壊とは、粒子が壊れて別の粒子が生成されることをいう。

 では、どのようにして出現を確認するのかといえば、標準模型ではヒッグス粒子が崩壊してできる粒子対の種類が予想されており、衝突の際の生成物の于不ルギー、電荷、飛行方向などを測定しそれらのデータを解析することで、ヒッグス粒子ができたかどうかを間接的に特定するのである。

 しかし、解析には膨大な作業を必要とする。陽子の衝突回数も二〇一二年六月末現在、累積で一一〇〇兆回以上を数えた。それらすべてのデータ解析から、ようやくヒッグス粒子を捕まえたのだ。

●大統一理論から究極理論へ

 ヒッグス粒子は、素粒子標準模型(標準理論)に残された最後のワンピースの素粒子だった。それが発見されたことで、標準模型は完成したといえる。我々の宇宙への理解はまた一段階段を上ったといえるだろう。

 しかし、これをもって我々が宇宙のほとんどを理解したとするのは大きな勘違いだ。それどころか、宇宙が依然として広大な暗黒空間として広がっていることに変わりはない。というのも標準模型は、宇宙の法則のうちごく一部を説明する狭い理論にすぎないからである。

 我々の宇宙には四つの力、すなわち「強い力」と「弱い力」、電磁力、重力があるとされているが、これらは宇宙が誕生したとき同じ一種類の力だったと考えられている。それが、宇宙が冷えるにしたがって別の力に分岐した(ように見える)のだ。

 だが、標準模型では弱い力と電磁力の二つしか統一されておらず(電弱統一理論という)、強い力は別物扱いのままで、重力にいたっては力が非常に弱く素粒子どうしの相互作用にほとんど影響しないという理由で、初めから除外されている。

 とはいえ、宇宙に四つの力があることは厳然たる事実なので、いずれ四力の統一に取り組む必要がある。まずは、電弱統一理論と強い力を統一することが求められ、これを大統一理論という。

 この大統一理論では、超対称性という新たな考え方が必要だろうとされている。超対称性とは、いわば物質をつくる素粒子と力を伝える素粒子の垣根を取り払う考え方で、現在判明している素粒子すべてに、スピンが異なる超対称性粒子が存在すると予言されている。ただし、超対称性粒子は一つも見つかっておらず、LHCには次の目標として超対称性粒子の発見が期待されている。

 しかし、もしかりに超対称性粒子が見つかり、大統一理論が完成したとしても、前述のように重力は除外されたままだ。重力もほかの三力と同様に、力(重力)を伝える素粒子をキャッチボールすることで力がおよぼされると考えられている。重力の場合はグラビトン(重力子)が交換されると予言されているものの、グラビトンもまた未だ発見されていない。

 我々が宇宙の物理法則を完全に理解したといえるのは、重力を含め四つの力すべてを統一した究極の理論をつくり上げたときだろう。だが、その道は果てしなく遠いのだ。

 さて、続く一章では素粒子とはどのようなものか、素粒子の世界を図解で見ていくことにしよう。ただし、ヒッグス粒子については本特集で紹介したので省略する。