goo blog サービス終了のお知らせ 

未唯への手紙

未唯への手紙

売買契約で一番儲かるのは不動産屋です。雀荘のおやじですね。

2007年11月10日 | 1.私
ブログのテンプレートをオレンジから変えました。ポータルもオレンジから変わるようになるけど、組織では自由にレイアウトを変えることができません。その権限などを牽制します。この辺も組織の弱みだと思っています。テンプレートという機能はあるけど、全体に対するメッセージを誰が発するかです。そんなことで、「あるけど、使わない」ことになる。

そんな「組織の論理」を維持するために、人が張り付く。張り付いた人は自分の役割をどんどん増やそうとして、余分なものを作り出す。こんな連中ばかりになっています。最初の論理を変えれば、そんなものは一層できます。そのポイントは、自分の判断で「色々やってみる」文化をつくることです。その点ではブログは発信者の自己判断で十分です。ブログ的な要素を組織の論理の中に入れることが、組織に活力を生み、想像力を作り出します。テンプレートを変えながら、そんなことを思っていました。

2時から、土地の売買の契約をするから、不動産屋に来るようにということで、その前に図書館に行って、昨日枠一杯で借りられなかった本を借りるだけだから、余裕一杯で豊田市に出かけました。

借りたかったのは、『ブローデル歴史集成』の三部作です。題目は20世紀最高の歴史家が遺した全テクストの一大集成で、Ⅰ.地中海をめぐって、Ⅱ.歴史学の野心、Ⅲ.日常の歴史でそれぞれが700ページぐらいの本です。25000円です。ICレコーダと同じ値段です。第2次世界大戦の捕虜生活中に最大の著作『地中海』を書き上げたそうですが、私はⅢ.日常の歴史という題名だけで借りました。本当に図書館という制度は凄いですね。本屋では、こんな本に出会うことも見ることもできません。

その時点で3階にいたけど、2時までには時間あるのと、上のコンサートホールに向かう年寄りを見かけたので、そのまま10階まで上がってしまった。女子高のコーラス部、ダンス部、ブラスバンド部の発表会を行っていたので、そのまま入り込んで最前列でスタンバイしました。ブラバンは全国大会金賞だということ、ダンスを見たかったけど、コーラスの途中で1時50分になり、退席。惜しかった。

道に迷い、5分遅れで契約室へ。色々説明があり、印鑑があり、最後に前受金の現金の授受。それぞれから、その現金の3分の1が不動産屋に。最後は雀荘のおじさんの一人勝ち?

仕事をμさんがやっています

2007年11月09日 | 1.私
未唯とμへ。もう一人の自分をμと命名したといいましたが、今日、DNPの人とポータルのパンフレットの検討している時に、私の中にμが現れました。彼女は相手のプレゼンに対してかなり怒っているみたいです。彼らは「商売」をやっているのだから、言ってもしょうがないのにと思いながら、そのまま彼女に渡しました。

彼らに「あなたたちは何のプロなのか」を説明してと言ったら、「我々を信じられないなら、この話はやめたい」とのこと。そういうプロみたいです。まあ、従来のやり方をする人たちを相手に商売を続けてください。μはそういう人を信用しません。プロとも認めません。だから、パートナーにはなりえません。そういうμを私は脇で見ていました。「凄いことをいうもんだ!」

μが降臨するというのは、こういうことだったのですね。まあ、このままでいきましょう。μが体を占領しているから、女性に対してもかなりきつくなります。だから、関係者は気をつけてください。多分、人事を含めて、全てが決まる年内はこんな状態でしょう。その間にかなりのものを失いと思います。それもいいでしょう。

4時に会社を出て、いつものように図書館へ。バスに乗っているときに会社の関係者から、仕事のことでケータイが掛かってきたみたいです。あとから電話するというメッセージが入っていたが、いつまでもたっても掛かってきません。電話が掛かってくるのを待っているのは好きではないので、ケータイを切りました。

図書館で久しぶりにフルの30冊を借りました。他に3冊ほど、歴史認識の本が借りたかったが、枠がありません。多分、誰も借りないから、読めるかどうかわからないけど。日曜日に借りましょう。

帰りにエイデンで、ICレコーダのネックストラップ&イヤホンを買いました。2千円です。お金の流出が続いています。これもμとのコミュニケーションのためです。これで、イヤホンで聞きながら、音声を入力できます。家でもストラップを着けているつもりです。これをやると、話した言葉がイヤホンから聞こえてきます、自分に話しかけている感覚になります。

奥さんからは、明日の2時に不動産屋さんに確実に来るようにという伝言がありました。日曜日に8時半から市場祭があり、カニが食べ放題ということを話した途端に、「あんたは気楽でいいね」という一言だけでした。つまんないの。

今日からμとの会話

2007年11月08日 | 1.私
未唯へ。μ(ICレコーダ)への入力を目覚めた時から入力していました。私は5時15分起きです。あなたが起きてくる2時間前です。この最近は眠たいです。

今日一日で65件です。茨城へ向かう電車の中でも入れていたし、帰りの新幹線でも入れていました。入力のポイントは何しろ、感じたら入れ込むということです。それによって、紙とかパソコンとかに頼らずに、自分の頭の中を深堀りします。

昨日のライブラリの設備計画の部長への説明での受け答えを聞いていて、東富士でのことを思い出しました。20年前にマッキントッシュとUNIXを光回線でつないで、技術者の環境の飛躍的な進歩を計画しました。これは私が技術者への最大のプレゼントです。何しろ、かなりの部分が自分でできてしまうのだから。

その時に、役員からお金がかかるから、許可できないというようなことを言われて、完全に頭に来ました。私は、あなたのため、このシステムを企画して、具体化してきた。全てはあなたのためです。それは、この会社のためです。お金がどうのこうのという前に、あなたは自分の方針を持っているのですか? この会社のためにどうしたいといっているのか? 設計者をどういう環境にしていこうとしているのか?

それらに応えず、一切のソリューションを出さずに、「お金がない」というのはどうにも理解できない。それで完全に頭にきて、本社に乗り込むことにしました。そのときの感情が浮かび上がってきました。
 
今回も販売店のことなのに、役員としてのイメージを出してきません。それで、私の一番苦手なお金のことで悩まします。私にはイメージは有り余るほどあるけど、貯金は4万円しかありません。(これは関係ないか。ICレコーダの衝動買いでまた減ってしまった)

帰りのバスの中で、東名高速の闇を見ていて、いつものトラウマがやってきました。
  暗黒の宇宙。本当にその中に漂っています。冗談じゃない
  そういう意味ではこれが自分の寿命です。トラウマです
  このトラウマは中途半端ではありません。存在そのものです
  だから、泣けてくるのです。自分以外には伝えられない
  だから、μ、あなたが頼りです

だから、ライブラリもμの判断基準で進めましょう。その結果がどうなるか? そうでもしないと、これだけの反対勢力を突破できない。

μ(ミュー)さんへの会話

2007年11月07日 | 1.私
未唯へ。もう一人の私の名前を「みゆき」にするつもりでいたら、それではあまりにも「現実的」すぎるからという指摘があり、名前を変えました。μです。読み方は「ミュー」です。あなたの「未唯」とは異なります。

この「もう一人の自分」という感覚は私にとっては自然ですが、私の席の左前の派遣さんに聞いたところ、通じませんでした。OZさんなら分かったはずです。時々、私が変化した時に、「今、もう一人の女性に変わっているでしょう」と当てられていました。

誰にでも、「もう一人の自分」はいます。それが認識できない人は、本当に自分を見ていない人だと私には思えます。さまざまな本を読んでいると、哲学系とか数学系では当たり前みたいです。

私の場合は、サラリーマンとして、抑圧されている部分が集まって、人格が構成されたのでしょう。その分、より自分に近いものです。年齢は38歳の女性です。2000年の2月にロサンジェルスのホテルで会った時は35歳でした。どうも、2年で1歳みたいですね。なぜ、女性かと言うと、男性=組織、女性=自由という感覚が私の中にあるのと、死へのトラウマになった時に、「あの女性がいる限り、大丈夫!」ということで回避してきたからでしょう。

今度のICレコーダの名前もμにしました。常時携帯するために、イヤホンをネックストラップに加工しました。これでいつでも聞けるし、気がついたら、その項目にコメントができるようにしました。だけど、今、一つおさまりが悪い。iPODのネックストラップに一体型になったものがあることを思い出したので、明日、茨城へ行く途中、秋葉原で見てきましょう。

今日は水曜日で外食の日だから、早速、ICレコーダでμと話しましょう。今後、水曜日をμと話す日にします。イメージはOZさんとのおしゃべりです。自分のことを語り合りましょう。その時はやはり、ケーキセットでしょうか。今日のテーマは「ICレコーダーの使い方」です。来週は彼女の近況をのんびり聞きましょう。それであまり焦る必要がないことを説得します。地球も捨てたものではないよと。

私にとっても、会社にとっても、社会にとっても、μを最終兵器にしていきます。下手したら、核弾頭よりも強い。彼女が出てきている時には、後先も、周りからの視線も周りへの影響も一切考慮しません。彼女の感情が最優先されます。

もう一人の私の名前を「みゆき」に変えます

2007年11月06日 | 1.私
未唯へ。この間から、どことも、だれともつながっていない状態が続いています。その対応として、私の最終兵器である「もう一人の自分」との関係をつけようとしています。

そのために、「未唯への手紙」にしたがって、論理を作りました。まだ、未完成だけど、自分の論理は分かります。

①「未唯への手紙」の「私」編を解析していて、ローカル(自分)からグローバル(社会)に向かう時には。「女性的な発想」が自分を救ってきたことを確認しました
 自分ではないアクティブな活動をしている時に前面に出ているのは、シャイな私ではなく、「もう一人の私」で、それを客観的に見ている「私」を感じたときです。
 このときはほとんどのしがらみを外して行動しています。

②ICレコーダが「もう一人の私」との唯一の通信手段
 ICレコーダに入力することは生活の一部なっています。そして、それをテキストに落とし込むことを10年ぐらい続けてきました。だけど、6月よりテキスト化を止めています。つまり、話すけど、聞いていません。おかげで、かなり考えることができたけど。孤立感が増幅しました。
 だから、もっと聞くようにしましょう。今までは入力中心だったけど、入れたものを、「もう一人の自分」として聞くようにしないと、孤立感が悪い方向に行ってしまいます。

③そうなると、ICレコーダの新しいものが必要になります。
 現在のものは、フォルダー数が5つしかないので、日毎のフォルダーにしにくい。そういう理由ができると新しいものが欲しくなり、出張前に買ってしまいました。24800円です。8代目のソニーのICレコーダです。貯金がまた減ってしまった。

あわせて、もう一人の私の名前は「もう子」さんだったけど、あまりにも色気がないので、「みゆき」にしようと思います。その理由はブログの「未唯への手紙」の相手は娘の未唯を意味したけど、「もう一人の自分」の「みゆき」も指すことにしたいためです。だけど、電算部のときに同じ名前の女性を思い出させます。「みやみや」は元気なのでしょうか。

東京行きの新幹線で、「みゆき」のセットアップを完了しました。内臓メモリーは1Gで、フォルダーは100まで拡張でき、各フォルダーに1000項目が入力可能です、今日一日で88項目を入力して、帰宅後に家のパソコンでフォルダーに入れ込みました。

プロがいない。時代に取り残された人ばかり

2007年11月05日 | 5.その他
未唯へ。あなたの周りにプロはいますか? 社会人1年生ではは皆、プロに見えるかもしれません。だけど、本当のプロは少ないですよ。私は東富士研究所で、初めてプロに接した時に、「これがプロだ」と理解すると同時に、自分も「プロである」と認識しました。それまではサラリーマンでした。

相談を受けた時に、「安くて、悪いものがあります。高くていいものがあります。決めるのはお客様です」というのは、プロではありません。単に自分が知っていることを述べているに過ぎません。プロは相談を受けると、自分の持っている全てのものを動員して、問題解決に当たり、その人にとってのソリューションを渡していきます。つまり、依頼者にとって、「安くて、いいもの」を提供します。

今日の二つの会議で、「こいつら、プロじゃない」と感じていました。

①DNPへのポータルのパンフレットの依頼
 今、困っている。時間が経てば経つほど、システムが使われずに放置されるという状況を聞きながら、「来年3月までにいいものを作りましょう」「他の部署ではビデオ作成だったから、ビデオにしたら」というだけです。スピード感と想像力がありません。
 私が提示した、「こんなカタチにできませんか」を無視して、数ヶ月かけてヒアリングする提案です。自分たちのやり方しか知らない人たちです。プロは依頼者がどこまで考えているかを理解し、共感するところから始めます。
 ポータルはグーグル的なアプローチを行っています。機能は提供するけど、コンテンツはユーザです。コンテンツを持っている人へのアピールです。そのPRをこなすことは、従来型ではムリです。

②ファイナンス
 関連会社では知恵が出ないので、ファイナンス会社でじかに提案してくれるように頼んだところ、担当者だけでなく、部長まで出てきたが、できない理由を述べるだけです。リースを切るというのが、いかに事務処理が発生するかという、自分たちの都合を話していました。リースを契約する時にはキッチリやるのに、8年後にリースを切る時の体制ができていません。
 何となく、“損保問題”を感じます。廃却から考えないと、リース文化はつぶれます。

ということで、プロがいなければ、私がやることにしました。ダメなものはダメ。当てにできないものは当てにしない。私はプロですからやり抜きます。

実家がなくなる

2007年11月04日 | 7.生活
未唯へ。あなたは裾野生まれだから、宮町の実家の思い出は少ないでしょう。私が高校生の時にそこに移りました。大学卒業後に、同じ市内の寮に入り、結婚して社宅に入居。その後に東富士の社宅で、長男が中学入学時にあわせて、奥さんが同じ町内に家を建てて、そこに移り住んでいます。

その実家、というよりも土地が売れました。父がなくなり、母が老人ホームに入るので、維持する必要がなくなり、母の同意の下で売却です。売りに出して、1週間もしないうちに買い手が見つかったそうです。豊田市はやはり、景気がいいのでしょうか。

社宅から、実家に引っ越した時に、コンクリートの壁に、初恋の女性の頭文字だけを書きました。未だに残っています。一番の思い出は一年間、予備校に行かずに、家で勉強した時です。

高校1年の時に、自分の存在理由が分からなくて不安定になっていた時に、風呂に入っている時に、「真理があるとしたら、数学しかない」と感じて、数学科に行くことに決めました。

名古屋大学に決めたのは、最初の受験の年からA3両面の公式集を受験に際して配布するというアナウンスがありました。これは私へのメッセージだと感じました。

皆は公式を記憶しておいて、スラスラ解くところを、私は毎回、公式を解いてから、本来の問題を解いていたので、倍の時間がかかっていました。常にゼロから解く訓練をしていました。これは、受験では大きなハンディです。名古屋大学は公式集を見ながら解けるのです。だから、他の大学を受験せずに、浪人を決めました。

浪人生活は、かなり充実していました。何しろ、誰にも邪魔されない。昼間は近くの川を散歩して、夜勉強していました。理科は100題だけに絞りました。数学は通信添削だけを行っていました。毎回、順位が出て、10番ぐらいには入っていました。カップももらいました。世界史は各国の因果関係を集中的に把握しました。古文は源氏物語を通読しました。英語以外はポリシーが持てました。おかげで、考える癖がつきました。

それを実家の4畳半のベットと机しかない部屋で過ごしました。おかげで、予備校の連中が全滅した年に、大学に合格しました。数学は満点でした。英語は35点ぐらい。入学後、メッセージを発信したのが四方教授だと感じて、彼のセミナーに決めました。おかげで、真理のヒントをつかむことができました。

枝廣淳子さんのパンフレットを配ろうとしたが

2007年11月03日 | 3.社会
未唯へ。12月22日(土)の枝廣淳子さんの講演のテーマは「私が変われば社会も変わる!!」です。本当はあなたみたいな女性に向けたメッセージを想定しています。仕事も大変でしょうが、たまには環境とか社会とかも考えるのもいいかもしれません。

枝廣淳子さんのパンフレットが届きました。本当はこのブログにアップしたのですが、yahoo側は画像の容量オーバーで上げることができません。だから、http://www.eco-toyota.com/event/shiminforum.pdfにパンフレットがあります。一度、見てくださいね。申込みは往復はがきでの申込みとなっています。eco-Tホームページ(http://eco-toyota.com/)のイベント情報でも記載されています。このまま行くと、環境の人ばかりになってしまう気がします。若い人の「きっかけ作り」になるのでしょうか。

昨日のエコットの運営ワーキングでも、インタープリターさんからは「若い人は暇じゃないから、なかなか来れない」という意見がありました。だけど、現在の環境問題の一番の影響を受けるのは、保険問題と同じで、今の若い人たちです。彼らが考えて行動することを促すために、講師としての29歳から変わり、現在世界的に行動している「枝廣淳子」さんを私は講師として推薦したのです。その思いが若い人に届かないのでは、意味がありません。

現実的に、若い人、やる気がある人がいる場所はわかっているので、正式にパンフレットを置くことを考えているけど、かなりの抵抗があります。こうなったら、豊田市の西口で手配りしてもいいけど、英会話とか金融業者とかインド人のカレーショップと一緒にされてしまうかもしれません。

やはり、図書館とスタバと大学サークルに思いを伝えないといけません。それをもとにして、エコットのレベルを「イベント」から「システム」に上げていかないといけません。私はそのためのファシリテーターです。

11月になったので、心機一転して、東富士のNAKさんにケータイからメールを送りました。1ヶ月前のメールには何もレスがなく、メールのトラウマが再発しました。そこから、どんどん孤立と孤独に入り込みました。少しでもレスがあれば、ここから抜け出るかと思って、送ってみました。さらに落ち込みそうな予感がしますけど。

枝廣淳子さんの講演のパンフレットを図書館へ

2007年11月02日 | 3.社会
未唯へ。昨日は東京の日本橋のホテルに泊まりました。BEA Japan Forum2007に出席のためです。7月のBEAの次期システムの発表でかなりのアイデアをもらったので、その続きを期待して参画しました。

場所は渋谷の新しいホテルの会場です。内容的にかなり、がっかりです。アメリカの創設者が来るので、コンセプトが聞けるかと思ったのに、技術担当の副社長です。面倒だから、同時通訳のイヤホンをつけずに、最前列で、ポータルのチラシの構想を練りながら、聞き流していました。

午後からのマクドナルドでの事例については電算部的な話で、マーケティングに興味しかない私には、「そんなの関係ない」の世界です。展示しているSUNとかHPもシステム防衛みたいな話ばかりです。私が望んでいる、『循環型社会構築』のためのインターネット・イントラネットまるごとのシステムの企画みたいな話はありません。本当につまらない!

セミナー途中で切り上げて、18時半からのエコットの運営ワーキングに向かいました。第一金曜日の6時半というのは、毎回きついですね。その割には、さほど歓迎されていません。毎回、異分子の役を行っています。だから、JURさんに迷惑をかけられないので、今回はケータイでの督促を止めました。

市民フォーラムの企画・運営については、12月22日に枝廣淳子さん講演会のパンフレットの印刷ができました。私としては、是非とも、図書館に来る人と、スタバに来る人、大学に通う人へ手渡したいと思っています。出席している環境政策化の職員に聞いたところ、パンフレット一枚置くにしても、担当課長の印鑑が必要ということです。

それが認められても、豊田市中央図書館では人が来ないところに50通り以上のパンフレットが置かれています。これでは思いが届きません。休みを使って、図書館のMIUさんとか、大学関係者に相談しようと思います。こういうときにJURさんがいると心強いのに。

最後に、「市民ボランティアの組織化」のテーマが挙げられていました。ずっと、私の「市民参画」実現のためのハードルだと思っています。持続型循環図で答は見えてきたが、カタチにすることはできていません。

エコットのような情報発信することが、若い人にとって魅力あるものにすると同時に、環境は「彼ら自身の問題」という認識が必要です。

チラシは3部構成でいきましょう

2007年11月01日 | 5.その他
未唯へ。今日は10時から埼玉・浦和の店舗に行くために、昨日の内に浦和に来ています。過去、3回埼玉の販売店本社にへ、来ていますが、その時は都心部だったので、あまり印象がなかったけど、今回は何となく、武蔵野風情を感じました。

狭い道があり、その中に、その町固有の喫茶店がある感じは好きです。ちょっと早めに、ホテルを出て、埼玉県立浦和図書館に寄ってきました。9時開館です。開館時間はいいのですが、県立図書館が3つに分かれているのは、やはり、県民には使いにくいのでしょうか、あまり使われている感じがしません。

市立図書館はネットで見ると、さほど力を入れていません。千葉県とは言いませんが、だサイタマにならないように、武蔵野の文学を感じさせる図書館が必要ですね。遅れそうになったので、タクシーで店舗に乗り付けたら、STBの調査部隊は来ていました。

午後からは、女性ともに、別の埼玉の販売店本社でポータルの説明です。ネットワークを含めて、独自路線で来た販売店です。次のポータルでは我々と同一路線にすれば、こんないいことがあります、というようなことを私が話し、実際の操作は例によって、女性が行いました。

今回はメリットを中心に話していたので、ポータルのイメージをかなり分かってもらったみたいです。女性が説明している間、ポータルのチラシの内容の確認を行っていました。3部構成にしようと思っています。

 ①Sa-ポータルはメッセージを伝える~コンテンツも含めて言い切うのと、店舗での人のメリットを述べる
 ②世の中のポータルと比べた時のポータルの特徴~それがタダで使えるすばらしさを述べる
 ③ポータルの機能を支えるもの~今、できているものと次に考えているものを述べる。どっちみち、そこまで考えている人はいないから。

終了後、日帰りの女性とは別で、販売店の人と食事をしながら、サファイアの世界を2時間ぐらい話していました。途中に、その思いを数年前に聞いていたら、独自路線はとらなかったのに!と言われました。今からでも遅くはありません。今からが、サファイアの輝く時代になるのだから。

札幌もそうですが、独自路線を取っている販売店の方が、私に対する理解が深いのはなぜでしょうか? 知恵を使おうとするからなのでしょう。