未唯への手紙
未唯への手紙
室長へ方向性のヒアリング。なければ作らないと
未唯へ。朝食はヨーグルトだけです。食べる気がしない。
バスでポメラ20で可能になった、デジタルライブラリの読書を開始しました。じっくり読むにはちょうどいい。
室長ヒアリングを設定しました。当室としてやりたいことを聞きます。店舗の情報共有、販売店マーケティングなどのアプローチの前に、販売店の実体をどうして明確化するのか、それはどこの仕事なのか。
聞いたところ、私の社長ヒアリングは枠外だけど、必要性は十分にある。部単位で考える。室の方向はないみたい。なきゃ作ればいいでしょう。
販売店のシステム担当者から、ネットワークのことをなぜ、メーカーが絡むのかという質問があったみたい。ヒアリングの趣旨をもっと明確にいていく。ネットワークが単独ではない。ましてや、クローズのイントラ環境をオープンにしていかないと、個別の制約にかかります。ネットワーク会社にも、その感覚がある。ローカルでの要望からグローバルを変えていくという、インタープリテーションの考えは理解しにくいだろう。
『E・モラン自伝』の「世界の残酷さ」の世界観に共感しました。15年前に『複雑性とは何か』で救われた。私の思考は正しかった。そのモランが12年間に書いた本です。機会があって、東大安田講堂まで講演を聞きに行った頃です。以下は気に入った抜粋です。
「宇宙は孤児として生まれた。宇宙は無限によって吐き出され、空間の分離と時間の分離の中に投げ出されている
「残酷さに対するこれらの微弱な抵抗力がなければ、生命は存在しないだろう。これらの微弱な力がなければ、荒廃しかないだろう。」
「専門化と細分化は責任に対する感覚をこわしてしまう。こうして無関心、不注意、盲目性による残酷さが増大する。これに対して唯一抵抗できる力が、協力、コミュニケーション、友情、共同体、愛の力の中にある」
「我々に生を信じることを可能にさせるのは、これらの微弱な力であり、我々にこれらの微弱な力を信じることを可能にさせるのが生である。もしこれらの力が存在しなければ、まったき強制に対する恐怖、大量破壊に対する恐怖、全体的な解体に対する恐怖しか存在しなくなるだろう。」
「世界の残酷さに抵抗するということは、分離の中での結合を維持しようと試みること、自由なものを自由にさせておきながら結びつけようと試みること、許しを与えながら改悛を喚起しようと試みることでなければならない」
「人間にあって、世界の残酷さに対する抵抗という形をとる、果てしない絶望的な努力の継続、これこそ、私が希望と呼びたいものなのだ」
バスでポメラ20で可能になった、デジタルライブラリの読書を開始しました。じっくり読むにはちょうどいい。
室長ヒアリングを設定しました。当室としてやりたいことを聞きます。店舗の情報共有、販売店マーケティングなどのアプローチの前に、販売店の実体をどうして明確化するのか、それはどこの仕事なのか。
聞いたところ、私の社長ヒアリングは枠外だけど、必要性は十分にある。部単位で考える。室の方向はないみたい。なきゃ作ればいいでしょう。
販売店のシステム担当者から、ネットワークのことをなぜ、メーカーが絡むのかという質問があったみたい。ヒアリングの趣旨をもっと明確にいていく。ネットワークが単独ではない。ましてや、クローズのイントラ環境をオープンにしていかないと、個別の制約にかかります。ネットワーク会社にも、その感覚がある。ローカルでの要望からグローバルを変えていくという、インタープリテーションの考えは理解しにくいだろう。
『E・モラン自伝』の「世界の残酷さ」の世界観に共感しました。15年前に『複雑性とは何か』で救われた。私の思考は正しかった。そのモランが12年間に書いた本です。機会があって、東大安田講堂まで講演を聞きに行った頃です。以下は気に入った抜粋です。
「宇宙は孤児として生まれた。宇宙は無限によって吐き出され、空間の分離と時間の分離の中に投げ出されている
「残酷さに対するこれらの微弱な抵抗力がなければ、生命は存在しないだろう。これらの微弱な力がなければ、荒廃しかないだろう。」
「専門化と細分化は責任に対する感覚をこわしてしまう。こうして無関心、不注意、盲目性による残酷さが増大する。これに対して唯一抵抗できる力が、協力、コミュニケーション、友情、共同体、愛の力の中にある」
「我々に生を信じることを可能にさせるのは、これらの微弱な力であり、我々にこれらの微弱な力を信じることを可能にさせるのが生である。もしこれらの力が存在しなければ、まったき強制に対する恐怖、大量破壊に対する恐怖、全体的な解体に対する恐怖しか存在しなくなるだろう。」
「世界の残酷さに抵抗するということは、分離の中での結合を維持しようと試みること、自由なものを自由にさせておきながら結びつけようと試みること、許しを与えながら改悛を喚起しようと試みることでなければならない」
「人間にあって、世界の残酷さに対する抵抗という形をとる、果てしない絶望的な努力の継続、これこそ、私が希望と呼びたいものなのだ」
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4.3 歴史の行方 7/7
(つづき)
トルコのEU加盟も大きな変節点になります。
ヨーロッパはトルコを必要としていた。ヨーロッパが冷戦を乗り越え、戦後復興を遂げるためにイスラム世界のトルコは不可欠な存在だった。トルコは宗教と政治の分離の原則の基で、NATO軍に参加し、イスラムへの攻撃基地も提供してしている。
9.11以降のヨーロッパとイスラムの宗教間対立が激化している。人口の大半がムスリムであるトルコが加盟すれば、相互の理解を促進できるという面と、対立を内在するという面を持ち、ヨーロッパ諸国の事情は複雑になっている。
EUは経済問題・政治問題・移民問題で2014年以降にトルコを入れることになる。EUは、拡大と統合によりかつての「敵」を内に取り込むことで、平和共存を目指してきた。その理念をを取り戻す時に来ている。
そのEUの思惑を越えて、トルコが拡大する可能性を持っている。ヨーロッパ、イスラム、アフリカ、そしてイスラエルを包含する、中東EUの可能性です。
新しい政治原理が動き出している。
中国の製造業が急激に発展したのは、グローバル化の流れによって、カネ、モノ、人の動きが自由になり、中国に外国からの投資が集中し、工業製品が世界中に流通する仕組みが生まれたためです。
民主主義から派生したが、民主主義は賞味期限切れになっている。リーダーシップを否定する「国民主権」はダメ。グローバル・マーケットで繁栄を謳歌する。
グローバルが「地球政府」という発想で、ローカルを従わせるのではなく、グローバルを使い切るローカルの知恵をベースとした、新しい“型”の政治原理・経済原理を作り出さないといけない。それがサファイアです。
ヒットラーの「我が生涯」には、個人の思考と全体の行動の関係が明確に示されている。それを可能にしたのは、戦争と大恐慌で、ローカルで思考する部分が欠落していた。社民党にしても、共産党にしても、多様性を無視した、ルールだけで行動する存在になっていた。
ヒットラーはローカル(ミュンヘン・プッチ)で行動することで、グローバル(ドイツ)対象に行動する。そのローカルが集まって、さらに大きなグローバル(ゲルマン)を動かしていく。
戦争がない世界を作るためには、ローカルから見ていかないといけません。その意味で、歴史においても、サファイア循環は可能であり、その立場から見ていけば、歴史を将来に生かすことができる。
トルコのEU加盟も大きな変節点になります。
ヨーロッパはトルコを必要としていた。ヨーロッパが冷戦を乗り越え、戦後復興を遂げるためにイスラム世界のトルコは不可欠な存在だった。トルコは宗教と政治の分離の原則の基で、NATO軍に参加し、イスラムへの攻撃基地も提供してしている。
9.11以降のヨーロッパとイスラムの宗教間対立が激化している。人口の大半がムスリムであるトルコが加盟すれば、相互の理解を促進できるという面と、対立を内在するという面を持ち、ヨーロッパ諸国の事情は複雑になっている。
EUは経済問題・政治問題・移民問題で2014年以降にトルコを入れることになる。EUは、拡大と統合によりかつての「敵」を内に取り込むことで、平和共存を目指してきた。その理念をを取り戻す時に来ている。
そのEUの思惑を越えて、トルコが拡大する可能性を持っている。ヨーロッパ、イスラム、アフリカ、そしてイスラエルを包含する、中東EUの可能性です。
新しい政治原理が動き出している。
中国の製造業が急激に発展したのは、グローバル化の流れによって、カネ、モノ、人の動きが自由になり、中国に外国からの投資が集中し、工業製品が世界中に流通する仕組みが生まれたためです。
民主主義から派生したが、民主主義は賞味期限切れになっている。リーダーシップを否定する「国民主権」はダメ。グローバル・マーケットで繁栄を謳歌する。
グローバルが「地球政府」という発想で、ローカルを従わせるのではなく、グローバルを使い切るローカルの知恵をベースとした、新しい“型”の政治原理・経済原理を作り出さないといけない。それがサファイアです。
ヒットラーの「我が生涯」には、個人の思考と全体の行動の関係が明確に示されている。それを可能にしたのは、戦争と大恐慌で、ローカルで思考する部分が欠落していた。社民党にしても、共産党にしても、多様性を無視した、ルールだけで行動する存在になっていた。
ヒットラーはローカル(ミュンヘン・プッチ)で行動することで、グローバル(ドイツ)対象に行動する。そのローカルが集まって、さらに大きなグローバル(ゲルマン)を動かしていく。
戦争がない世界を作るためには、ローカルから見ていかないといけません。その意味で、歴史においても、サファイア循環は可能であり、その立場から見ていけば、歴史を将来に生かすことができる。
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4.3 歴史の行方 6/7
(つづき)
4.3.4 グローバリズムの突破口
グローバリズムは、総力をあげて、ローカルを支援する。その動きはいろいろな所に表れている。歴史の変節点を迎えている。それに気付いてほしい。理念で歴史を作る時です。
アメリカの中間層は期待がもてます。
アメリカの公共図書館は税金で成り立つのではなく、中間層のソーシャル組織とボランティアでの参画で成り立っている。ニューヨーク図書館は9.11の際は、サンフランシスコ市のサイトよりも市民に接近した。
オバマはシカゴでソーシャルな支援を行っていたが、限界を感じて、政治の世界に向かった。彼の政策のバックボーンは中間層から下の部分の、格差を受けていた人々です。
アメリカの中間層にグリーン・ニューディールのような目的を与えれば、ローカルで考えている人たちを支援して、行動する人たちに勇気を与えるます。
グローバルでの歴史の変換点を考えてみた。
9.11の原因を追究してみると、イスラム社会の目的はアメリカの覇権からくる干渉をなくすことでした。当然、石油の利権も絡みます。環境問題でのゴアの発言も格差社会から出てきている。根は一緒かもしれない。
1989年は歴史的な年だと思います・天皇崩御以外に、1989.11.9 ベルリンの壁の崩壊と天安門事件が起こった。その60年前の1938.11.9 クリスタルナハトから、1939.9.1 ポーランド侵入とつながった。
アメリカ史で4番目の攻撃の日に、アメリカの思考回路が切れてしまった。アメリカ人は未だに何が起こったのかわからないでいる、ブッシュの単純な二元論が単に敵を作ることだけということには少しは気づいているが、イスラムとどう向かい合っていくか分かっていない
(つづく)
4.3.4 グローバリズムの突破口
グローバリズムは、総力をあげて、ローカルを支援する。その動きはいろいろな所に表れている。歴史の変節点を迎えている。それに気付いてほしい。理念で歴史を作る時です。
アメリカの中間層は期待がもてます。
アメリカの公共図書館は税金で成り立つのではなく、中間層のソーシャル組織とボランティアでの参画で成り立っている。ニューヨーク図書館は9.11の際は、サンフランシスコ市のサイトよりも市民に接近した。
オバマはシカゴでソーシャルな支援を行っていたが、限界を感じて、政治の世界に向かった。彼の政策のバックボーンは中間層から下の部分の、格差を受けていた人々です。
アメリカの中間層にグリーン・ニューディールのような目的を与えれば、ローカルで考えている人たちを支援して、行動する人たちに勇気を与えるます。
グローバルでの歴史の変換点を考えてみた。
9.11の原因を追究してみると、イスラム社会の目的はアメリカの覇権からくる干渉をなくすことでした。当然、石油の利権も絡みます。環境問題でのゴアの発言も格差社会から出てきている。根は一緒かもしれない。
1989年は歴史的な年だと思います・天皇崩御以外に、1989.11.9 ベルリンの壁の崩壊と天安門事件が起こった。その60年前の1938.11.9 クリスタルナハトから、1939.9.1 ポーランド侵入とつながった。
アメリカ史で4番目の攻撃の日に、アメリカの思考回路が切れてしまった。アメリカ人は未だに何が起こったのかわからないでいる、ブッシュの単純な二元論が単に敵を作ることだけということには少しは気づいているが、イスラムとどう向かい合っていくか分かっていない
(つづく)
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4.3 歴史の行方 5/7
(つづき)
グローバルの先は際限がないのは、確かです。
日本一の先はアジア一で、その次は世界一です。そのためには、どんな手段もとりうる。全体のバランスとか先行きではなく、いかに相手を負かすかだけの世界に入り込んでいく。世界も経済も環境も有限なのです。人間の能力だけが無限です。
グローバル間に挟まったローカル、アラブの一本のオリーブの木の存在感をグローバルが顧みることはない。ローカルは自分たちの存在感のために、自己犠牲・テロで表現する。
そして、迷走の世界に落ち込む。単純に破壊するのではなく、生活者がいるローカルの力との葛藤になる。ロシアは社会主義でうまくいかなくて、迷走していたが、資源を武器に再生してきた。新しい全体主義国家を築こうとしている。アメリカは方向を変えようとしているが、間に合わない。
グローバルの典型である、管理社会から、いかに抜けていくのか
管理社会としての東ドイツに対して、自由社会でモノがあふれている西ドイツという図式で、「ベルリンの壁崩壊」を理解していたが、TVで放映された、旧東ドイツ住民の思いは複雑で、格差だけでなく、プライドを傷つけている。
第3の道としては、北欧タイプとイスラム社会タイプが考えられている。北欧は高負担・高保障の世界です。イスラムは底辺の人たちと共に進む社会を前提としている。ヨーロッパは北欧タイプに行くカタチになっています。
日本の道は複雑です。道路とかダムとかのモノを通じて、社会の活性化してきたやり方を、直接、子どもとか老人を助けるやり方にする方向を民社党は目指している。より、社会主義に近いカタチになっている。グローバルとローカルがねじれたままです。
(つづく)
グローバルの先は際限がないのは、確かです。
日本一の先はアジア一で、その次は世界一です。そのためには、どんな手段もとりうる。全体のバランスとか先行きではなく、いかに相手を負かすかだけの世界に入り込んでいく。世界も経済も環境も有限なのです。人間の能力だけが無限です。
グローバル間に挟まったローカル、アラブの一本のオリーブの木の存在感をグローバルが顧みることはない。ローカルは自分たちの存在感のために、自己犠牲・テロで表現する。
そして、迷走の世界に落ち込む。単純に破壊するのではなく、生活者がいるローカルの力との葛藤になる。ロシアは社会主義でうまくいかなくて、迷走していたが、資源を武器に再生してきた。新しい全体主義国家を築こうとしている。アメリカは方向を変えようとしているが、間に合わない。
グローバルの典型である、管理社会から、いかに抜けていくのか
管理社会としての東ドイツに対して、自由社会でモノがあふれている西ドイツという図式で、「ベルリンの壁崩壊」を理解していたが、TVで放映された、旧東ドイツ住民の思いは複雑で、格差だけでなく、プライドを傷つけている。
第3の道としては、北欧タイプとイスラム社会タイプが考えられている。北欧は高負担・高保障の世界です。イスラムは底辺の人たちと共に進む社会を前提としている。ヨーロッパは北欧タイプに行くカタチになっています。
日本の道は複雑です。道路とかダムとかのモノを通じて、社会の活性化してきたやり方を、直接、子どもとか老人を助けるやり方にする方向を民社党は目指している。より、社会主義に近いカタチになっている。グローバルとローカルがねじれたままです。
(つづく)
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4.3 歴史の行方 4/7
(つづき)
4.3.3 グローバリズムの限界
グローバルの時代を作りあげてきた論理は、割と単純でした。資源などの有限を意識したところから、破壊が始まっている。
歴史の大きな流れをLmG(Local meets Global)からGmL(Global meets Local)への過渡期と見ています。
LmGは支配の論理が中心であった。ローカルな世界は、グローバルからすると、労働力であり、市場です。市場支配は武力行使を伴わないので、どの国も助けてくれない。イスラムはあくまでも、ローカルに固執している。
ローカルはグローバルでは支配できない。グローバルの中にローカル(つまり、生活)がある以上、完全なるグローバルは存在しない。イスラムはジハードも含めて、ローカルに徹する。
サファイア循環のポータルのように、ローカル側に受け手が必要となる。それをグローバルが新しい“型”として、徹底的に支援する。それがGmLです。歴史の主導権をローカルに渡していくことです。
TLAG(Think Locally、Act Globally)である、劇場型政治は独裁の始まりです。
個人の考え方で、全体をひとつにするやり方は全体主義につながる。ヒットラーは要求された、全ての政策を実施し、破って思考停止させたけど、小泉はマスコミが市民を思考停止にさせる。
彼らの論理はローカルな拘りをグローバルな拘りに置き換えて、一気に行動に移す。脱却方法は、TL≠TGであることを示すことです。AGとALの間にTL(Think Locally)という、市民のロジックを入れさせることです。
TLを行う市民を作りためには、政治を見せるポータルを作り、市民の活動拠点を作り上げることです。多様な要求をするだけでなく、実際ボランティアで訴えていくことです。
TLはローカル発想に変えることで可能になる
自給自足から経済社会へ向かうことは、ローカルがグローバルに吸収され、収奪の対象にされることです。ローカルの空間が次元の中に押し込まれて、解釈にさらされることを意味する。
EUのような連合が不戦の誓いのもとに作られて、グローバルを牽制しています。フィンランドのような小国が知恵ゆえに役割分担し、ドイツ・フランスなどの大国の変革も可能になっています。
個人からの発信をベースとして、ローカルがグローバルを使いこなす世界になりつつあります。個人・NPOを助けるグローバルな機能に注目して、世界観を変えていく。
(つづく)
4.3.3 グローバリズムの限界
グローバルの時代を作りあげてきた論理は、割と単純でした。資源などの有限を意識したところから、破壊が始まっている。
歴史の大きな流れをLmG(Local meets Global)からGmL(Global meets Local)への過渡期と見ています。
LmGは支配の論理が中心であった。ローカルな世界は、グローバルからすると、労働力であり、市場です。市場支配は武力行使を伴わないので、どの国も助けてくれない。イスラムはあくまでも、ローカルに固執している。
ローカルはグローバルでは支配できない。グローバルの中にローカル(つまり、生活)がある以上、完全なるグローバルは存在しない。イスラムはジハードも含めて、ローカルに徹する。
サファイア循環のポータルのように、ローカル側に受け手が必要となる。それをグローバルが新しい“型”として、徹底的に支援する。それがGmLです。歴史の主導権をローカルに渡していくことです。
TLAG(Think Locally、Act Globally)である、劇場型政治は独裁の始まりです。
個人の考え方で、全体をひとつにするやり方は全体主義につながる。ヒットラーは要求された、全ての政策を実施し、破って思考停止させたけど、小泉はマスコミが市民を思考停止にさせる。
彼らの論理はローカルな拘りをグローバルな拘りに置き換えて、一気に行動に移す。脱却方法は、TL≠TGであることを示すことです。AGとALの間にTL(Think Locally)という、市民のロジックを入れさせることです。
TLを行う市民を作りためには、政治を見せるポータルを作り、市民の活動拠点を作り上げることです。多様な要求をするだけでなく、実際ボランティアで訴えていくことです。
TLはローカル発想に変えることで可能になる
自給自足から経済社会へ向かうことは、ローカルがグローバルに吸収され、収奪の対象にされることです。ローカルの空間が次元の中に押し込まれて、解釈にさらされることを意味する。
EUのような連合が不戦の誓いのもとに作られて、グローバルを牽制しています。フィンランドのような小国が知恵ゆえに役割分担し、ドイツ・フランスなどの大国の変革も可能になっています。
個人からの発信をベースとして、ローカルがグローバルを使いこなす世界になりつつあります。個人・NPOを助けるグローバルな機能に注目して、世界観を変えていく。
(つづく)
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4.3 歴史の行方 3/7
(つづき)
4.3.2 国というまとまり
国の変遷は多様です。
農業国家:日本は組織が出来上がっていたので、ウチがまとまった時点で、海外侵略が始った。侵略したにもかかわらず、満州国のように、夢を託し、インフラから作り上げる傾向にあった。
遊牧国家:モンゴル帝国のように、統率された世界であり、実力の世界であり、全てを奪い取る世界です。力がなくなれば、ローカルの世界に戻る。一時的に統一はできるが、先には進めない。
都市国家:外敵から自分たちを守るために出来上がってきた。基本的には守りの文化のために、自分たちの活力はなくなり、取り込んだ人の活力が勝るようになり、交代しながら続いていく。
日本という国のイメージをふだんの行動で変えられないかと思っている。
そのためには、発言しよう。マスコミ・本・市民参画などで観察し、彼らの法則を見つけ、仮説・実証していく。それに基づいて、従来の選挙、マスコミではなく。新しいカタチで発信していきます。ブログ・ツイッターを始めています。
次に、新しい価値観の世界へのアプローチです。未来、アジア、環境をどうしていくのかの観点から見ていきます。あわせて、彼らの望むものと、我々の未来との差を明確にした上で、どういう具合に作るのかを提案していく。
そして、イメージを浸透させます。政治の世界へ入り込むことも必要だが、あまりにも暗黒の世界です。それよりも、会社の論理からのアプローチと、地域からのアプローチで、政治的な人を探り出します。
フィンランドを見ていると、大国の論理と小国の勇気を感じます。
アメリカ・ロシア・中国などは支配原理です。向かわせる方向はEUです。拡大しようとするロシアはアメリカと中国とぶつかることは必須です。小国への対応をしておきましょう。
フィンランドなどは、大国の争いの巻き込まれてきた。その上で独立した精神は強いです。守る心(シス)が集まって、EUの心になっている。互いに連携することで、新しい“型”を志向する。
その二つが混在となって、連携の論理が生まれた。第2次世界大戦当時の関係のように、敵の敵は味方のような論理ではなく、環境とかエネルギーとか、平和そのものを求めるなど、次元が変わってくる。最終戦争の概念を超えた時代へ。
(つづく)
4.3.2 国というまとまり
国の変遷は多様です。
農業国家:日本は組織が出来上がっていたので、ウチがまとまった時点で、海外侵略が始った。侵略したにもかかわらず、満州国のように、夢を託し、インフラから作り上げる傾向にあった。
遊牧国家:モンゴル帝国のように、統率された世界であり、実力の世界であり、全てを奪い取る世界です。力がなくなれば、ローカルの世界に戻る。一時的に統一はできるが、先には進めない。
都市国家:外敵から自分たちを守るために出来上がってきた。基本的には守りの文化のために、自分たちの活力はなくなり、取り込んだ人の活力が勝るようになり、交代しながら続いていく。
日本という国のイメージをふだんの行動で変えられないかと思っている。
そのためには、発言しよう。マスコミ・本・市民参画などで観察し、彼らの法則を見つけ、仮説・実証していく。それに基づいて、従来の選挙、マスコミではなく。新しいカタチで発信していきます。ブログ・ツイッターを始めています。
次に、新しい価値観の世界へのアプローチです。未来、アジア、環境をどうしていくのかの観点から見ていきます。あわせて、彼らの望むものと、我々の未来との差を明確にした上で、どういう具合に作るのかを提案していく。
そして、イメージを浸透させます。政治の世界へ入り込むことも必要だが、あまりにも暗黒の世界です。それよりも、会社の論理からのアプローチと、地域からのアプローチで、政治的な人を探り出します。
フィンランドを見ていると、大国の論理と小国の勇気を感じます。
アメリカ・ロシア・中国などは支配原理です。向かわせる方向はEUです。拡大しようとするロシアはアメリカと中国とぶつかることは必須です。小国への対応をしておきましょう。
フィンランドなどは、大国の争いの巻き込まれてきた。その上で独立した精神は強いです。守る心(シス)が集まって、EUの心になっている。互いに連携することで、新しい“型”を志向する。
その二つが混在となって、連携の論理が生まれた。第2次世界大戦当時の関係のように、敵の敵は味方のような論理ではなく、環境とかエネルギーとか、平和そのものを求めるなど、次元が変わってくる。最終戦争の概念を超えた時代へ。
(つづく)
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4.3 歴史の行方 2/7
(つづき)
個人だけで歴史は作られない。グループという環境が渦巻くことで、歴史という空間を創り出す。
アレキサンダー大王:古代マケドニアの王。マホメット:イスラム教祖。ヒットラー:ナチ総統で第三帝国。
個人を取り巻くグループが常にいた。チンギス・ハン:モンゴル遊牧民の騎兵集団。アレキサンダー大王:重騎兵、軽騎兵、歩兵の機動力。マホメット:一神教がゆえに迫害を受けた信徒集団。ヒットラー:共産党伸長に対する防衛策
グループが力を得ると変質する。他国への侵略を始めることでの求心力が発生すると同時に、自壊による破滅を防ぐために、グループを支持するカタチになる。敵対する者に対しての暴力的な対策が強力に働く。
日本におけるメディアは満州事変から、偏向した。
満州事変を伝えるラジオ放送は受けた。当時約六十五万だったラジオの契約者数は、これを契機に月平均六万ずつくらい増え、昭和七年三月には百五万六千に達した。ラジオの時代に突入したわけで、その影響で新聞も「号外」を連発するようになる。
新聞も変節した。この日の朝刊がともに俄然、関東軍擁護にまわったのですよ。繰り返しますか、それまでは朝日も日日も時事も報知も、軍の満蒙問題に関しては非常に厳しい論調だったのですが、二十日の朝刊からあっという間にひっくり返った
こうして「この全国民の応援」を軍部が受けるようになるまで、新聞の果たした役割はあまりにも大きかった。マスコミと一体化した国民的熱狂というものがどんなにか恐ろしいものであることか、ということです。
マスメディアの威力は、考えない人にはすざましいものがある。
日本国民が太平洋戦争を支持するに当たり、ラジオが及ぼした影響は大きい。松岡洋右は国際連盟脱退時に、ラジオのメッセージ性に気づき、国民との関係を変えていった。
ヒットラーのラジオ演説では、大衆は先導されるのを待っているので、それに応えた。ラジオは中央とつながる唯一の手段であった。クールなメディアのテレビと異なり、ラジオはホットなメディアであった。
今は、コミュニティがマーケティングを支配することも可能になった。個人からの発信である、口コミではなく、コミュニティからの発信がグローバルを動かしていく。そのためには、コミュニティに生涯学習として、考えるという機能を持たないといけません。
(つづく)
個人だけで歴史は作られない。グループという環境が渦巻くことで、歴史という空間を創り出す。
アレキサンダー大王:古代マケドニアの王。マホメット:イスラム教祖。ヒットラー:ナチ総統で第三帝国。
個人を取り巻くグループが常にいた。チンギス・ハン:モンゴル遊牧民の騎兵集団。アレキサンダー大王:重騎兵、軽騎兵、歩兵の機動力。マホメット:一神教がゆえに迫害を受けた信徒集団。ヒットラー:共産党伸長に対する防衛策
グループが力を得ると変質する。他国への侵略を始めることでの求心力が発生すると同時に、自壊による破滅を防ぐために、グループを支持するカタチになる。敵対する者に対しての暴力的な対策が強力に働く。
日本におけるメディアは満州事変から、偏向した。
満州事変を伝えるラジオ放送は受けた。当時約六十五万だったラジオの契約者数は、これを契機に月平均六万ずつくらい増え、昭和七年三月には百五万六千に達した。ラジオの時代に突入したわけで、その影響で新聞も「号外」を連発するようになる。
新聞も変節した。この日の朝刊がともに俄然、関東軍擁護にまわったのですよ。繰り返しますか、それまでは朝日も日日も時事も報知も、軍の満蒙問題に関しては非常に厳しい論調だったのですが、二十日の朝刊からあっという間にひっくり返った
こうして「この全国民の応援」を軍部が受けるようになるまで、新聞の果たした役割はあまりにも大きかった。マスコミと一体化した国民的熱狂というものがどんなにか恐ろしいものであることか、ということです。
マスメディアの威力は、考えない人にはすざましいものがある。
日本国民が太平洋戦争を支持するに当たり、ラジオが及ぼした影響は大きい。松岡洋右は国際連盟脱退時に、ラジオのメッセージ性に気づき、国民との関係を変えていった。
ヒットラーのラジオ演説では、大衆は先導されるのを待っているので、それに応えた。ラジオは中央とつながる唯一の手段であった。クールなメディアのテレビと異なり、ラジオはホットなメディアであった。
今は、コミュニティがマーケティングを支配することも可能になった。個人からの発信である、口コミではなく、コミュニティからの発信がグローバルを動かしていく。そのためには、コミュニティに生涯学習として、考えるという機能を持たないといけません。
(つづく)
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4.3 歴史の行方 1/7
個人が歴史を動かしてきたし、歴史に動かされてきた。それらを集まって、国での動きになってきた。Local meets Globalでグローバル化してきたが、その限界が来ている。それを救うのは、北欧などのThink Globally, Act Locallyの活動です。
4.3.1 歴史の中の個人
個人が考えることが歴史は始まります。
ローカルで考えるベースは個人です。普通は、個人確立の前に家族とか組織と出会う。その意識と同化しようとする。その方が楽だから。それが教育というものです。
会社では、範囲を決められる方が、自由に考えることよりもはるかに容易です。そこでは、考えることを要求されなくて、アクションだけを求められ、それに反応する人を選んでいる。
家族が一番狭い社会というけど、物理的な集まりよりも論理的な集まりの方が優先されるのが実体です。地域も同様のことが言える。考えるためには多様なものを許容することです。
革命かとしてのチェの場合を考えてみた。
革命かとしては、キューバ革命を実現して、南アメリカ全体に革命を拡げるために、アメリカ糾弾の演説を国連で行い、少数の若者と一緒に、コンゴ、ボリビアに行って、あっさりと射殺されてしまう。
私はめまい・五十肩・前立腺・視力低下・糖尿病を「できないこと」の言い訳にしてきたが、チェの喘息の病状に比べたら、健康です。彼は寝食を忘れて公務と勉学に励んだ。だから、わたしも「夢」を追います。
チェからカストロへの「別れの手紙」を調べました。チェが39歳でした。キューバでの革命をなしたが、違和感を感じて、カストロと袂を分けた。自分の夢を実現できた人間は。その夢からほおり出される。
「別れの手紙」は夢を追う人間そのものです。
『フィデル、初めて君と出会った時のこと、革命戦争に誘われたこと、準備期間のあの緊張の日々のすべてを。死んだ時は誰に連絡するかと聞かれた時、死の現実性を突きつけられ慄然とした。後に、それは真実だと知った。真の革命であれば、勝利か死しかないのだ。僕はキューバ革命で僕に課せられた義務の一部は果たしたと思う。だから僕は君に、同志に、そして、君の国民達に別れを告げる。君はキューバの責任者だから出来ないが、僕には出来る。別れの時が来たのだ。』
(つづく)
4.3.1 歴史の中の個人
個人が考えることが歴史は始まります。
ローカルで考えるベースは個人です。普通は、個人確立の前に家族とか組織と出会う。その意識と同化しようとする。その方が楽だから。それが教育というものです。
会社では、範囲を決められる方が、自由に考えることよりもはるかに容易です。そこでは、考えることを要求されなくて、アクションだけを求められ、それに反応する人を選んでいる。
家族が一番狭い社会というけど、物理的な集まりよりも論理的な集まりの方が優先されるのが実体です。地域も同様のことが言える。考えるためには多様なものを許容することです。
革命かとしてのチェの場合を考えてみた。
革命かとしては、キューバ革命を実現して、南アメリカ全体に革命を拡げるために、アメリカ糾弾の演説を国連で行い、少数の若者と一緒に、コンゴ、ボリビアに行って、あっさりと射殺されてしまう。
私はめまい・五十肩・前立腺・視力低下・糖尿病を「できないこと」の言い訳にしてきたが、チェの喘息の病状に比べたら、健康です。彼は寝食を忘れて公務と勉学に励んだ。だから、わたしも「夢」を追います。
チェからカストロへの「別れの手紙」を調べました。チェが39歳でした。キューバでの革命をなしたが、違和感を感じて、カストロと袂を分けた。自分の夢を実現できた人間は。その夢からほおり出される。
「別れの手紙」は夢を追う人間そのものです。
『フィデル、初めて君と出会った時のこと、革命戦争に誘われたこと、準備期間のあの緊張の日々のすべてを。死んだ時は誰に連絡するかと聞かれた時、死の現実性を突きつけられ慄然とした。後に、それは真実だと知った。真の革命であれば、勝利か死しかないのだ。僕はキューバ革命で僕に課せられた義務の一部は果たしたと思う。だから僕は君に、同志に、そして、君の国民達に別れを告げる。君はキューバの責任者だから出来ないが、僕には出来る。別れの時が来たのだ。』
(つづく)
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