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2.1 数学にあこがれ 6/6

 (つづき)

2.1.4 多様体としての社会

 社会を多様体と見なして、解析できる準備ができました。社会をローカルとグローバルで解析していきます。

 まずはモデル化です。一度、数式モデルで理解できれば、いくらでも応用がききます。対象も自由に変えていける。「アメリカ」をグローバルにするのと同じ感覚で、「将来」をグローバルにすることができる。単に次元が違うだけです。あとはイメージの世界です。

 次にインバリアントを見つけます。不変は真理の一部だけど、不変は絶対的なものではない。人間が決めたものだから、社会の変化、環境の変化で変えられる。インバリアントを規定することで、空間を作るのが正しいやり方です。それが多様性を表します。

 社会への適応するために、留意点があります。対象が大きくなるほど、目的が小さくなる。「部分は全体より大きい」ことを見つけ出しています。ローカルからグローバルを使いこなす近傍系の考え方を使えば、この定理を証明できる。社会現象を数学で汎用化ができます。

 先ほどから、無限次元空間を前提にしています。その説明を行います。皆は高々、3次元空間しか、住めないし、旅行できないけど、私は「無限次元空間」に住んで、旅することが出来ると、自分を信じています。これはトポロジストの特権です。

 無限次元空間が見えたのは、リーマン予測からです。リーマン予想が成立すると、{整数}を空間とすると、我々の住んでいる空間が無限次元空間であることになります。リーマンは、社会全体、宇宙全体が無限次元であることを証明するために、予想を立てた気がします。社会は無限次元という巨大な空間のサブセットとして、存在してします。これだけ大きければ、どんなものでは入ります。無限次元空間は、どこまでも拡大していく空間です。ビックバーンの宇宙のようにどんどん拡大しつづけます。
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2.1 数学にあこがれ 5/6

 (つづき)

2.1.3 多様体を発見

 私の思考の武器は多様体です。多様体について、述べます。数学の目的は、そこにあるもの、仮想なものを解析することです。その逆に都合のいいもの作ってもいいけど。

 数学の対象はさまざまです。まずは擬似空間を作り出します。ローカルの点に対して、グローバルの座標に対応させます。グローバルの座標が同一のもので、ローカルの空間を作ります。組み合わせで、現象に対しての擬似空間が作られます。

 この擬似空間はインバリアントというものを持っています。社会で言えば、あまり好きな言葉ではないけど、「常識」です。インバリアントが変わると、空間すべてをゼロから作り上げることになります。社会だと、常識が少し変わっても適当にごまかします。この忍耐力が数学者の数学者たる所以です。インバリアントを見つけだすのは数学的センスです。

 リーマン証明は正しい。その結果で、この世界は無限次元空間です。擬似空間にすれば、空間の性質が見えるようになります。次元のとらわれずに、無限次元空間でも見えます。単に次元が無限あるだけです。無限は、我々に自由を与えてくれます。それが数学者の視線です。シミュレーションすれば、未来予測もできる。というよりも、未来も過去も宇宙空間のように広がってみえます。そこから探せばいいんです。

 数学の対象の拡大をおこなった。まずは、物理の世界です。18世紀ぐらいまで、、数学は物理学に従属させられていた。クライン以降、幾何学は独立を果たした。リーマン面の考えが先にあったので、アインシュタインの相対性理論の裏付けができた。複雑性理論の考えはさまざまな現象に対して適用できる。理論が現象をつなげていきます。

 次に、歴史・社会への拡大です。ここでの切り口は、ローカルの世界からグローバルの世界に向かう動きです。経済などは、過去の経験を単に拡大してるだけです。環境など有限が見えてきた世界でのモデルが必要です。数学はトポロジーというモデルを事前に用意しています。

 それらから、対象を汎用にした、グランドセオリーの可能性を感じました。今になってみると、近傍系というローカル、秩序というグローバル世界から、サファイア空間で、グローバルからのファシリテーション、ローカルからのインタープリテーションという写像をセオリー化すると、様々な現象の説明ができるということです。。


 これらの考え方はトポロジーの二つの視点からなっています。ローカルとグローバルの視点です。

 ローカルからはじめるに当たって、近傍系を規定します。一つの任意の点をよく観察して、その周辺で同じ規則が成り立つ点の集まりを規定します。それらが開集合である限りは連鎖していきます。

 同じ性質のものは同じというのが、トポロジーです。モノをつなげます。それをチェーンでたどっていきます。端まで来たら、その先がないかを探る。特異点があれば、避けてつなげていく。そこでつながったものを規定します。

 その上で、挙動をみて、ある種の性格があれば、空間と呼びます。その上で成り立つ性格は連続性が保証しているので、疑似空間として、実際での空間の挙動をシミュレートできます。


 それらを、グローバルから見ていきます。

 その擬似空間から、共通し、それを集合ならしめる性質で、分かりやすい空間へのマッピングした時に、二つの空間が同じような動きをする時に、二つの空間を同じに扱える。それにより、本質が抜き出せます。

 実際の空間は色々な側面を持っている。そこから、ある性質を抜き出すことができるのです。射影空間をイメージすると分かりやすい。Think Globally, Act Locallyを軸に作り出される、社会的な発想もこの中に入りうる。

 (つづく)
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2.1 数学にあこがれ 4/6

 (つづき)

 私に影響力があったのは「解析概論の世界」です。

 入学した1969年は、70年安保の前年で、大学紛争の時代であった。日大闘争、東大闘争、安田講堂の攻防戦と続いた。東大入試がなくなり、京大志望の連中が流れ込み、名大の志願者数も上がった。自宅浪人の身には、勉強する以外、何もなかった。数学の通信添削はゲームだった。いい答えを出すと、トロフィーがもらえた。全国との唯一のつながりだった。

 入学した1970年は、教養部が封鎖になり、授業もなくなり、試験もなくなった。学部生による、自主ゼミの「数学とは何か」はおもしろかった。冷静に数学を眺められた。教養部封鎖解除の時は、古川図書館まで呼びに来たので、出かけていった。ブロックが飛んでこないところで見ていた。数学的には意味ないことです。

 封鎖中も通学していた。家から自転車で15分で豊田市駅へ。名鉄電車で知立経由で名古屋駅へ。名古屋から地下鉄で本山へ。そこから30分歩いて古川図書館へ。行きは2時間で、帰りは2時間半かかった。時間があれば「解析概論」を眺めていた。こんな世界があるんですね。公式証明の後に、感嘆符が書かれていた。それに感激していた。基礎の演習問題は苦手でした。基礎体力のなさから、大学院はあきらめた。卒業時に、親が定年退職でお金もなかった。


 就職してから、他の人が大学では、何も得るものがなかったと聞くことがおおかった。私は違います。SIK教授との出会いがありました。

 今、考えると、右脳だけで合格した。合格できたのは、数学と理科の点数のおかげです。共に満点に近かった。英語は自己採点では35点でした。無理矢理、覚えていったことは、まるで当たらなかった。記憶力を捨てて、考えることに集中したおかげだと思います。覚えることは青春の無駄遣いです。

 大学生活が有意義だったのは、SIK教授のおかげです。数学とは何か? 考えるとは何か? を教わりました。教養部では、孤独の世界で、解析概論だけで、考えていた。学部にSIK教授が居たから、助かりました。会議など、ムダなものはしなくてもいいということも習いました。自分の世界を作っていました。

 3年生の授業では、半年間、黒板に書かれるのは、三角形だけでした。そこから、幾何学の基本のインバリアントの考えを徹底的に習いました。

 数学は作られたものだから、作ることができる。

 4年のゼミの受講生は、3人でした。『リーマン面の概念』の本で進めていたが、全てに脱線していました。一年間で10ページ進んだだけです。リーマンがなぜ、リーマン面を作ったのか、リーマン面が理念そのものであることを理解できた。

 (つづく)
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2.1 数学にあこがれ 3/6

 (つづき)

2.1.2 数学科で考える

 数学で考えることに集中しました。

 1年間かかって、コンプリート・インバリアントと空間との関係にたどり着いた。それを使えば、どんなものでも数学の対象として考えられる。3年の夏休みに、SIK教授から出た課題は「自分の数学を作れ!」でした。その時に、数学を社会へ適用することを考えた。

 入試に公式集を出すことを推奨したのはSIK教授だと分かりました。定理を覚えるのは数学ではない。本質さえ分かれば、応用はききます。考えればいい。公式は覚える必要はないという、SIK教授からのメッセージを受け取った。

 そんなSIK教授と30年後に、話す機会があった。同行した人が、当時の私の様子を尋ねた。それに対する答えは「何を考えているかは分からなかった」でした。これは意外です。だけど、私にも私が何を考えているか分からなかったのは確かです。


 数学とは何か」これは教養部封鎖中の自主講座のテーマでした。テーマの大きさが好きでした。数学での思いです。

ストが続いて、演習はなかった。高校の時に、微積分の演習をしてきていないので、演習は嫌いでした。計算の世界は諦めた。授業がない時は古川図書館で自分の世界に入り込んでいた。いい風が吹いていいた。封鎖の時も、毎日、電車で図書館に通っていた。数学と2週間に一度くらい、すれ違う、初恋の女性が動機でした。

浪人中に続いて、孤立と孤独の世界にいた。常に一人です。考えることで見えてくることが好きだった。答は教えてもらうのではなく、答は作り出すものを自主講座で学んだ。それだけで十分です。空間も自分で作り出すものです。覚えても、試験には出ません。考えることに専念していた。そうしている間に他人の出す答が魅力的ではなくなってきた。

4年生になると、計算とか、無為なロジックの組み合わせの数学に魅力がなくなった。計算の世界の替わりに、SIK教授流の「何でも数学」思考で考えることを徹底された。自分で数学を定義することは空間そのものを作り出すことになる。その自由度に勝るものはなかった。天地創造の神になった感じです。それを社会を解析することが真理に近づくことです。

(つづく)
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2.1 数学にあこがれ 2/6

 (つづき)

 中学の時に、真理を探るには、数学と決めた。

 なぜ、哲学ではなく、数学かというと、割といい加減な理由です。

 数学は楽だった。寝ながら、数学の問題を解いていた。こんな楽なことを皆はなぜ苦しむのか分からなかった。幾何は単なるパズルでした。高校の時に、皆の発想と、自分の発想が異なることを発見した。どうも、右脳だけで解いていた。

 また、数学は楽しかった。シンプルにすることで、さまざまなことが分かってきた。関係ないことがつながってきた。対象を変えても、数理は共通だった。

 大学の受験に関しても、100題あれば、全ての問題を解くことができた。記憶しなくてもゼロから考えれば、すべて解けてしまった。記憶力がなかったので、時間がかかるのが悩みだった。

 大学の数学はさらに楽しいものだった。カテゴリーとか、無限の考え、トポロジーなどの発想一つで、世界が広がった。空間認識ができるだけで、どんどん広がった。だけど、実習では計算力と忍耐力が試される、微分方程式解法の基礎力がまるで足りなかった。考えても、答えが出てくる世界ではなかった。


 一年間の浪人生活を味わった。

 名古屋大学理学部数学科に早々と決めた。受験時に、公式集を配布してくれたのは名古屋大学だけだった。これは、私へのメッセージと感じた。思考中心の私には、記憶するのは、大きなハンディです。名古屋大学は公式集を見ながら解けるのです。どんな人がそんなことを決めたのか、見たかった。だけど、英語は単語集を貸してくれなかった。

 浪人生活は充実していた。

 昼間は川を散歩して、夜、独学していました。理科は100題に絞り、数学は通信添削だけにした。世界史は因果関係を把握するために関係図を作り、古文は源氏物語を通読しました。おかげで、一人で考える癖がついた。4畳半の部屋に一年間、続けた。

 東大入試がなく、予備校の連中が全滅した年に、大学に合格しました。数学は満点でした。英語は35点ぐらい。これ以降、記憶力はあきらめた。一年間、孤立と孤独の中で、目的を設定し、考えることを中心に生活した。

(つづく)
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2.1 数学にあこがれ 1/6

未唯へ。未唯空間2.1 数学にあこがれのエッセイ化第一弾をアップします。

2.1.1 真理を求めて

 真理を求めてやってきた。

 真理とは何でしょうか。

 まずは、不変であることです。数学の言葉では、インバリアントです。インバリアントのレベルはさまざまです。トポロジーでは、一つの空間のすべてを表現できるものをインバリアントといい、そのインバリアントから、空間そのものが出来上がるものをコンプリート・インバリアントという。つまり、空間そのものです。

 次に、価値があることです。無意味ではなく、それをベースに社会を変えていくもので、この社会を表現するものになります。世の中の価値とか常識は、それを支配している連中の価値観だから、変わっていきます。バリアブルです。それでも価値のあるものが真理です。

 最後に、超越していることです。個人とか、組織の次元を超えているものは簡単に作れます。集合を一つの塊にして、塊の塊、集合の集合を作り出せばいい。それはあたかも、宇宙創造です。そこに時空間として、ビックバンでつじつまをつければ済む。


 数学の真理について、述べます。

 数学を規定するのは様々な不変です。それは固定することではなく、循環していきます。不変と循環からのバランスです。

 不変なものをベースにしながら、変わりゆくバランスは微妙です。この関係を数学は克服していた。ものごとをグローバルとローカルで関係付けることは理論化されていました。

 その時にベースになるのは、ローカルとグローバルの接続です。内なるものとしての自分と全体としての宇宙を一緒に考えられることができ、見ることもできます。ローカルでの近傍系でグローバルの座標系と関係付けて、多様性を表せる。トポロジーの多様体はシンプルでありながら、強力な表現力を持ちます。

 数学で真理を探るためには、ゼロから積み上げることです。デカルトのように、すべてを否定する必要はないが、自分自身で思考することです。気付きをつなげていくことです。

 数学は定理を覚えるのでもなく、真理を探るものです。どこでも数学はできます。ちょっとした差が大きな変化が発生させるので、毎回、原因に戻ります。これは社会にも通じます。そこで見つけたのは、サファイア循環であり、その上に作り上げているのが未唯空間です。

(つづく)
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「組織」についての雑感

未唯へ。夜中の2時から、「組織」のことを考えていた。

なぜ私が組織を信用しないのか。組織は現状を守ることが目的になっている。特に作ることが主体の組織は自浄機能を持たない。いつまでも作るものを探している。作ることしかしていない人は、それが無駄であることを知ろうとしない。作れば、売れていた時代の幻影にしがみついている。

全体の循環からみると、人の配置もいびつであることに気付かない。気付いたものをパージする。組織を破壊するものと言うレッテルを貼る。下のものに対しては、非効率者と見なす。言われたことをやっていればいいのに、「これでは販売店がやっていけない」「実体がどうなっているか調べたい」「腹に落ちていないのに、資料は書けない」「上流にも働きかけないと」

考える人を否定するのが、無能な職制の仕事になる。その人は、部下の疑問にも答えないし、自分が考えることはしない。そんなことをしたら、唯一できる「お仕事」を否定することになる。今は、「作る」時代から「使う」時代に変わっている。効率的に、作っても、ゴミが溜まる時代です。「使う」ことから発想しないといけないが、目の前のこと、今のことを見ない、ギリシャ人のような組織の人は変わらない。

だから、末端の人たちからのヒアリングです。「作る」矛盾がすべて集まっている販売店での思いを集めます。組織が変わらないと、組織がお客様との接点の販売店を支援させるようにします。全体の循環を意識すれば、自分がすべきことがわかるはずです。やるべき最大のことは、組織を一度破壊することです。

坂本竜馬が居ても、薩摩・長州が居なくては、幕府は転覆できないと、販売店ヒアリングの最初に述べたが、薩長のような物理的な力ではなく、一枚の資料からの気付きから、組織は変えられる可能性に掛けます。

なぜ、組織のルールに従わないかというと、今回のプロジェクトのターゲットが組織そのものだから。組織の中で、自分の手柄になればいいと思っている人間を、末端まで考えようとするファシリテーター、つまり、パートナーは無視すればいい。かれらはなくなる存在だから。それを実証しましょう。そうすれば、販売店は救われます。この楷書も社会も救われます。

今は、パートナーと話している時が一番楽しい。反応がおもしろい。なぜ、皆のことを考える人と自分のことしか考えない人がいるのか。そして、後者の連中の多いこと。パートナーは、この室でやる理由を求めます。言われたからとか、自分の成果になればいいという、連中と本質が異なっている。私が好きなところです。
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