未唯への手紙
未唯への手紙
時間もディスクリートなのです
未唯へ。未唯空間は、近傍系の集まりです。だから、それ自体はディスクリートです。宇宙が暗いのは素数のようにディスクリートだからです。。そこまで、考えたところで、時間もディスクリートであることに気付きました。時間は連続ではなく、さまざまな時間が近傍系に依存している。
東富士の構内を歩いている時に感じた、時間はスライスしているという感覚、ハルヒのループする世界、SFの世界の説明が可能です。時間のつなぎ方もディスクリートです。それをつなげたのは、ファンクションだけです。そういう構成になっています。
近傍系の中では、常に、空間を再構成している。点の集まり方で、全体の様相は異なってきます。組織論のように、「全体ありき」ではありません。点の能力で、近傍系の能力が、その時点で決まります。フィンランドのノキアの会議の仕方に似ています。彼らは、世界中から関係者を集めて、ディスカッションして、決めたことをそれぞれがバラバラに実行します。
それが実体なのでしょう。だから、今から核を作っていきます。核はいくつでもあります。それらからどれを選ぶかというのは、<今>という視点がなくてはムリです。<今>から、再構成できます。それぞれの人が世界観が作れるのです。
本を読むにしても、得たものを再構成して、事実を元にした空間にしていくことが重要です。だから、人間は、人のことを聞くのです。その時に話せる人は少ないので、「本」という手段を使うのです。それが本を書く理由です。
私の場合は、多読・速読から「未唯への手紙」が生まれ、サファイア循環を経由して、未唯空間につながった。そして、得てきたものを近傍系としてまとめています。
再構成した未唯空間があるから、前のものが生きてきます。そこから、新しい空間を作り出します。今から、過去へのバックキャスティングです。そして、歴史は再構成されます。
私の手許に、700ページの『南アフリカの歴史』248.7トン、520ページの『坂本龍馬日記』289.1キクがあります。著者は細かいことを集めて、記述しています。自分でないものに対して、再構成させるためのメッセージです。時間がディスクリートだから、意味を持つのです。
時空間をディスクリートとすると、その間を埋めなくて済みます。これが一番の成果ですね。つなぐのは、ファンクションです。
東富士の構内を歩いている時に感じた、時間はスライスしているという感覚、ハルヒのループする世界、SFの世界の説明が可能です。時間のつなぎ方もディスクリートです。それをつなげたのは、ファンクションだけです。そういう構成になっています。
近傍系の中では、常に、空間を再構成している。点の集まり方で、全体の様相は異なってきます。組織論のように、「全体ありき」ではありません。点の能力で、近傍系の能力が、その時点で決まります。フィンランドのノキアの会議の仕方に似ています。彼らは、世界中から関係者を集めて、ディスカッションして、決めたことをそれぞれがバラバラに実行します。
それが実体なのでしょう。だから、今から核を作っていきます。核はいくつでもあります。それらからどれを選ぶかというのは、<今>という視点がなくてはムリです。<今>から、再構成できます。それぞれの人が世界観が作れるのです。
本を読むにしても、得たものを再構成して、事実を元にした空間にしていくことが重要です。だから、人間は、人のことを聞くのです。その時に話せる人は少ないので、「本」という手段を使うのです。それが本を書く理由です。
私の場合は、多読・速読から「未唯への手紙」が生まれ、サファイア循環を経由して、未唯空間につながった。そして、得てきたものを近傍系としてまとめています。
再構成した未唯空間があるから、前のものが生きてきます。そこから、新しい空間を作り出します。今から、過去へのバックキャスティングです。そして、歴史は再構成されます。
私の手許に、700ページの『南アフリカの歴史』248.7トン、520ページの『坂本龍馬日記』289.1キクがあります。著者は細かいことを集めて、記述しています。自分でないものに対して、再構成させるためのメッセージです。時間がディスクリートだから、意味を持つのです。
時空間をディスクリートとすると、その間を埋めなくて済みます。これが一番の成果ですね。つなぐのは、ファンクションです。
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