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ヘッドロジックと「情報共有」との関係

未唯へ。もうじき、定年です。私のやりたいことはできていません。「思いが通じない」2年間で、私の思考と、販売店システムでの仮説と実証は進んできました。この答が見えてくるまで、やり続けるつもりです。答が出た時には、社会に問い掛けようと思っています。

今の基本は「未唯空間」というロジックが中心です。そのロジックがなぜ、生まれたのか? それがなぜ、正しいと言えるのか? 「未唯空間」を「情報共有」とつなげるモノは何か?

会社でのシステム設計の経験の中で、「ロジック一つで、様相が変わる」ということを最初に体験したのが「ヘッドロジック」です。トポロジーの近傍系の考え方を、車の部品構成を変更する際の設計者の思考パターンに当てはめました。クルマの基本で言えることは、正しいのです。それを実証しています。

「情報共有」から、新しいものが生まれるのは、個人が新しい座標、次元を超えられるかです。アイデアを出すのに、次元を固定してはダメです。基幹システムは次元を固定して、その中に個人を封じ込めています。それらからは何も出てきません。次元の束縛しか出てきません。それではつまらないでしょう。

型にはめるということは、次元に収めることです。「型から入って、型から抜ける」というのは、最低限の次元で近傍系を確認したら、多様な次元に進むということです。つまり、点から次元を作り出すことです。日本の文化は、そういう文化です。

ヘッドロジックを考えた理由は、部品表の中の品番が、番号として扱っていては、クルマがどんどん変わっていく時に、実体が見えなくなってきたからです。モノではなく、目的を持った点と見なし、クルマをそれらの<積>とすることで、システム化がかのうになりました。

そこから、組織全体を柔軟に作り上げればいいのです。これはトポロジストだから、できるのかもしれません。数学は部分が変われば、全体を根底から組み替えることができます。組織を固定して考えると、部品の目的がどんどん小さくなっていきます。

私の周りの人たちは、それらの論理が分かっていません。自分がその中に埋め込まれているから、それを強制してきます。それでは、組織はつぶれるだけです。モノの威力だけで、売って来た、クルマのマーケティングが変わろうとしています。

とりあえず、「未唯空間」を見えるようにします。
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