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ノブ君のおごりで焼肉

未唯へ。あなたの時はなかったし、長男のときもなかった。遡ると私の時もなかったことが起こりましたね。

ノブ君はちょっと変わっています。世の中の人間からすると、我々の方が変わっていると言われますけど。何しろ、大学で長野に行っているときも、お中元で「りんご一箱」送ってくるのだから。

なんと、初任給で家族を食事に連れて行ってくれるということ。これではほとんど、世間並みです。最初に、それを小耳に挟んだときには、その「家族」の中に私が入っているか心配しました。

なんと焼肉屋だそうです。6時過ぎに出かけていきました。配車は私一人と「家族」4人の組み合わせです。大体、帰りは私を除く「家族」で寄り道してくるパターンです。

こうい外食に慣れていないから、本当に様子が分かりません。奥さんは水だけで、ノブの負担が少しでも少ないようにしていました。長男だけは普通でした。世の中の家族とか妹の家族ではこういうことは頻繁みたいで、どんどん注文していました。

昨日、「未唯への手紙」の「7.生活」編の推敲をしているときにハッキリ分かったのは、普通は自分⇒家族⇒社会⇒世界⇒宇宙という具合に、大人になるにつれて、認識が拡大していくのに対して、私の場合は、中学の時に、自分⇒宇宙に一気に拡大してしまい、その間の家族とか社会の存在が後付されてしまった、ということです。

「何のために生まれてきたのか」が先にあり、誰から生まれてきたかというのは認識がなかった。実家へは勝手に入っていくのですが、なぜ私がこんなことをしても、誰も怒らないのかという疑問が湧きました。親だから、とか、子だからとかがないのです。だから、ノブに対しても父だからという感覚もないのです。

そのために、家族とか、社会に対する親和感がハッキリしていないので、世の中の常識に従うぐらいしかできないということです。

「宇宙に一人ぽっち」から始ったので、数学とか、茶道とかがピッタリきたのでしょう。デカルトにしても千利休にしても、同じようなものを感じます。そんなことを、カルビとかタンとか食べながら、考えていました。

先に家に帰ったら、玄関の鍵がなくて、裏からコソコソと入って、シシャモ8匹焼いて食べました。一昨日、スーパーで24匹で258円で買ってきたものです。こんなに安くてもいいのか!
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