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エリティンが亡くなった

未唯へ。ロシアのエリティンが亡くなりました。これは大変なことです。

これで、ロシアの全体主義化は確定しました。10年後から見たときに、現時点がターニングポイントになる可能性を持ってきます。ナチスの歴史で、ヒンデンブルグがなくなったときのように。これは「歴史」認識の部分に入り込んでいきます。

エリティンはゴルバチョフから政権を奪い取りました。その過程でハンガリーとかバルト三国、そして、ウクライナを手放しました。そして、財をなしました。彼にとって、ロシアだけで十分なのです。その過程を追及されると、自分にとって、一番都合のいい男を後継者に指名しました。

ソ連時代のフルッショフのスターリン批判にあるように、後継者に訴追されることを避けたのです。その一点だけで、小心者のプーティンを選んだのです。これは日本の会社でも多く見られます。なぜ、この人が?というときは、大体このパターンです。

プーティンはあまり表に出ず、ひたすら路線を継承して7年経ちます。チェチェンについても彼は紛争と思っていないのでしょう。何しろ、言われたからそうしているのだから。

この無知を利用するやり方は伝統的です。知ることが基本になっていません。ましてや考えることも不可能にしています。一つの例として、チェコへの軍事介入した時に、当時のロシア軍はチェコに同情的になっていて、弾圧ができなかった。そこで、シベリアの軍隊に出動をかけ、「彼らはドイツ軍で、ナチの残党だ」とけしかけた。シベリア兵はそれを単純に信じて、徹底的に弾圧しました。

何しろ、あれだけの領土で、地方自治の伝統がないのは、考える人を一部の人にしているのです。商業・工業のインフラを握ったものが全てを握るやり方です。ロシア革命のときも、レーニンたちが把握したのはペテルスブルグとモスクワだけです。それなのに地方はそれに従ったのです。その意味では、自治を考える部分(東欧)を持たない方が支配しやすいという意味では、エリティンは狡猾ですね。

そして、今、小心者のプーチンだけの世界になりました。どんどん見えなくなります。そして、気づいたら、1933年のドイツのようになっているでしょう。独裁者は人を燃やす前に本を燃やすから、その時点でいかに介入するかです。この流れを変えるのも、やはり、「知る」ということです。
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