高麗橋桜花 徒然日記ー料理人はどこまでできるのか ー

「高麗橋桜花」店主・「大阪食文化研究所」主宰森田龍彦のブログです。どうぞご贔屓にお願い申し上ます。

天満切子

2006-07-06 | 生産者訪問

 その昔、大阪の同心・与力町付近は全国でも有数のガラスの生産地だったそうです。それは、大阪天満宮の正門脇に大阪ガラス発祥の地という石碑があることにも表れています。
 戦後の消防法による煙突の禁止や宅地化、燃料の高騰などのため、今はほとんど見ることの出来なくなったガラス工場ですが、それでもほんの数年前までは日本一大きなガラス問屋 カメイガラスさんが存在していました。今では、林立していた問屋も姿を消し、ほんの僅かですが切子屋さんが今も活動されています。

 今回訪問させて頂いたのは、を5年前から天満切子の名乗りをあげらた宇良さんです。宇良さんは、子供の時から千台の工場に出入りし、幼少の時からガラス職人の父の姿から切子に親しんでいたそうです。通常の透明ガラスの彫刻が2工程ほどなのに対して、切子は約15~20工程かけての作業になり、また使う道具も多種を駆使しないといけないそうです。

 今の天満切子は薩摩切子の技法をベースにしながらも、独自の特長を持っています。それは、彫りの鋭角な江戸切子・薩摩切子と違って、 カットはU字に彫られています。そうすることにより外観だけでなく、グラス内も光の反射によりとても美しい射光のデザインが表れます。見た目の華やかさはもちろんですが、 「用の美」を追求したデザインはより大阪らしいのでは ないのでしょうか。 天満切子という呼び名が昔からあった訳ではありませんが、昔から培われた大阪の切子屋の技術が 受け継がれてきた技術の結晶なのです。

060630_1733

 宇良さんのもと、若手の方も天満切子の習得に励まれていました。実際に、この天満切子を手にとって拝見させて頂いたのですが、本当に素敵なものでした。大阪に住んでいても知らなかった天満切子ですが、その素晴らしさは脈々と続いた大阪の誇るべきガラス産業の結晶なのだと思います。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第25回浪速魚菜の会 試食会 | トップ | 大阪府有機農業研究会のイベント »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿