イザヤ書 14章
金曜日は、トルコの地中海沿岸アンタルヤからピシディアのアンティオキアへの途中、古代都市アダダを訪ねました。事前の情報をそれほど持たなかったので、ちょっとだけ……という気持ちで現地を訪ねたのですが、良い意味で私たちの予想は裏切られました。
ちょうど、現地で発掘や研究をしている方々と出会い、私たちがクリスチャンだと聞くと、良い場所に案内しようと言ってくださいました。そして、遺跡の石が散乱する中を数十分歩いて着いた所はパウロ教会。パウロがこの地を訪ねたという伝承をもとに、ビザンチン時代に建てられたようです。
さらに驚くのは、この古代都市には教会が17もあったとのこと。標高1000メートルもある山地で、どのように人々が生活をしていたのか、そこでのクリスチャンの様子はどうだったのだろうかと想像が膨らみます。
アダダでゆっくりしすぎたこともあって、昨日の目的にピシディアのアンティオキアへは土曜日に訪ねることになりました。
イザヤ書14章は、前章から続くバビロンへのメッセージです。ここにも、バビロンが、そしてバビロンが滅ぼしたアッシリアが出てきます。また、ユダのアハズ王が死んだことも記され、それを二子の隣国ペリシテが大喜びしたとあります。
もちろん、大国バビロンやアッシリアとペリシテは比べ物にはなりません。しかしそこには共通なものがあると思うのです。それは、自分の力を誇る者の行く末です。
自分たちの周囲を滅ぼし、当時の世界を制覇したバビロンの支配者は、自分の力を誇りに誇りました。しかし、そのような彼らも死者の世界に下るのです。10節には、この世界で大きな勢力を誇ったバビロンを迎える死者の世界の人々の「歓迎の言葉」(?)とでも言いましょうか。彼らはバビロンに言います。「おまえもまた、私たちのように弱くされ、私たちに似た者になった。」
どんなにこの世で力を振るい多くの国々を従わせることができたとしても、結末は死者の世界だとしたら、その力とは何なのだろうか、と考えます。