みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

主を休ませてはならない

2019年12月03日 | イザヤ書

イザヤ書 62章

 失敗をし、罪を犯し、挫折した人を立ち直らせようとする人々がいます。一度の失敗に懲りて自分で立ち直る人もいますが、何度も同じ罪を犯し、失敗を重ねる人がいるのです。「あの人はもう駄目だ」と後ろ指を指されるような人を信じて、支える…。愛がなければ到底できることではありません。

 ここには、シオンが回復を成し遂げて、すべての国々がシオンの義とまぶしいばかりの栄光を見る日が来るまでに、投げ捨てることなく、あきらめることなく導き続ける神のお姿が描かれています。預言者イザヤからおよそ100年ほどあとに、エルサレムはバビロンによって破壊されます。しかし、それから70年後に捕囚の民はエルサレムに帰還して、町は再建され、神の宮は建て直されます。ここにあるのは、その回復のことを指しているのでしょうか。

 しかし歴史は繰り返し、紀元70年にエルサレムはローマによって破壊され、神の宮も壊されてしまいます。本章にあるのは、町や壮大な建造物の再建についての預言というよりは、そこに生きる神の民の霊的な回復の様子が描かれていると理解できます。

 7節の「主を休ませてはならない」ということばには驚きます。これは神さまに忙しくしてもらいましょう、私たちはじっと見ていますから…というような意味ではありません。主があなたがたの祈りに絶えず耳を傾け、それに答えてみわざを続けてくださるために、あなたがたは熱心に祈り求めるようにということなのです。

 「目覚めよという声がする」というメロディが頭の中で聞こえてくるようです。アドヴェントの今、「主を休ませてはならない」ということばを励みとして、神の約束を聴き、それを待ち望みながらこの時期を過ごしたいと思います。主人公抜きのクリスマスに惑わされずに…。


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