前にも書きましたが、夏休みになると当地ではあちこちで工事が…。いつもならバス一本で行ける教会が、行きは途中停留所一つ分を歩いて乗り継ぎ、帰りは遠回りしてバスから電車に乗り継いで、帰宅できました。代替ルートを示すのはさすがですが、面倒くさく遠回りです。でもそんな回り道もよいのかもしれません。
1節の「その後のことである」に目が留まります。前章のダビデが罪を悔い改めたこと、バテ・シェバを妻にしたこと、ソロモンが生まれたことを指しています。ダビデは神の前に罪を悔い改めて赦しを賜わりましたが、自分が犯した罪の結果を、悲しみ嘆きつつ刈り取るということを経験します。
ここには、ダビデの子どもたちの間に起こった事件が記されています。それは、アムノンの身勝手な考えや行動がきっかけとなります。アムノンが異母妹に恋をしたことで苦しんだのは、そのようなことをしてはならないと彼が知っていたからです。しかし、知っていることが罪を犯すブレーキには必ずしもなりません。アムノンにアクセルを踏ませる男がいたのです。
人には良心と良識があり、してはならないことを知っていて、知っているならそれを行わないかというと、そうではないことがここに明らかにされます。
結局、アムノンは無理やりに妹を関係を持つのですが、それは彼が夢に描いていたものとは全く違っていました。あれほど恋していたタマルを今度は憎むのです。なんという自己中心なのだろうかと思うのですが、これもまた他人事と片づけることはできません。
ここで明らかにされるのは、アムノンにとって大切なのは妹のタマルではなかったということです。アムノンはタマルに恋をしましたが、愛したのではなかったのです。自分が大切、自分を愛していたのです。
「愛は…礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず…。」コリント人への手紙第一13章5節