津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■秋桜・・いやいや本物です

2021-10-26 11:40:51 | 徒然

 今日の散歩は10時半出発で、3.9㌔歩きました。
良い天気で帰り着いたら汗びっしょりです。いつもの自衛隊前の桜並木の中を歩いていましたら、二本ほど「桜の狂い咲き」を見つけました。
秋桜・・いやいや本物です。思いがけないことと、スマホで撮影していたら、うしろからやってきたご婦人が「あらっ」と声を上げて、「私も撮って行こう」ということで、並んで空を見上げました。

       

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■川田順著「幽齋大居士」ニ六、吉野山

2021-10-26 07:11:59 | 書籍・読書

      ニ六、吉野山

 明國との和議成立して、秀吉が名護屋城から大阪城に還つたのは、昨年仲秋の頃で
あつた。今年文禄三年二月の末、吉野山で太閤好みの大袈裟な觀櫻會が催された、三
日間の行樂に續いて、明日廿九日は歌會とふれが出た。
 秀吉は吉水院を旅館としたが「供の人々前後左右御番きびしく勤め侍れば、なにの
仔細や在て堅く番をいたし候哉、小姓ばかり詰候へと宣ひて、諸侯、大夫、馬廻な
ど、自分の花見をゆるやかに物し候へ」(甫庵太閤記)といふ次第なので、この日、
幽齋も從者一人を連れて、宿坊竹林院を出て、奥の千本へと氣樂な花見に登つて行つ
た。諸將は大方、蔵王堂のお能拝見に集まつたので、山みちは静かで佳かつた。
 昔、櫻紅葉のおちつくした肌寒の頃に、この山に來たことがあると、幽齋は懐舊に
堪へかねる様子であつた。それは天正十三年九月、實母養源院の遺髪を携えて高野詣
をした歸りみち、吉野山に立寄つたことである。晩秋の寂びた趣も深かつたが、此處
はやはり花の盛りに觀るべきところだと、子守神社の櫻の梢を見上げながら頷いた。
折から、はら/\と散る花びらを惜しみ。
 吉野山すず吹く秋のかり寝より花ぞ身にしむ木々の下風
 かやうに心に浮かべた幽齋は、從者を顧みながら、
「以及、この歌は詠めたとおもふがいかがのものか。」
 以及は、しばらく黙つてゐたが、思ひ切つた顔付をして、
「おそれながら、源三位の本歌の方が、たちまさつて居りませう。」
 幽齋は不機嫌な顔もせず、又歩き出した。中村以及は彼の右筆で、和歌や連歌の道
を彼から教へられ、近来相當に上達した男である。二人は西行谷まで行き、岩の間に
湛へた清水をしたたかに飲んで、太陽ぼばほ高い時刻に下山した。
 散りこぼれた花の雪を踏んで、幽齋は宿坊の門をくぐつた。書院の庭は一めんの蘇
苔に埋もれて、一本の櫻樹もなく、、築山のもとには紅梅の花が色褪せながら凋に殘
つてゐた。この閑寂さを樂しまうと思ふところに、合宿の豪傑達がどやどやと戻つて來
て、やがて連歌師紹巴をとり囲み、詠草を見せては、なほせ、なほせと攻め立てた。
「これで結構に存じます。」
「下の句はこれでもいゝか。」
「はい、おなほしする點はございません。」
「初句の春霞はどうか。」
「さやう、春風や、かと存じますが、いやいや矢張り、お原作のままで。」
「長束殿は一かどの詠み手ぢや。見てもらふこともござるまい。」
「さやうに存じます。この殿さまはお茶の方も宗匠で。」
 紹巴は十徳の胸紐をいじりながら、應接に忙しい。追從されるのは悪くないものと
見えて、前田利家までが詠草を出す。どうせ藝で渡世する連歌師風情のことゆゑ、と
幽齋は黙つて見てゐたが、皆の散つたあとで、紹巴に向ひ、
「あの人たちの歌は、あれでいゝのかな。」
 連歌師は、えへへへと笑つた。堪忍袋の緒を切つた幽齋、くわつとして一喝、
「幇間め。」

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