津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■川田順著「幽齋大居士」一三、刺客

2021-10-13 06:25:23 | 書籍・読書

     一三、刺客

 細川藤孝に攻められて、由良川のほとり、中山の彌勒堂で割腹した一色義道のため
に、遺臣小野木某は復讐を企て、數年藤孝をつけ狙つたが、乗ずべき隙がなかつた。
 天正十六年若葉の季節、洛中は聚樂盛儀の取沙汰で賑はつていた。
「幽齋も必ず入洛してゐるに相違ない。お祭りさわぎで油斷も多かろう。」
 かう考へて小野木は京都に入り込み、等持院裏門の百姓家に泊つた。ところがある
日、ふと面白い噂を耳にした。
「二位法印さまは、小禽を連れて三條通を逍遥なさる。」
 犬を引いての散策ならば珍しくもないが、小禽をお伴とは受取れない。しかしなが
ら、幽齋は、本當に噂の通りの散歩をしたのだ。
 彼は愛禽家であつた。戰國武將の間に小禽鑑賞の流行した事實は、當年の文獻によ
つても證明される。小田原征伐のとき、箱根の農家が飼つてゐた一羽の鶉を、伊達政
宗と藤堂高虎とが、非常な高價を拂つて奪ひあひをしたといふような話も殘つてゐ
る。さて、幽齋は、鶯はもちろん、目白も、頬白も、山雀も、四十雀も、雲雀も飼養
して、これらの羽族の奏でる音樂に聴き呆けた。
「深山頬白といふ奴が峠の木で鳴く。これほど幽玄な聲は他に無い。俊成卿も御存知
なかつたらう。」
 などと、自分の小禽通を得意になつたりもした。小禽の世話は幽齋みづからした。
世話をすることが、樂しみの一つでもあつた。それゆゑ彼はいつも早く起き、福島正
則のやうな朝寝坊はしなかつたのである。今度の入洛には、就中愛玩の山雀一羽を從
者の數に加へた。さうして、朝飯前に必ず散歩した。
 旅館から數歩、三條通に出た幽齋は、西から東へとゆるゆる歩いた。山雀は町屋の
屋根の上をピヨン/\跳びながら跟いて來る。幽齋は時々振返つて、屋根を仰ぎ、小
禽の跟いて來るのを確かめては、安心してまた歩き出す。手を振つて合圖したり、口
笛を吹くこともある。
 小野木は、とある人形師の家の軒下に忍んでゐたが、いきなり飛び出して、背後か
ら斬りつけた。ひらりと身をかはした幽齋、狼藉者の利腕を取つた。瞬間、狼藉者は
溝石に叩きつけられ、鼻からも口からも血を噴き出した。
 往還の男女あわてて逃げ散り、静かになつた街上を、幽齋はまた東へと歩き出し
た。山雀は四五軒さきの屋根を跳んでゐた。
 幽齋の膂力は絶倫であつた。かういふ話が殘つてゐる。北畠信雄の邸で能樂の催さ
れたとき、門を入らうとすると、番人制して竹杖をふり上げた。嚇怒した幽齋、竹杖
もろとも番人の手を握ると、骨まで砕けてしまつた。番人は主人の費用で有馬に湯治
した。またあるとき、貴人の牛車があばれ、いきほひ込んで向うから走つて來た。幽
齋立はだかり、えいやとばかり牛の角を握つて、七八間がほど押戻した。碁盤で燈
火を煽ぎ消したこともある。かういふ強勇なのだから、刺客の三人や五人片付けるの
は、朝飯前だ。

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