一昨日の散歩が応えて昨日は取りやめ、終日読書で過ごした。宮崎克則氏著「逃げる百姓、追う大名」である。
今日は朝から病院行きして定例の検査を受ける。午後からはこの本の精読で過ごすことにする。
この本はかなり早い段階で購入したが、2002年初版の中公新書で、豊前時代の細川家に於ける百姓の領内からの逃亡や、逆に隣国からの入込などが主題にしてある。
また、松井家にゆだねられた幕府領「湯布院」の開発と農民の関わり合い、その他、干ばつや「惣銀」などで立ち行かなくなった家臣の救済の有様など、大変興味深い。
この時期、家臣に給される知行は「地方(じかた)知行」であり、それぞれが知行地を直接支配したが、干ばつや水害など知行地ごとに条件が異なる。
知行の高下に係わらず家計が立ち行かなくなっている。2,000石を拝領しているs氏の家計再建策なる物が示されており、「袖判」における借銀で充当し、翌年の米を大阪に運んで利益を得、これを年利4割で貸し付けるという次第である。
数年後には潤沢な利益を生むという夢のような計画だが、これが計画書通りにいったかどうかは判っていない。
また、忠利の奥方の実家筋である細川家家臣の小笠原家・5,000石も立ちいかなくなり家禄の一部を返上し、軍役の免除を受け、特別貸与を受け、藩の介入による財政再建に陥った。当然その職務も制限された。
ましてや、下級武士の救済はどうであったろうか。我が家の先祖の生活もいかばかりであったろうかと考えてしまう。
「地方知行」は延宝八年(1680)に廃止され、家臣の知行はすべて「蔵米知行」となる。
細川家の豊前入国から80年経過している。
ここにある「惣銀」「袖判」といった言葉を、100%理解させてくれる研究書に未だ出くわしていないが、この本がわずかながら理解を進めてくれそうである。