津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■農業用語

2021-10-23 12:08:12 | 歴史

 現在ある方が「仁助咄」の古文の読み下しをしておられる。少々お手伝いをする中で、やたらと農業用語が出てきて、もうちんぷんかんぷんである。
「土免」「損引」「徳掛」「水主米」「口米」等々である。
宇野騏八郎という人物は、選ばれて郡代となったが、「田賦(土地税)」の事にうとくて困惑し、自らの業務にも支障が生じるため、古書を調べ上げて「田賦考」という細川藩農政にとっての参考書を著している。
又、菊池郡深川の会所の手代・河口新左衛門という人物は、「土貢(田租)管見録」を著し、農政に係わる人たちに重宝された。
垣塚文平は「官職制度考」を著したが、この中の「郡政部并田賦」では割と平易な解説がなされている。
しかしこれとて私は一気の理解ができずにいる。

  (前略)寛永九年妙解公襲封の後同十年より國中撿地ありて郡政の大綱を議定し給ひてより已來連綿して今に至れり
  其大綱は變革なしといへども時の勢によりて郡政の改りし事幾ばくならん 延寶年中に土免極天和に上知寶暦に地引
  合撿地ノ異名享保に請免の議ありて止む 安永に免方潤色天明に同潤色享和に請免撿見の法に延寶の比石見と云あり
  其後五割の作法三割の作徳と云も皆時々の變法なりといへども寛永已來の法を紀綱として大同小異なりしを享和に至
  りて請免となりて寛永已來二百年の檢見の法此時に廢絶するは一大變なり後年の利害得失豫して論し難く管見の及ぶ
  所にあらす
  〇徳掛
   右徳掛と云は秋に至り田畑に登りたる米穀を檢見を初田賦にかゝりたる役人立會見分して公の歛敷を極りたる通り
   に百姓共受合て上納するを土免受除と云
  〇損引
   大損引と云は水損旱損風損虫入等の外さま/\天災にて作毛登らず土免通りの受のきかたき時は損引を願ふ 其時
   に撿見を初夫/\の役人立會て登不登を改め有實をためし五公五民とか四公六民とかをさため極る 是を損引と云 
   徳掛損引の兩法受免已後絶たり 内撿の官廢す 其法予詳にせずと云共思ふ子細ありて大略を記す
  〇土免とは此畑には上納米未何石何斗と極りたる通り上納いたすを土免と云 凶年には其通り上納成かたき故損を引 
   と云て其田有たけの石高に五割の作徳を百姓に給る たとへば籾一石五斗の籾ならば五斗百姓に給り一石は公の納
   となるを云

なかなか理解に苦しむ言い回しで、簡単な解説がないものかと探し回っている。

 

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■川田順著「幽齋大居士」ニ三、氏郷入來

2021-10-23 06:32:42 | 書籍・読書

       ニ三、氏郷入來

 文禄元年三月廿六日を期して、秀吉は京都出發、肥前名護屋の本營に向ふ旨、ふれ
を出した。會津の蒲生氏郷も、これに随行すべく、白河關、那須野を越え、佐野の舟
橋を渡り、「淺間の岳も何を思ふ」と火山の噴煙に述懐し、木曽路の梅花を眺め、美
濃の垂井の荒屋に假寝し、なつかしき故郷の近江もすぎて、花盛りの都に著いた。
京都滞留中の一日を割いて、文武両道の話相手なる幽齋を訪問すべく、「お道具拝見
旁々」云々手紙を届けると「お待申上候」と返事が來た。氏郷は茶道の熱心な探求者
で、かねてより細川家の名什珍器を一見し度く思つてゐた。
 約束の日が來た。忙中閑の今日を心に樂しみながら、馬を乗り著けた氏郷の、通さ
れたのは茶室ならずして客間だつた。さうして、甲冑、刀剣、鎗薙刀の類が一杯に陳
列してあつた。主人幽齋は、それらの一々を指しながら、「これは先祖何某の遺愛の
刀、これは拙者どこどこの城攻めに用ゐた鑓、これは愚息が初陣に被つた兜」等々と
説明しはじめた。氏郷、案に相違したので、
「拙者がお道具拝見と申したは、茶ノ湯の名器のことでござる、」
「なんと仰せられる。道具とばかり承れば、武士にとつて、これらの外にはござるま
い。」
かやうな經緯がすんでから、茶室に案内し、ありたけの什器を取り出して見せた。右
は某書記載の逸話だが、ここで筆者は思ひ出したことがある。後世江戸時代のこと、
或る大名が家臣を呼んで、お抱への力士と勝負して見ろと言つた。家臣は承知して土
俵に上り、立ち上がるなり一刀でずばりとやつた。無論力士の生命はない。相撲とら
せるつもりで居た大名は、憤怒した。家臣平然として、「武士の勝負はこの外にござ
いませぬ。」
 幽齋の甲冑陳列と、この侍の一刀ずばりとは、大分似ている。筆者には、兩方とも
作りごとの如く思はれてならない。少くとも、幽齋の方の話は假託にちがひない。何
故と言はいか、幽齋は、そんな意地の悪いことをする人間ではない。又、わかり切つ
たことを、わざと曲解し、それで相手をまぎつかせて得意がるやうな、けちな男では
ない。況んや相手にも依る。相手は幽齋に比べて勝るとも劣らぬ蒲生氏郷だ。まごま
ごしたら、古道具屋然たる陳列甲冑なんぞ、片足擧げて蹴散らかしてしまふ。幽齋は
初手から素直にお道具を見せ、快い自慢をしながら、畏友氏郷と半日の清興を専らに
したのであつた。筆者はさう思ふ。

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