津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■川田順著「幽齋大居士」ニ七、吉野山(續)

2021-10-27 06:39:52 | 先祖附

     ニ七、吉野山(續)

 朝露にしめつた蘇苔の庭を前にして、竹林院の縁側に坐つた幽齋は、秀吉のことを
かれこれと觀察した。
                                         
 太閤さまは膽のすぐれて太いお方ぢや。明國との平和は續く筈がない、やがて又、大
軍を海の彼方へ繰出さねばならぬ。場合によつては呂宋までもと八幡船の原田もささ
やき居つた。今は戰爭の中休みだ。この情勢をちやんと御承知の上で、前代未聞の大
花見をなさる。太閤さまは派手なお方ぢや。今年還暦のおれよりも二歳お若いだけの
ことで、すでに相當のお年寄だ。それにどうだ。一昨日、中の千本でお見かけした
ら、赤地に牡丹を刺繍した金襴のお羽織召して、若い女中衆にお手を引かせて居られ
た。それどころか、作髭に眉作り、鉄漿くろぐろと付けてゐられた。あの御氣性は常
若と申すものぢや。乍併、御年齢は爭へない。いやお身體は年齢よりも老けてござ
る。お顔を見れば皺が寄り、歩かれる時には背中を屈めて居られた。召された衣裳の
若々さとは、うらうへぢや。何かむづかしい御病氣が潜んでをらなければ幸ひだが。
 太閤さま百歳の後には、世間はどうなることか。太閤さまのなされ方をつくづく拝
見するに萬事が餘りに凡人とかけ放れてござる。戰爭も天才、外交も天才ぢや。さ
うして、何事もご自身でなさる。敢へて批評申上げるならば、豐臣家には「組織」が
ない。太閤さまあつての豐臣家ぢや。前田も、加藤も、石田も、福島も、太閤さまの
上意を下達するのみで、下から支へ、又は盛り上げる能力に乏しい。太閤さまの肚は
大きすぎる。善美を盡した聚樂第でも、お氣に召さぬとなつたならば、一日も取毀ち
だ。山樂の繪でも、洟をかみなさる。大陸征伐の軍用金、山の如き費だが、「乃公の
眼の黒いうちは、どうにもする」と、心配さうな顔もなされない。三十萬の兵を出す
事などは、いや、さやうな時が來るものとは考へても居られない。萬一の事など心配
するは我等下凡の事ぢやまで。
 とは申せ、萬一の事ござつたならば、世間はどうなる。再び應仁の亂に戻しては、國
家のため、蒼生のため、相すむか。信長公不慮の場合には秀吉公が居られた。太閤さ
ま百年の後には、秀次公がござるか。莫迦申せ。秀次公は天下一の浪費者ぢや。徳川
殿が居るか。徳川殿は「組織」の人だ。さうして、「經濟」の人だ。秀吉公が洟をか
まれた狩野の繪を、洗濯して表具する。無事に天下を治めはするだらうが、さて、そ
の功利主義的の治め方が・・・・・
 幽齋がかれこれ思い煩つてゐるところへ、吉水院の雑色が來て、伏見城の工事につき
相談すべき急用出來したゆゑ、直ちに參れとの御諚である。

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