津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■老耄せずに元気でいたい

2021-10-25 12:45:28 | 徒然

 今日の明け方はちょっと強い雨が降ったようだが、少々起床が遅れた6時半ころには雨も上がっていた。
もう降らないだろうと10時半過ぎに朝の散歩に出る。少なくとも4㌔は歩こうと思っているが、今日のコースは3.9㌔、少し回り道をすればと悔やまれる。
ずいぶん涼しさが増してきたが、それでも少々汗をかく。
熱い間は疲れがたまって4日ほど休んだことがあったが、今では1週間のうちに5日は歩こうと思っている。
 4.1+0+4.2+0+5.2+4.2+3.9=21.6㌔が今日を含めた1週間の成果である。
今年の2月からの4回の病院検査では、中性脂肪が最高348を超えたことがあったが、最終4回目では133と劇的に改善した。
これはまさしく散歩の成果だろう。ただし糖尿に関する数字は高止まりで、これがなかなか改善しない。
体調をコントロールすることは大変なことだが、もうちょっと生きていたいから美味いものも我慢せずばなるまい。

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■川田順著「幽齋大居士」ニ五、薩摩の春(續)

2021-10-25 07:07:38 | 書籍・読書

      ニ五、薩摩の春(續)

 「かい、かい、かい、かい」と蛙が鳴いた。幽齋は旅館の庭の池を注視しながら、
不審に堪へなかつた。京都なら餘寒もきびしく、北山おろしに飛雪の來る二月の今頃
を、いかに南國の春とて、蛙が鳴くかしら。初蛙は卯月のものだと、疑ひの耳を欹て
た時、「かい、かい、かい、かい」と再び鳴いた。まさしく初蛙だ。
 薩摩の春はすばらしい。鹿児島城下の町には、とりわけ梅の木が多かつた。その花
                                                                                                                     はおうじゅ(サボテン)
は舊臘すでに満開して、今は殘りの香ひを漂はすのみだが、黄や薄紅の覇王樹の花が
咲きはじめた。これは幽齋の眼に極めて珍らしかつた。くろがねもちの實が紅い。朱
樂の大きな果が黄いろい。
 かやうな國土に生活する人間は、おのづからして心ゆたかなるべし、と幽齋は思
つた。彼は毎晩芋焼酎を飲まされたが、かやうな祖酒を煽って歉醉するこの國人の、
素直な無頓着ぶりを善哉と見た。深碧の海上に兀として聳える櫻島山、臍の緒切つて
から死ぬるまで、この壮麗なる活火山を仰ぐ薩摩隼人は、おのづからにして豪快なる
べし、と考へた。國土の三方は海濤に洗はれている。もしも戰ひ敗れて侵略を被つた
ならば、太平洋に追ひ落されねばならぬ。行くべきところを持たないのだ。此處に蟠
踞せる薩摩節は、おのづからにして後退を知らざる猛者なるべし、と信じた。
 去んぬる天正十五年の九州征伐に從軍した幽齋は、島津氏の將卒がいかに力戰した
かを目賭してゐる。今日その郷國に旅して彼は頷いたのであつた。豐後戸次川の戰ひ
  膝突栗毛とも
に、長壽院栗毛といふ駿馬に跨り、長鎗を揮つた義弘の修羅の姿は、當時幽齋も瞥見
して、敵ながら天晴れと感嘆したのだが、今度忠元から義弘の平生を聞かされて、倍
々景慕の念を深くした。目下出征中の彼、必ずや日本一の功名すべし、と疑はなかつ
た。(果して彼は泗川の殲滅戰を行つた。)
 公務を終へた幽齋が、なほ鹿児島に淹留したのは、つぶさに國情を檢討し、秀吉に
復命せんがためであつた。さうして豊臣家の倚頼し得べき諸侯は、島津氏を惜いて他
に無し、といふ結論に到達した。
 鹿児島を去るに先立つて、彼は大隅國帖佐の總禪寺に賨し、歳久の墓所を弔つた。
「心岳良空」と刻つた墓石を撫で、悵然として曰く、
「貴殿は薩摩武士ぢや。」

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