津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■川田順著「幽齋大居士」ニ三、氏郷入來

2021-10-23 06:32:42 | 書籍・読書

       ニ三、氏郷入來

 文禄元年三月廿六日を期して、秀吉は京都出發、肥前名護屋の本營に向ふ旨、ふれ
を出した。會津の蒲生氏郷も、これに随行すべく、白河關、那須野を越え、佐野の舟
橋を渡り、「淺間の岳も何を思ふ」と火山の噴煙に述懐し、木曽路の梅花を眺め、美
濃の垂井の荒屋に假寝し、なつかしき故郷の近江もすぎて、花盛りの都に著いた。
京都滞留中の一日を割いて、文武両道の話相手なる幽齋を訪問すべく、「お道具拝見
旁々」云々手紙を届けると「お待申上候」と返事が來た。氏郷は茶道の熱心な探求者
で、かねてより細川家の名什珍器を一見し度く思つてゐた。
 約束の日が來た。忙中閑の今日を心に樂しみながら、馬を乗り著けた氏郷の、通さ
れたのは茶室ならずして客間だつた。さうして、甲冑、刀剣、鎗薙刀の類が一杯に陳
列してあつた。主人幽齋は、それらの一々を指しながら、「これは先祖何某の遺愛の
刀、これは拙者どこどこの城攻めに用ゐた鑓、これは愚息が初陣に被つた兜」等々と
説明しはじめた。氏郷、案に相違したので、
「拙者がお道具拝見と申したは、茶ノ湯の名器のことでござる、」
「なんと仰せられる。道具とばかり承れば、武士にとつて、これらの外にはござるま
い。」
かやうな經緯がすんでから、茶室に案内し、ありたけの什器を取り出して見せた。右
は某書記載の逸話だが、ここで筆者は思ひ出したことがある。後世江戸時代のこと、
或る大名が家臣を呼んで、お抱への力士と勝負して見ろと言つた。家臣は承知して土
俵に上り、立ち上がるなり一刀でずばりとやつた。無論力士の生命はない。相撲とら
せるつもりで居た大名は、憤怒した。家臣平然として、「武士の勝負はこの外にござ
いませぬ。」
 幽齋の甲冑陳列と、この侍の一刀ずばりとは、大分似ている。筆者には、兩方とも
作りごとの如く思はれてならない。少くとも、幽齋の方の話は假託にちがひない。何
故と言はいか、幽齋は、そんな意地の悪いことをする人間ではない。又、わかり切つ
たことを、わざと曲解し、それで相手をまぎつかせて得意がるやうな、けちな男では
ない。況んや相手にも依る。相手は幽齋に比べて勝るとも劣らぬ蒲生氏郷だ。まごま
ごしたら、古道具屋然たる陳列甲冑なんぞ、片足擧げて蹴散らかしてしまふ。幽齋は
初手から素直にお道具を見せ、快い自慢をしながら、畏友氏郷と半日の清興を専らに
したのであつた。筆者はさう思ふ。

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