ヒガンバナの咲き残る里道を進み、復元した久礼一里
塚付近で、名神高速と北陸道とのジャンクション上を知
らぬ間に通過する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/5f/b366a7cae940c3bb9ab3360f60f790b9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/e2/a408749d012df16629884f6bb2239c21.jpg)
あちこちにコスモスの咲く三吉集落を抜け、樋口からは
車を気にせず進める名神高速寄りの旧道。車の通れぬ
名神高速そばの細道に入り、正午近くJR醒ヶ井(さめが
い)駅に着いた。
ここで昼食となり、駅前の小さい食堂と、駅横の地元産
品の売店やレストラン、軽食堂などのある「水の宿駅」と
に分かれて食事を済ませる。
駅の先からは、醒ヶ井宿を流れに沿って進む。流れに
は、水温15度前後の湧水を好む緑の水草、バイカモが
たくさん見られ、初夏から晩夏に咲くという小さな白い花
も残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/7b/28f1b5b23aeabbccef682a367834fd67.jpg)
流れに回る小さな水車や、朝鮮通信史との対応に貢献
した儒学者、雨森芳洲の歌碑、石垣下から豊富な湧水を
見せる居醒の清水などを見ながら進んで醒ヶ井宿を出る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/59/37d7c85344116e5960a5acc8d76e1f0a.jpg)
しばらくは名神高速と国道21号に沿った谷間を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/01/5e35c5cd08c0a4980e68d0b739e56c4b.jpg)
石の地蔵がたくさん並んだお堂を過ぎ、杉やヒノキの下
の、ちょっとぬかる土道を500mほど通過して小川の関
跡で車道に戻る。
ひこばえの伸びた田んぼの間を抜ける農道で近道をし
て、松並木の残る中山道に戻る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/51/f79558ff39648f9b6f7ed42f59de75b1.jpg)
周囲を緑の山並みに囲まれ、このあたりも車の少ない
気持ちよい道。柏原宿の入口には、復元したばかりの
一里塚が出来ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/14/c56e732c022336e963f4a60517ae684d.jpg)
古い家並みに旧街道の雰囲気を感じる柏原宿。それぞ
れの家に、旅籠屋、造り酒屋などの職業と名前を記す木
札が下がっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/49/7c725e0f2058bb8dcfdd5b5eadf46468.jpg)
宿場の外れには、中世の仏教説話「小栗判官照手姫」
の照手姫が判官の平癒を祈った地蔵堂がある。 好天の
午後、さわやかな風が汗ばんだ体に心地よい。
明治時代に植えたという太いカエデ並木の間を通過し、
長久寺集落に入ると、「寝物語の里」の石碑が立つ。
ここは近江(滋賀)と美濃(岐阜)との国境(県境)。国境に
は細い溝があり、溝を挟んで両国の人が寝ながら他国の
人と話合えたので、「寝物語の里」の名が生まれたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/ed/59a43f207744395f6fc9f74d1edb887e.jpg)
国境を挟んで並ぶメンバー、右が近江、左が美濃である。
道を挟んだ美濃側には芭蕉句碑が立つ。
JR東海道線の南に回ると、美濃で最初の今須宿。宿を
東に抜けたところに、復元したらしいが見栄えのよい一里
塚がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/b3/f7fd4915cd8458584f37086faedaddac.jpg)
国道を横切り、今須峠を下った山中集落の西端に、都
一(みやこいち)の美女といわれた源義朝(よしとも)の愛妾
(あいしよう)、常盤御前(ときわごぜん)の墓がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/34/3fc32efa9542629b36d0f212cd4d8d34.jpg)
東国に走った子、牛若の行方を案じて追った御前は、
土賊に襲われここで息を引き取り、山中の人が葬ったの
だという。
近くに流れる黒血川は、壬申(じんしん)の乱(672)の激
戦で両軍の兵士の流血が、川底の岩石を黒く染めたこと
からこの名がついたとか。その後も関ヶ原の戦いなどの戦
場にもなったようだ。
さらに1㎞ほどで、「木曽路名所図絵」にも描かれたとい
う東山道の不破(ふわ)関守(せきもり)跡。
関は、延暦8年(789)以後に設けられ、越前の愛発、
伊勢の鈴鹿とともに日本の三関といわれたという。
少し先、左手の民家の間を入った畑の中には、壬申の
乱の時、大海人皇子が兜(かぶと)を掛けたと伝えられ
る「兜掛石」が小さいお堂に祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/b6/a1ad28f9fd6b565d4b6c12be8ca58de6.jpg)
交通量の多い国道に入り、すぐ先で西首塚に寄る。関ヶ
原合戦の戦死者数千の首級を葬った塚とか。塚の上に
は十一面観音と馬頭観音のお堂があり、ケヤキだろうか
太い木が枝を広げていた。
最後の関ヶ原宿に入り、JR東海道線関ヶ原駅入り口の
角にある旅籠屋ます屋が皆さんの今日の宿。16時20分
に着いた。
3日間お世話になったH隊長ほかの皆さんに分かれ、昨
日、今日、荷物運搬をしてもらったOさんの車に預けた荷
物を受け取り、関ヶ原駅に急ぐ。
関ヶ原駅16時31分発東海道線に飛び乗り、名古屋か
ら東海道新幹線ひかり380号に乗り継ぐ。21時過ぎに
帰宅した。
〈コースタイム〉高宮駅8・23ー国道306号交差点8・59ー
鳥居本宿本陣跡9・35~41ー磨針峠望湖堂10・03~12ー
蓮華寺10・55~11・06ー久礼一里塚跡11・20ー醒ヶ井駅前
(昼食)11・54~13・00ー松並木13・31ー柏原駅前14・11~
23ー寝物語の里(県境)14・52~57ー今須郵便局15・09ー
常盤御前の墓15・30~34ー不破の関跡15・50~57ー西首
塚16・12ー関ヶ原駅入り口(旅籠屋ます屋)16・20
(天気 晴、距離 28.5㎞、歩行地 彦根市、米原市
(旧米原町、山東町)、滋賀県関ヶ原町)
塚付近で、名神高速と北陸道とのジャンクション上を知
らぬ間に通過する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/5f/b366a7cae940c3bb9ab3360f60f790b9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/e2/a408749d012df16629884f6bb2239c21.jpg)
あちこちにコスモスの咲く三吉集落を抜け、樋口からは
車を気にせず進める名神高速寄りの旧道。車の通れぬ
名神高速そばの細道に入り、正午近くJR醒ヶ井(さめが
い)駅に着いた。
ここで昼食となり、駅前の小さい食堂と、駅横の地元産
品の売店やレストラン、軽食堂などのある「水の宿駅」と
に分かれて食事を済ませる。
駅の先からは、醒ヶ井宿を流れに沿って進む。流れに
は、水温15度前後の湧水を好む緑の水草、バイカモが
たくさん見られ、初夏から晩夏に咲くという小さな白い花
も残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/7b/28f1b5b23aeabbccef682a367834fd67.jpg)
流れに回る小さな水車や、朝鮮通信史との対応に貢献
した儒学者、雨森芳洲の歌碑、石垣下から豊富な湧水を
見せる居醒の清水などを見ながら進んで醒ヶ井宿を出る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/59/37d7c85344116e5960a5acc8d76e1f0a.jpg)
しばらくは名神高速と国道21号に沿った谷間を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/01/5e35c5cd08c0a4980e68d0b739e56c4b.jpg)
石の地蔵がたくさん並んだお堂を過ぎ、杉やヒノキの下
の、ちょっとぬかる土道を500mほど通過して小川の関
跡で車道に戻る。
ひこばえの伸びた田んぼの間を抜ける農道で近道をし
て、松並木の残る中山道に戻る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/51/f79558ff39648f9b6f7ed42f59de75b1.jpg)
周囲を緑の山並みに囲まれ、このあたりも車の少ない
気持ちよい道。柏原宿の入口には、復元したばかりの
一里塚が出来ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/14/c56e732c022336e963f4a60517ae684d.jpg)
古い家並みに旧街道の雰囲気を感じる柏原宿。それぞ
れの家に、旅籠屋、造り酒屋などの職業と名前を記す木
札が下がっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/49/7c725e0f2058bb8dcfdd5b5eadf46468.jpg)
宿場の外れには、中世の仏教説話「小栗判官照手姫」
の照手姫が判官の平癒を祈った地蔵堂がある。 好天の
午後、さわやかな風が汗ばんだ体に心地よい。
明治時代に植えたという太いカエデ並木の間を通過し、
長久寺集落に入ると、「寝物語の里」の石碑が立つ。
ここは近江(滋賀)と美濃(岐阜)との国境(県境)。国境に
は細い溝があり、溝を挟んで両国の人が寝ながら他国の
人と話合えたので、「寝物語の里」の名が生まれたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/ed/59a43f207744395f6fc9f74d1edb887e.jpg)
国境を挟んで並ぶメンバー、右が近江、左が美濃である。
道を挟んだ美濃側には芭蕉句碑が立つ。
JR東海道線の南に回ると、美濃で最初の今須宿。宿を
東に抜けたところに、復元したらしいが見栄えのよい一里
塚がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/b3/f7fd4915cd8458584f37086faedaddac.jpg)
国道を横切り、今須峠を下った山中集落の西端に、都
一(みやこいち)の美女といわれた源義朝(よしとも)の愛妾
(あいしよう)、常盤御前(ときわごぜん)の墓がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/34/3fc32efa9542629b36d0f212cd4d8d34.jpg)
東国に走った子、牛若の行方を案じて追った御前は、
土賊に襲われここで息を引き取り、山中の人が葬ったの
だという。
近くに流れる黒血川は、壬申(じんしん)の乱(672)の激
戦で両軍の兵士の流血が、川底の岩石を黒く染めたこと
からこの名がついたとか。その後も関ヶ原の戦いなどの戦
場にもなったようだ。
さらに1㎞ほどで、「木曽路名所図絵」にも描かれたとい
う東山道の不破(ふわ)関守(せきもり)跡。
関は、延暦8年(789)以後に設けられ、越前の愛発、
伊勢の鈴鹿とともに日本の三関といわれたという。
少し先、左手の民家の間を入った畑の中には、壬申の
乱の時、大海人皇子が兜(かぶと)を掛けたと伝えられ
る「兜掛石」が小さいお堂に祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/b6/a1ad28f9fd6b565d4b6c12be8ca58de6.jpg)
交通量の多い国道に入り、すぐ先で西首塚に寄る。関ヶ
原合戦の戦死者数千の首級を葬った塚とか。塚の上に
は十一面観音と馬頭観音のお堂があり、ケヤキだろうか
太い木が枝を広げていた。
最後の関ヶ原宿に入り、JR東海道線関ヶ原駅入り口の
角にある旅籠屋ます屋が皆さんの今日の宿。16時20分
に着いた。
3日間お世話になったH隊長ほかの皆さんに分かれ、昨
日、今日、荷物運搬をしてもらったOさんの車に預けた荷
物を受け取り、関ヶ原駅に急ぐ。
関ヶ原駅16時31分発東海道線に飛び乗り、名古屋か
ら東海道新幹線ひかり380号に乗り継ぐ。21時過ぎに
帰宅した。
〈コースタイム〉高宮駅8・23ー国道306号交差点8・59ー
鳥居本宿本陣跡9・35~41ー磨針峠望湖堂10・03~12ー
蓮華寺10・55~11・06ー久礼一里塚跡11・20ー醒ヶ井駅前
(昼食)11・54~13・00ー松並木13・31ー柏原駅前14・11~
23ー寝物語の里(県境)14・52~57ー今須郵便局15・09ー
常盤御前の墓15・30~34ー不破の関跡15・50~57ー西首
塚16・12ー関ヶ原駅入り口(旅籠屋ます屋)16・20
(天気 晴、距離 28.5㎞、歩行地 彦根市、米原市
(旧米原町、山東町)、滋賀県関ヶ原町)