あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

第8次中山道ウオーク③(高宮宿~関ヶ原宿)続き

2007-10-19 17:59:26 | 中山道を歩く
 ヒガンバナの咲き残る里道を進み、復元した久礼一里
塚付近で、名神高速と北陸道とのジャンクション上を知
らぬ間に通過する。



 あちこちにコスモスの咲く三吉集落を抜け、樋口からは
車を気にせず進める名神高速寄りの旧道。車の通れぬ
名神高速そばの細道に入り、正午近くJR醒ヶ井(さめが
い)駅に着いた。

 ここで昼食となり、駅前の小さい食堂と、駅横の地元産
品の売店やレストラン、軽食堂などのある「水の宿駅」と
に分かれて食事を済ませる。

 駅の先からは、醒ヶ井宿を流れに沿って進む。流れに
は、水温15度前後の湧水を好む緑の水草、バイカモが
たくさん見られ、初夏から晩夏に咲くという小さな白い花
も残っていた。


 流れに回る小さな水車や、朝鮮通信史との対応に貢献
した儒学者、雨森芳洲の歌碑、石垣下から豊富な湧水を
見せる居醒の清水などを見ながら進んで醒ヶ井宿を出る。


 しばらくは名神高速と国道21号に沿った谷間を進む。


 石の地蔵がたくさん並んだお堂を過ぎ、杉やヒノキの下
の、ちょっとぬかる土道を500mほど通過して小川の関
跡で車道に戻る。

 ひこばえの伸びた田んぼの間を抜ける農道で近道をし
て、松並木の残る中山道に戻る。


 周囲を緑の山並みに囲まれ、このあたりも車の少ない
気持ちよい道。柏原宿の入口には、復元したばかりの
一里塚が出来ていた。


 古い家並みに旧街道の雰囲気を感じる柏原宿。それぞ
れの家に、旅籠屋、造り酒屋などの職業と名前を記す木
札が下がっていた。


 宿場の外れには、中世の仏教説話「小栗判官照手姫」
の照手姫が判官の平癒を祈った地蔵堂がある。 好天の
午後、さわやかな風が汗ばんだ体に心地よい。

 明治時代に植えたという太いカエデ並木の間を通過し、
長久寺集落に入ると、「寝物語の里」の石碑が立つ。

 ここは近江(滋賀)と美濃(岐阜)との国境(県境)。国境に
は細い溝があり、溝を挟んで両国の人が寝ながら他国の
人と話合えたので、「寝物語の里」の名が生まれたという。

 国境を挟んで並ぶメンバー、右が近江、左が美濃である。
道を挟んだ美濃側には芭蕉句碑が立つ。

 JR東海道線の南に回ると、美濃で最初の今須宿。宿を
東に抜けたところに、復元したらしいが見栄えのよい一里
塚がある。


 国道を横切り、今須峠を下った山中集落の西端に、都
一(みやこいち)の美女といわれた源義朝(よしとも)の愛妾
(あいしよう)、常盤御前(ときわごぜん)の墓がある。

 東国に走った子、牛若の行方を案じて追った御前は、
土賊に襲われここで息を引き取り、山中の人が葬ったの
だという。

 近くに流れる黒血川は、壬申(じんしん)の乱(672)の激
戦で両軍の兵士の流血が、川底の岩石を黒く染めたこと
からこの名がついたとか。その後も関ヶ原の戦いなどの戦
場にもなったようだ。

 さらに1㎞ほどで、「木曽路名所図絵」にも描かれたとい
う東山道の不破(ふわ)関守(せきもり)跡。

 関は、延暦8年(789)以後に設けられ、越前の愛発、
伊勢の鈴鹿とともに日本の三関といわれたという。

 少し先、左手の民家の間を入った畑の中には、壬申の
乱の時、大海人皇子が兜(かぶと)を掛けたと伝えられ
る「兜掛石」が小さいお堂に祭られていた。


 交通量の多い国道に入り、すぐ先で西首塚に寄る。関ヶ
原合戦の戦死者数千の首級を葬った塚とか。塚の上に
は十一面観音と馬頭観音のお堂があり、ケヤキだろうか
太い木が枝を広げていた。

 最後の関ヶ原宿に入り、JR東海道線関ヶ原駅入り口の
角にある旅籠屋ます屋が皆さんの今日の宿。16時20分
に着いた。

 3日間お世話になったH隊長ほかの皆さんに分かれ、昨
日、今日、荷物運搬をしてもらったOさんの車に預けた荷
物を受け取り、関ヶ原駅に急ぐ。

 関ヶ原駅16時31分発東海道線に飛び乗り、名古屋か
ら東海道新幹線ひかり380号に乗り継ぐ。21時過ぎに
帰宅した。

〈コースタイム〉高宮駅8・23ー国道306号交差点8・59ー
鳥居本宿本陣跡9・35~41ー磨針峠望湖堂10・03~12ー
蓮華寺10・55~11・06ー久礼一里塚跡11・20ー醒ヶ井駅前
(昼食)11・54~13・00ー松並木13・31ー柏原駅前14・11~
23ー寝物語の里(県境)14・52~57ー今須郵便局15・09ー
常盤御前の墓15・30~34ー不破の関跡15・50~57ー西首
塚16・12ー関ヶ原駅入り口(旅籠屋ます屋)16・20

(天気 晴、距離 28.5㎞、歩行地 彦根市、米原市
 (旧米原町、山東町)、滋賀県関ヶ原町)
 
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第8次中山道ウオーク③(高宮宿~関ヶ原宿)

2007-10-19 15:46:36 | 中山道を歩く
 2007年10月12日(金) 第3日 
 =高宮から関ヶ原まで=


 
 前日宿泊した彦根のビジネスホテルから近江鉄道で
高宮駅まで戻り、8時27分にスタートした。今日も好天
である。

 昨日からの参加で、コースリーダーでもあるMさんは、
交差点や分岐点などに、中山道の目印になる赤いビニ
ールテープを貼っている。


 高宮宿を抜けてすぐ、近江鉄道の踏切付近には、たく
さんのヒガンバナが咲き競っていた。


 しばらくは車の多い車道歩き、しかも歩道がないので
うっとうしい。いつになったら安全に歩ける街道になるの
だろうか。当分は期待できそうにない。

 「天寧寺五百らかん」と彫られた大きな石碑の近くで、
東京から京都に向かうご夫妻と行き交い、励ましを交わ
す。間もなく東海道新幹線と名神高速道路が右から近
づいてきた。

 その新幹線のガードをくぐり、高速道路との間に入っ
たところに、小野小町塚があった。

 地元に伝わる郷土芸能「小野町太鼓踊り」に小野小町
が歌われ、この地を誕生地とする伝承が残っていると
いう。

 2㎞ほどで鳥居本(とりいもと)宿。雨傘を看板にした
古い家がある。松屋といい、傘や合羽を扱う店らしい。


 中山道が右折したところには、古くから漢方薬を製造
販売している、赤玉神教丸本舗の有川家がある。

 日本瓦と白壁の、大きな店構えだった。


 鳥居本宿を抜けると、磨針峠(すりばりとうげ)へ向かう
上り道。ひとしきり上がった峠には神明宮があり、江戸
時代には望湖堂と呼ぶ大きな茶屋があったという。

 神明宮の裏庭に回ると、その名のとおり琵琶湖が一望
出来るが、手前にある大きなエレベータ工場が景観を損
ねる(上の写真より少し左)。

 神明宮下を出発直前のメンバー。


 狭い街道を下って行くと、コスモスやサワヒヨドリ、ススキ
などの咲く山間の気持ちよい道。


 豊富な緑が、上りの疲れを忘れさせてくれる。  


 米原市に入り、正面に近づいた田んぼの向こうに、伊吹
山が見えてきた。


 間もなく、商店も見られぬ小集落の番場宿だが、ここに
は蓮華寺(れんげじ)という大きな寺がある。

 聖徳太子の建立で、鎌倉時代に一向上人が再興し、現
在は浄土宗とか。京都での元弘3年の合戦に敗れた北条
仲時とその従士430余名の墓があり、長谷川伸の「瞼の
母」で有名な番場の忠太郎や、斎藤茂吉ゆかりの寺でも
ある。

 菊の御門のある開かずの山門や、大きな本堂、広い境
内のモミジやツツジが目につくが、参観は有料なので、
門前で休憩する。          (続く)


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