あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

関東百駅巡礼歩行38(伊豆箱根鉄道大雄山駅)

2007-10-21 23:40:33 | 関東百駅巡礼歩行
 さわやかな秋空に恵まれた今日は、カタツムリ歩行
会の例会で、つくばエクスプレス、流山おおたかの森
駅に出かけましたが、まだ先週のレポートが2つ残っ
ているので、そちらを先に報告します。

========================

 2007年10月13日(土)
 関東百駅巡礼歩行(38)
 =伊豆箱根鉄道大雄山駅=


 
 やまさんの関東百駅巡礼歩行、38番は、伊豆箱根
鉄道大雄山(だいゆうざん)線の大雄山駅である。

 小田急電車で小田原駅まで行き、大雄山線へ。もう
少しローカル色豊かな路線かと思ったが、沿線は住宅
地が続き、車両も首都圏の大手私鉄と変わりないりっ
ぱなものだった。

 終点大雄山駅に集まったのは、神奈川と東京在住が
中心の12人。駅前に、大きな熊に乗った足柄山の金
太郎の銅像がある。


 いつものように記念撮影をして11時3分にスタート
した。


 今日のやまさんのテーマは、地図上にある「記念碑」
マークを探しながら回ろうというもの。確かに目指す
エリアには、幾つもの記念碑マークがある。

 町並みを西北へ向かう。南足柄市役所前を狩川に
向かって下り、橋を渡る。

 
 火の見やぐらの横を上がって広町の名前の分から
ぬお寺へ。コンクリート造りで、寺らしくない本堂の
建物。でも中をのぞいたら古い仏像が祭られていた。

 そばの民家に、「パンあります」の看板が出ていた。
高橋さんのパン工房で、土曜の今日は休業という。

 でも、美味しいパンを試食させてもらう。

 隣の寺は、高橋さんのお父さんがひとりで建てたと
いう。「しょうぼう寺」といわれたが、漢字名は分から
なかった。

 河沿いに戻り、南東の猿猴院に回る。庫裡(くり)は
工事中だった。南側の小さな神社を経て、飯沢の次
の神社を目指したが、少し回り道して正午近くに着く。

 飯沢八幡ともいわれる南足柄神社である。

 室町時代の応永元年(1394)に大雄山最上寺が
創立されたとき、足柄明神と飯沢八幡の2神が手伝
いにきたとの伝説があるという。

 広い境内は豊富な緑に覆われ、社殿もりっぱ。もと
本殿だったという、社殿らしい造りの神楽殿もある。
境内の緑陰に並ぶベンチで昼食にした。

 南に回り、大雄山街道を下り、金剛禅寺へ。鐘楼が
あり、秋葉神社も祭られていた。近くの富士フイルム
足柄工場の、テニスコートと社員寮の間を抜ける。

 Mさんが、畑の隅の色づいた柿の実を採る。かじっ
てみたら甘かった。

 さらに南に進んで極楽寺に入る。
駿河の今川義元の血筋を引く仏満(ぶつまん)禅師の
建立という。

 りっぱな本堂を取り巻く境内は広く、うっそうとした
樹木に覆われ、庭木や参道はきれいに手入れされ
ている。


 目を引くのは鐘楼。四隅の柱に、亀や龍、キジ、
ヘビ、松竹梅などの精巧な木彫が施されている。

 このような鐘楼を見たのは初めてだ。つるべ井戸の
遺構もあった。

 山ふところを西に回って行くと、色づいた柿の葉が
たくさん落ちていた。

 何れも色鮮やかだが、持ち帰っても色あせてしまう
だろう。

 西が高い斜面林の下に、清左右衛門地獄と呼ぶ湧
水池があった。

 昔、清左右衛門という人が、よい水源を探してここ
まで来て、乗馬もろとも地中深く落ち、そこから勢い
よくたくさんの水がわき出したのだという。

 現在は、富士フイルムが管理し、足柄工場の第二
水源地になっている。

 池の中には弁天堂が祭られ、池のそばには、紅白
のフヨウがたくさん咲いていた。

 北に上がって大雄山詣での古道に出る。街道らしい
雰囲気を残す道筋を上がり、バス道路に出て少しで
石造の細長い円柱が立っていた。大雄山ゆかりのも
のらしい。

 その先に大雄山最乗寺の仁王門があり、14時ころ
に着く。ここで今日のウオークは解散となる。


 すぐにきた大雄山行きバスで、やまさんなど数人が、
まだしばらく先の大雄山最乗寺に向かい、私など残り
のメンバーは下ってきたバスで大雄山駅に戻った。

 戻った皆さんは、近くにあるタオルの量り売りの店
に行くという。私は皆さんに別れ、別のバスで新松田
駅に出て、小田急線で新宿駅に向かった。

(天気 晴、参加 12人、距離 5㎞、地図(1/2.5万)
 関本、歩行地 神奈川県小田原市) 
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中山道に残る近代化遺産

2007-10-20 22:21:48 | 中山道を歩く
 昨日まで報告した第8次中山道ウオークの初日に、
H隊長から現地で、琵琶湖疏水のことを説明してもら
ったことを報告しました。

 そこで、琵琶湖疎水についてもう少し調べてみたい
と思い、昨日書店に行ったら、10月から11月にかけ
てNHK教育テレビで放映中の「知るを楽しむ」の『ニッ
ポン近代化遺産』という番組のテキストを見つけました。



 この中に、「夢の総合開発プロジェクト」というテーマ
で、琵琶湖疏水が取り上げられ、すでに放映は済んで
いるのですが、テキストには17頁にわたり、詳しく述べ
られています。

 まだ全文を読んではいませんが、このプロジェクトが
京都市の近代化や、東京遷都後の京都の活性化など
に大きな貢献をしていることが分かりました。

 写真は琵琶湖疏水の、あるトンネルです。


 ところで、このテキストにはほかに、「桃介と貞奴の
愛のかたち」という題で、木曽川の電源開発が、また、
「急勾配に挑んだ機関車」というテーマで、旧信越線
の碓氷峠越えに使われた電気機関車のことが取り上
げられています。

 いずれも、いま皆さんが歩行中の第8次中山道ウオ
ークの沿線にあり、昨年、一昨年の前回や前々回など
のウオークでゆかりの場所を通過しており、中山道が、
日本の近代化にとって、大変重要な街道であったこと
が分かります。

 ほかに、「シルクカントリー秘話」というテーマで、中山
道に近い、群馬県の富岡製糸場なども取り上げられて
います。

 テキストにはないのですが、埼玉県の深谷市は、明
治維新後の日本の産業や金融の基礎を築いた、渋沢
栄一の出身地で、東京駅などのレンガを製造した工場
の遺構も残っています。

 テキストを見て、中山道ウオークの中で、これら日本
の近代化遺産を訪ねながら歩いてみると、当時の中山
道の重要さが、さらに認識できるのではないかと感じ
ました。
コメント (2)
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第8次中山道ウオーク③(高宮宿~関ヶ原宿)続き

2007-10-19 17:59:26 | 中山道を歩く
 ヒガンバナの咲き残る里道を進み、復元した久礼一里
塚付近で、名神高速と北陸道とのジャンクション上を知
らぬ間に通過する。



 あちこちにコスモスの咲く三吉集落を抜け、樋口からは
車を気にせず進める名神高速寄りの旧道。車の通れぬ
名神高速そばの細道に入り、正午近くJR醒ヶ井(さめが
い)駅に着いた。

 ここで昼食となり、駅前の小さい食堂と、駅横の地元産
品の売店やレストラン、軽食堂などのある「水の宿駅」と
に分かれて食事を済ませる。

 駅の先からは、醒ヶ井宿を流れに沿って進む。流れに
は、水温15度前後の湧水を好む緑の水草、バイカモが
たくさん見られ、初夏から晩夏に咲くという小さな白い花
も残っていた。


 流れに回る小さな水車や、朝鮮通信史との対応に貢献
した儒学者、雨森芳洲の歌碑、石垣下から豊富な湧水を
見せる居醒の清水などを見ながら進んで醒ヶ井宿を出る。


 しばらくは名神高速と国道21号に沿った谷間を進む。


 石の地蔵がたくさん並んだお堂を過ぎ、杉やヒノキの下
の、ちょっとぬかる土道を500mほど通過して小川の関
跡で車道に戻る。

 ひこばえの伸びた田んぼの間を抜ける農道で近道をし
て、松並木の残る中山道に戻る。


 周囲を緑の山並みに囲まれ、このあたりも車の少ない
気持ちよい道。柏原宿の入口には、復元したばかりの
一里塚が出来ていた。


 古い家並みに旧街道の雰囲気を感じる柏原宿。それぞ
れの家に、旅籠屋、造り酒屋などの職業と名前を記す木
札が下がっていた。


 宿場の外れには、中世の仏教説話「小栗判官照手姫」
の照手姫が判官の平癒を祈った地蔵堂がある。 好天の
午後、さわやかな風が汗ばんだ体に心地よい。

 明治時代に植えたという太いカエデ並木の間を通過し、
長久寺集落に入ると、「寝物語の里」の石碑が立つ。

 ここは近江(滋賀)と美濃(岐阜)との国境(県境)。国境に
は細い溝があり、溝を挟んで両国の人が寝ながら他国の
人と話合えたので、「寝物語の里」の名が生まれたという。

 国境を挟んで並ぶメンバー、右が近江、左が美濃である。
道を挟んだ美濃側には芭蕉句碑が立つ。

 JR東海道線の南に回ると、美濃で最初の今須宿。宿を
東に抜けたところに、復元したらしいが見栄えのよい一里
塚がある。


 国道を横切り、今須峠を下った山中集落の西端に、都
一(みやこいち)の美女といわれた源義朝(よしとも)の愛妾
(あいしよう)、常盤御前(ときわごぜん)の墓がある。

 東国に走った子、牛若の行方を案じて追った御前は、
土賊に襲われここで息を引き取り、山中の人が葬ったの
だという。

 近くに流れる黒血川は、壬申(じんしん)の乱(672)の激
戦で両軍の兵士の流血が、川底の岩石を黒く染めたこと
からこの名がついたとか。その後も関ヶ原の戦いなどの戦
場にもなったようだ。

 さらに1㎞ほどで、「木曽路名所図絵」にも描かれたとい
う東山道の不破(ふわ)関守(せきもり)跡。

 関は、延暦8年(789)以後に設けられ、越前の愛発、
伊勢の鈴鹿とともに日本の三関といわれたという。

 少し先、左手の民家の間を入った畑の中には、壬申の
乱の時、大海人皇子が兜(かぶと)を掛けたと伝えられ
る「兜掛石」が小さいお堂に祭られていた。


 交通量の多い国道に入り、すぐ先で西首塚に寄る。関ヶ
原合戦の戦死者数千の首級を葬った塚とか。塚の上に
は十一面観音と馬頭観音のお堂があり、ケヤキだろうか
太い木が枝を広げていた。

 最後の関ヶ原宿に入り、JR東海道線関ヶ原駅入り口の
角にある旅籠屋ます屋が皆さんの今日の宿。16時20分
に着いた。

 3日間お世話になったH隊長ほかの皆さんに分かれ、昨
日、今日、荷物運搬をしてもらったOさんの車に預けた荷
物を受け取り、関ヶ原駅に急ぐ。

 関ヶ原駅16時31分発東海道線に飛び乗り、名古屋か
ら東海道新幹線ひかり380号に乗り継ぐ。21時過ぎに
帰宅した。

〈コースタイム〉高宮駅8・23ー国道306号交差点8・59ー
鳥居本宿本陣跡9・35~41ー磨針峠望湖堂10・03~12ー
蓮華寺10・55~11・06ー久礼一里塚跡11・20ー醒ヶ井駅前
(昼食)11・54~13・00ー松並木13・31ー柏原駅前14・11~
23ー寝物語の里(県境)14・52~57ー今須郵便局15・09ー
常盤御前の墓15・30~34ー不破の関跡15・50~57ー西首
塚16・12ー関ヶ原駅入り口(旅籠屋ます屋)16・20

(天気 晴、距離 28.5㎞、歩行地 彦根市、米原市
 (旧米原町、山東町)、滋賀県関ヶ原町)
 
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第8次中山道ウオーク③(高宮宿~関ヶ原宿)

2007-10-19 15:46:36 | 中山道を歩く
 2007年10月12日(金) 第3日 
 =高宮から関ヶ原まで=


 
 前日宿泊した彦根のビジネスホテルから近江鉄道で
高宮駅まで戻り、8時27分にスタートした。今日も好天
である。

 昨日からの参加で、コースリーダーでもあるMさんは、
交差点や分岐点などに、中山道の目印になる赤いビニ
ールテープを貼っている。


 高宮宿を抜けてすぐ、近江鉄道の踏切付近には、たく
さんのヒガンバナが咲き競っていた。


 しばらくは車の多い車道歩き、しかも歩道がないので
うっとうしい。いつになったら安全に歩ける街道になるの
だろうか。当分は期待できそうにない。

 「天寧寺五百らかん」と彫られた大きな石碑の近くで、
東京から京都に向かうご夫妻と行き交い、励ましを交わ
す。間もなく東海道新幹線と名神高速道路が右から近
づいてきた。

 その新幹線のガードをくぐり、高速道路との間に入っ
たところに、小野小町塚があった。

 地元に伝わる郷土芸能「小野町太鼓踊り」に小野小町
が歌われ、この地を誕生地とする伝承が残っていると
いう。

 2㎞ほどで鳥居本(とりいもと)宿。雨傘を看板にした
古い家がある。松屋といい、傘や合羽を扱う店らしい。


 中山道が右折したところには、古くから漢方薬を製造
販売している、赤玉神教丸本舗の有川家がある。

 日本瓦と白壁の、大きな店構えだった。


 鳥居本宿を抜けると、磨針峠(すりばりとうげ)へ向かう
上り道。ひとしきり上がった峠には神明宮があり、江戸
時代には望湖堂と呼ぶ大きな茶屋があったという。

 神明宮の裏庭に回ると、その名のとおり琵琶湖が一望
出来るが、手前にある大きなエレベータ工場が景観を損
ねる(上の写真より少し左)。

 神明宮下を出発直前のメンバー。


 狭い街道を下って行くと、コスモスやサワヒヨドリ、ススキ
などの咲く山間の気持ちよい道。


 豊富な緑が、上りの疲れを忘れさせてくれる。  


 米原市に入り、正面に近づいた田んぼの向こうに、伊吹
山が見えてきた。


 間もなく、商店も見られぬ小集落の番場宿だが、ここに
は蓮華寺(れんげじ)という大きな寺がある。

 聖徳太子の建立で、鎌倉時代に一向上人が再興し、現
在は浄土宗とか。京都での元弘3年の合戦に敗れた北条
仲時とその従士430余名の墓があり、長谷川伸の「瞼の
母」で有名な番場の忠太郎や、斎藤茂吉ゆかりの寺でも
ある。

 菊の御門のある開かずの山門や、大きな本堂、広い境
内のモミジやツツジが目につくが、参観は有料なので、
門前で休憩する。          (続く)


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第8次中山道ウオーク②(草津宿~高宮宿)続き

2007-10-18 12:37:16 | 中山道を歩く
 道の駅での40分の昼食時間を終え、まだ先の長い
午後のコースへ。田園地帯に出ると収穫前の黄金田
が広がる。


 コスモスの咲き乱れる西横綱集落を過ぎ、日の川左
岸から横関橋を渡って近江八幡市に入った。


 右岸を少し戻って東横関の家並みを抜け、馬淵町
を通過する。武佐宿が近づき、空き地に1本の大きな
クスノキが目につく。伊庭貞剛(いばていごう)翁生誕
地である。

 伊庭家は近江守護佐々木家の流れをくむ名家。
貞剛は弘化4年(1847)生まれ。江戸末期の剣士
で、維新後は京都御所警備隊士、裁判所判事などを
経て、四国の別子銅山支配人として公害問題に対処、
銅山周辺の山の植林などを実行した人だという。


 小さな駅舎の近江鉄道武佐駅でトイレ休憩。武佐
宿には、昔の面影を残す旅籠中村屋などがあり、武
佐郵便局も屋敷風だった。


 明治19年(1886)建築で国の有形文化財に登録
された、洋風の旧八幡警察署武佐分署も目につく。


 隣の安土町(あづちちよう)に入り、国史跡・老蘇(お
いそ)の森の一角にある奥石神社で小休止。

 老蘇の森は、万葉の時代から数々の歌によまれた
名高い森とか。森の奥に鎮座する奥石神社は、延喜
式神明帳(えんぎしきしんめいちょう)に記された古社
で、現在の本殿は天正9年(1581)に建てられたもの
だという。

 東近江市(旧五個荘町)には、「清水鼻の名水」と
呼ぶ湧水があり、まろやかな味わいだった。五個荘の
家並みにも、わらぶきの平屋が2つ残り、明治か大正
期の建築と思われる、銀行らしい2階建ての洋館も目
に入る。


 午後はペースがいっそう上がり、足の遅い私は、古
い建物などを撮っているとさらに遅れ、いつも最後尾
になる。

 愛知川(えちがわ)の御幸橋を渡って愛知川宿へ。橋
のたもとに古い「むちんばし」の石標が立つ。天保2年
(1831)にかけられた橋は、橋賃をとられなかったの
で、無賃橋と呼ばれたという。

 「中山道愛知川宿」と記された背の高いゲートを通
過し、愛知川宿を抜ける。

 天気は回復して青空が広がるが、日没が迫ってきた。

 歌詰橋を渡ると豊郷町(とよさとちよう)。少し先に
「江州音頭発祥地」の石碑が立つ。天正14年(1586)
に兵火で焼失した観音堂を再建したとき、再建を喜ぶ
盆踊りで歌われ、現在に歌い継がれているという。


 観音堂のある千樹寺や、近江商人の旧宅を資料館と
して公開しているという又十屋敷、大手商社の丸紅や
伊藤忠の創始者・伊藤長兵衛屋敷跡など、時間があれ
ば立ち寄りたいところも走るように通過し、校舎の保存
で話題になった豊郷小前を過ぎる。


 日没が近づき、ようやく高宮宿の彦根市高宮町に
入った。

 葛籠(つづら)町に何本か残る松並木を過ぎ、17時
41分に、今日のゴール、近江鉄道高宮駅に着く。
歩数計は6万歩を越え、さすがに疲れた。

 3分後の電車に急ぎ乗り、終点の彦根駅まで行き、
駅に近いビジネスホテル、ホテルサンルート彦根に
18時近くに入った。

〈コースタイム〉JR草津駅8・15ー花岡交差点8・44
ー今宿一里塚9・11ー東門院9・22~30ー野洲川橋
西詰9・41ー新幹線下交差10・10ー桜生史跡公園
10・31~43ー平宗盛終焉の地11・24~26ー道の駅
龍王かがみの里(昼食)11・35~12・15ー善光寺川
の橋12・31ー伊庭貞剛屋敷跡13・17ー武佐駅13・34
~40ー奥石神社14・20~30ー五個荘支所15・13~
20ー愛知川北詰15・40ー歌詰橋16・19ー豊郷小16・
49ー出町の交差点17・07~近江鉄道高宮駅17・41

(天気 曇一時雨後晴、距離 40㎞、歩行地 草津
 市、守山市、野洲市、竜王町、近江八幡市、安土
 町、東近江市(旧五個荘町)、愛荘町(旧愛知川町)、
 豊郷町、彦根市)
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第8次中山道ウオーク②(草津宿~高宮宿)

2007-10-17 21:32:23 | 中山道を歩く
 2007年10月11日(木) 第2日
 =草津から高宮まで=


 
 ホテル近江守山での朝食を済ませ、JR守山駅から
上り電車で草津駅まで戻り、8時15分に霧雨模様の
草津駅前をスタートした。今日の参加者は18人である。

 いつも背中のゼッケンに、ユニークなメッセージを記
されるWさん。

 今回は、コース前半の旧国名を盛りこんだメッセージ。

 今日のコースは、滋賀県内をほぼ北東に向けて、平
地歩きが中心だが距離は長い。日暮れまでに高宮宿
到着を目指し、スタートから早いペースで進みそう。

 草津宿を抜けて隣の栗東(りっとう)市に入る「綣(へ
そ)」という珍しい地名のところを通過する。

 それにしても、古い家並みの残る街道筋も、電線や
電柱が景観を大きく損ねているのが残念だ。

 一角に大宝神社もある大宝公園には、元禄3年
(1690)、この地に足を留めた芭蕉の、「へそむらの
まだ麦青し春のくれ」という句碑があった。


 江戸日本橋から草津宿まで、中山道に129か所あ
った一里塚の128番目に当たるという今宿一里塚に
は、先代の脇芽が成長して太くなったエノキが、大き
く枝を広げていた。


 古い家並みの残る守山宿へ。右カーブ点にある東門
院はりっぱな本堂。緑豊富な境内の一角に太いイチョ
ウが立ち、下にびっしりとギンナンが落ちていた。


 そばの石造の五重塔は、鎌倉時代の造立と考えられ
たとのことで、滋賀県重要文化財である。

 山門を入ったところには、しめ縄を付けた大きな石
造のカエルがいる。


 守山宿を東に抜け、野洲川橋を渡って野洲(やす)市
に入る。橋から見える西側の低い山の上部は、雨雲に
隠されていた。


 かやぶき屋根の唯心寺や、鎌倉時代のものという背
くらべ地蔵(上の写真)の先で、左に朝鮮通信史ゆかり
の朝鮮人街道を分ける。


 東海道新幹線のガードの手前と先に、造り酒屋など、
かやぶき屋根の家が残っていた。

 
 家並みが途切れたあたりには、滋賀県下でただ1軒
という、本藍(あい)染めを伝承している森義男氏宅がある。

 中山道が東海道新幹線に接した南側は、6世紀中頃
の円墳という甲山(かぶとやま)古墳。一帯は桜生(さく
らば)史跡公園になっていて、そばの二つの古墳も紹介
するガイダンス施設があり、トイレ休憩を兼ねて参観
した。

 1㎞足らずで、天井(てんじょう)川である家棟川の下
を抜けるはずだったが、川の堤防は崩され、道路の拡
張工事中。流れは無くなったらしい。


 すぐ先で国道8号に入ると、車の交通量が急に増え
てきた。

 国道の南に500m近く続く、西池の堤防に沿って進
む。雄略天皇の時代(413年ころ)、近江の国に作ら
せた48の池で最大のものというが、のぞく暇はない。

 さらに1㎞余り、南側の林のすそを200mほど入る
と、平家最後の最高責任者、平宗盛終焉(しゆうえん)
の地。

 そばの案内板によれば、平家が滅亡した地は壇ノ浦
ではなく、ここ野洲市で、宗盛父子は源義経にここで
切られたのだという。


 少し先には「義経元服の池」の石碑があり、道を挟
んで、新しい「道の駅龍王かがみの里」が出来ていた。

 レストランや農産品販売所などがあり、ここで昼食
とする。                  (続く)
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第8次中山道ウオーク①(京都・三条大橋~草津宿)

2007-10-16 11:04:03 | 中山道を歩く
 第3回の2003年から毎年、区間参加している中山道
ウオーク。今年は10月10日(水)に京都・三条大橋を出発
し、途中、3日間のぶらり探訪日を含み、22日目の10月
31日(火)の、東京・日本橋ゴールを目指してスタートした。

 全コースを歩きとおすのは、男子6名、女子2名の計8名。
区間参加を含めると延べ420人を超える参加者が見込まれ
ている。

 私は、出発の京都~関ヶ原までの3日間と、最終日の大宮
~東京・日本橋に参加する予定である。

 2007年10月10日(水) 第1日
 =京都・三条大橋~大津宿~草津宿=



 午前中は雨も予想された予報が外れ、朝から快晴である。
集合時刻の9時30分前に、東北から九州まで各地からの
参加者約30名と見送りの方数名が、鴨川にかかる三条大橋
西詰めに集まった。

 今回の隊長は、大阪市のHKさん。1999年1月から2年か
けて全国1万1千㎞余りを歩いた伊能ウオークの本部隊員の
一人。現在は、日本ウオーキング協会の専門講師などの立
場から、ウオーキングの普及に尽力されている。

 Hさんの挨拶の後、ストレッチ体操や、日本橋への完歩を
目指してのげきを飛ばし、記念撮影後、9時35分に三条大
橋をスタートした。


 今日の行程は、大津宿、草津宿を経て守山宿までの32.
1㎞。ちなみに京都から草津まで、中山道は東海道と同じ
道筋である。

 三条通を東へ1.5㎞ほどで東山山ろくの蹴上(けあげ)へ。
ここで琵琶湖疎水(そすい)のそばに上がる。

 レンガ造りの浄水場と満々と流れる疎水を見下ろすところ
で、Hさんから、「明治2年(1869)に、都(みやこ)が東京に
移った京都振興のカンフル剤として計画された、疎水事業
について」の説明がある。

 市の年間予算の十数倍の費用を投入して、知事が託した
若干21歳の主任技師の手により、すべて日本人の手により
行った、わが国最初の画期的な大土木事業だったことを知
った。

 蹴上から1㎞余り、中山道を外れて北へ回り、琵琶湖疎水
のレンガ積みのトンネルも見る。


 さらに疎水の左岸沿いに天智天皇陵のそばまで進み、そ
のレンガを製造した場所という御陵の家並みを抜け、JR
東海道線の南に出て中山道に戻った。

 間もなくの、京阪電車とJR東海道線の山科駅前で休憩し、
各自弁当を調達する。


 京阪電車の南側を並行する旧道を進み、名神高速道路と
京阪電車に並行して谷間を緩やかに上がり、京都と滋賀の
府県境を通過した。

 逢坂山(おうさかやま)関跡付近から下りとなり、国道1号
から国道161号へ。


 大津市の市街地に入って大津駅前を左折、裁判所のそば
にあった小公園の芝生で昼食をする。


 公園からは西に、昨年同じころ上がった比叡山がよく見
えた。


 ここまでで帰る女性三姉妹と、Hさんのもとの会社のOB
3人が紹介された後、出発する。

 きょうは琵琶湖畔を行こうということになり、公園の通りを
真っ直ぐ進んで湖岸に出た。

 雲ひとつ無い青空の下に、広々とした琵琶湖の湖面が広
がり、車の通らぬ遊歩道なので安心して歩ける。湖面から
のさわやかな風が心地よい。

 ふり返ると、比叡山がまだゆったりとした山容を見せて
いた。

 城のような造りの琵琶湖文化館や、巨大なびわ湖ホール、
超高層のホテルのそばなどを通過し、琵琶湖南岸をまたぐ
近江大橋下を抜ける。

 その先は膳所(ぜぜ)城跡の公園。松の木陰などの緑陰で
休憩した。

 すでに時刻は14時半過ぎ。スタートが遅かったので、守山
まで行くと暗くなると予想され、予定を変更し、今日は草津
までとする。

 さらに湖岸の遊歩道を進み、JR東海道線と国道の瀬田
川大橋下を通過、瀬田唐橋際で中山道に上がり、大きな擬
宝珠(ぎぼし)の欄干が並ぶ日本三大名橋、瀬田唐橋を渡る。

 
 大江の住宅地を進んで一里山にある一里塚跡を過ぎ、住宅
に囲まれた月輪池の横を抜ける。


 野路町に入ると、国道との交差点近くに草津市の保存樹木
になっている樹齢150年のアベマキと樹齢百年のエノキが、
双子のように並んで立っていた。 

 間もなくの、東屋(あずまや)のある小公園、野路上北池公
園には、新しい野路一里塚の標識がある。


 かやぶき屋根の山門がある立木神社を過ぎ、草津宿に入
った。

 街道宿らしい建物が残る町並や、アーケードのある本四
商店街を通過する。「草津宿がわかる歴史館」や脇本陣の先、
天井川(てんじようがわ)になっている草津川のトンネル手前
が、中山道と東海道との分かれ道。

 道しるべの大きな常夜灯が立っていた。

 トンネルを抜けると、今日のゴールとなったJR草津駅は
近い。17時12分に着いた。

 通勤帰りの乗客で混雑する東海道本線下り快速電車で守山
駅まで行き、駅に近いホテル近江守山に入る。

 18時半からホテルロビーを借り切りで結団式のパーティを
開催し、20時半頃まで賑やかに顔合わせの歓談をした。


〈コースタイム〉京都・三条大橋9・35ー蹴上10・00~15ー天智
天皇御陵際11・05~10ー山科駅前11・29~50ー京都・滋賀府
県境12・12ー大津裁判所横の公園(昼食)13・00~30ー武道館
14・11ー膳所城跡公園14・35~40ー瀬田唐橋西詰15・14ー
一里山の一里塚跡15・55ー野路の玉川16・25ー立木神社前
16・55ーJR草津駅17・12

(天気 快晴、距離 28㎞、歩行地 京都市、大津市、草津市)
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雑誌「新ハイキング」11月号に四国遍路アドバイス

2007-10-15 19:26:58 | Weblog
 きょう10月15日(月)、首都圏を中心に発売した、雑誌
「新ハイキング」11月号に、前号に続き『四国八十八カ所
を巡る 歩き遍路へのアドバイス』を投稿しました。


 前号では、主に歩く前の準備を中心の内容でしたが、
11月では、実際に現地で、歩き遍路をする際に注意す
べきこと、気をつけること、用意することなどを紹介しま
した。

 ただ、限られた誌面ですので、細かいことまで述べる
ことが出来ませんでしたので、近く、初めて歩くにあた
って参考になると思われることを、「四国遍路へのアド
バイス」といったカテゴリーを設けて、内容も増やして
当ブログに投稿します。

 なお、私が実際に歩いた2回の四国遍路レポートは、
当ブログのカテゴリー欄「四国遍路(前編)と(後編)」、
「四国遍路道ふた旅(前編)、(後編)」に、また、四国
遍路関連のもろもろ情報は「四国遍路あれこれ」をクリ
ックしていただくと、ご覧になれます。

 

 

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国際ウオーキングトレイル実踏(白州~長坂)

2007-10-14 23:20:16 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 2007年10月4日(木)
 =白州から台ヶ原経由長坂へ=


 
 5時40分ごろ起床。朝食前の散歩に南側の竹宇
(ちくう)集落へ。

 天満宮周辺からは、収穫間近な黄金田が広がり、
その向こうに短時間だが、鳳凰三山の一角か、鋭
く落ちた山容が見えた。


 天然酵母パンなど、ヘルシーな朝食をいただき、8時
10分にカサデモンテ白州を出発した。


 もう一度、竹宇の集落を回って東へ進むと、黄金田
が広がる。


 白州中の横から台地の上に出て、新興住宅地の横を
通過して、国道20号に近い若宮八幡神社に下った。


 拝殿の上に、軍配をかざす武田信玄や、中国風の竜
頭舟に乗った人の絵が奉納されていた。


 境内には、目通り5.84m、地上6.6mで折れた幹
から枝を広げた、太いモミの古木が立っていた。

 すぐそばに道の駅白州(はくしゆう)がある。

 円錐形の屋根が目につく情報交流館に、農産物直売
所や、インフォメーションコーナー、食堂などがあり、多く
の人で賑わっていた。

 建物の前には、日本名水百選のひとつ、甲斐駒ヶ岳山
ろくの花崗岩から流出した「白州・尾白川天然水」と呼ぶ
軟水が出ている。

 飲んでみたら、まろやかな感じだった。

 I さんは用事があり、バスで韮崎駅に向かうので分か
れた。天気がすっかり回復し、青空が広がる。

 ここで、やまさんは予定を変え、この先は次回歩くこと
にして、釜無川を渡って北東に台地を上がり、長坂駅に
向かうことになった。

 国道20号を500mほど進んで北杜市白州支所に寄り、
旧白州町1万分の1平面図を入手する。そばのコンビニ
で長坂方面の地図を拡大コピーしてから、旧甲州街道の
台が原宿の通りに入った。

 郵便局の先の金精軒という和菓子屋と、はす向かいで
大きな杉玉の下がる七賢酒造は、江戸時代の宿場の面
影を残す建物。金精軒は休業日なので、七賢酒造に入る。

 西側の建物は、寛延2年(1749)に信州・高遠の酒造
業、北原家がこの地で分家して建築したもの。明治13年
(1880)には明治天皇が巡行の際の行在所にもなり、
山梨県の有形文化財に指定されている。

 内部は自由に見られるようになっていて、歴史を感じる
太い梁の巡らされた建物に、酒樽や数々の製品が並び、
銘柄を指定しての試飲や、直販品の購入も出来る。


 数年前に来たときには無かった直営レストランも、別棟
に出来ていた。

 すぐ先の交差点を北へ、釜無川の花水橋を渡って対
岸の花水集落へ。集落の北西端の高台にある古寺、
清泰寺に寄る。まだヒガンバナの咲き残る境内。かや
ぶきの山門前に、こけむした石仏が並んでいた。

 さわやかな風が吹き上げてくる山門で昼食をする。

 山門横に、山梨県の巨樹名木百選に選定された、カヤ
の大木が立つ。木の下に実がたくさん落ちていたので、
ひとつかみだけ拾った。


 花水集落は、好天なら鳳凰三山などの好展望台と思わ
れるが、雲が切れず、山頂は見えない。集落の東端を
通過してさらに東へ上がる旧道を進む。

 林間に入り、大きくカーブして北に上がり、左から上がっ
てくる旧道より幅広い道に合する。


 色づいたリンゴ畑が現れ、間もなく下中丸の集落まで
上がった。

 開設間もないと思われる新しい長坂郷土資料館の前
を進み、清春芸術村に入る。広い芝生地や白樺林に彫
刻が幾つかある。

 独特の円形建物が清春白樺美術館かと思ったが、奥
の建物だった。

 以前に2度、そばを通過しなが入ったことがないので
入館したが、特別展の東山魁夷作品はリトグラフ。常設
展も展示品は少なく、入館料900円にしては不満足だ
った。

 奥の林間に、東京・新宿の自宅から移築したという、
梅原龍三郎アトリエがあった。

 下中丸の南側の住宅地を下る途中、雲の上に山頂
付近だけだが、富士山が姿を見せた。東側にはニセ
八ヶ岳とも呼ばれる、茅ヶ岳が全容を現した。


 南へ標高差百㍍ほど下り、大深沢川の右岸沿いへ。
北へ進んで川を渡り、国蝶オオムラサキの自然観察路
になっている、「やまなしの歴史文化公園」の林間を上
がる。

 山梨県立農業大学校のそばに出て、JR中央本線の
ガードをくぐる。線路沿いの遊歩道を上がると、雲の上
に再び富士山が見えた(左側の森の上ですがわかりま
すか?)。


 北杜市長坂支所前を通り、13時50分に、JR長坂駅
に着いた。

 帰途、韮崎市にお住まいで、初回の四国遍路の際に
愛媛県内の宿でお会いした、I さんご夫妻を訪ね、2時
間近く、遍路の思い出話や近況などを交換した。

(天気 曇後晴、距離 13㎞、地図 長坂上条、歩行地
 北杜市(旧白州町、長坂町)、歩数 23,100)
コメント (2)
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関東百駅巡礼歩行(大雄山駅)へ

2007-10-13 22:48:10 | Weblog
 昨10月12日夜、3日間の中山道ウオークから帰り、
睡眠不足と多少の疲労が残っていましたが、今日10月
13日(土)は、神奈川県小田原市郊外の、大雄山鉄道
の終点、大雄山駅に集まっての、関東百駅巡礼歩行に
出かけました。

 明日も、カントリーウオークグループの例会があり、
その準備もあって、今日もレポート投稿は休みます。

 中山道ウオークと関東百駅巡礼歩行とも、明日以降に
順次アップします。

 写真は、今日歩いた大雄全駅周辺の道路に落ちていた、
カキの葉です。
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