あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

関東百駅巡礼歩行38(伊豆箱根鉄道大雄山駅)

2007-10-21 23:40:33 | 関東百駅巡礼歩行
 さわやかな秋空に恵まれた今日は、カタツムリ歩行
会の例会で、つくばエクスプレス、流山おおたかの森
駅に出かけましたが、まだ先週のレポートが2つ残っ
ているので、そちらを先に報告します。

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 2007年10月13日(土)
 関東百駅巡礼歩行(38)
 =伊豆箱根鉄道大雄山駅=


 
 やまさんの関東百駅巡礼歩行、38番は、伊豆箱根
鉄道大雄山(だいゆうざん)線の大雄山駅である。

 小田急電車で小田原駅まで行き、大雄山線へ。もう
少しローカル色豊かな路線かと思ったが、沿線は住宅
地が続き、車両も首都圏の大手私鉄と変わりないりっ
ぱなものだった。

 終点大雄山駅に集まったのは、神奈川と東京在住が
中心の12人。駅前に、大きな熊に乗った足柄山の金
太郎の銅像がある。


 いつものように記念撮影をして11時3分にスタート
した。


 今日のやまさんのテーマは、地図上にある「記念碑」
マークを探しながら回ろうというもの。確かに目指す
エリアには、幾つもの記念碑マークがある。

 町並みを西北へ向かう。南足柄市役所前を狩川に
向かって下り、橋を渡る。

 
 火の見やぐらの横を上がって広町の名前の分から
ぬお寺へ。コンクリート造りで、寺らしくない本堂の
建物。でも中をのぞいたら古い仏像が祭られていた。

 そばの民家に、「パンあります」の看板が出ていた。
高橋さんのパン工房で、土曜の今日は休業という。

 でも、美味しいパンを試食させてもらう。

 隣の寺は、高橋さんのお父さんがひとりで建てたと
いう。「しょうぼう寺」といわれたが、漢字名は分から
なかった。

 河沿いに戻り、南東の猿猴院に回る。庫裡(くり)は
工事中だった。南側の小さな神社を経て、飯沢の次
の神社を目指したが、少し回り道して正午近くに着く。

 飯沢八幡ともいわれる南足柄神社である。

 室町時代の応永元年(1394)に大雄山最上寺が
創立されたとき、足柄明神と飯沢八幡の2神が手伝
いにきたとの伝説があるという。

 広い境内は豊富な緑に覆われ、社殿もりっぱ。もと
本殿だったという、社殿らしい造りの神楽殿もある。
境内の緑陰に並ぶベンチで昼食にした。

 南に回り、大雄山街道を下り、金剛禅寺へ。鐘楼が
あり、秋葉神社も祭られていた。近くの富士フイルム
足柄工場の、テニスコートと社員寮の間を抜ける。

 Mさんが、畑の隅の色づいた柿の実を採る。かじっ
てみたら甘かった。

 さらに南に進んで極楽寺に入る。
駿河の今川義元の血筋を引く仏満(ぶつまん)禅師の
建立という。

 りっぱな本堂を取り巻く境内は広く、うっそうとした
樹木に覆われ、庭木や参道はきれいに手入れされ
ている。


 目を引くのは鐘楼。四隅の柱に、亀や龍、キジ、
ヘビ、松竹梅などの精巧な木彫が施されている。

 このような鐘楼を見たのは初めてだ。つるべ井戸の
遺構もあった。

 山ふところを西に回って行くと、色づいた柿の葉が
たくさん落ちていた。

 何れも色鮮やかだが、持ち帰っても色あせてしまう
だろう。

 西が高い斜面林の下に、清左右衛門地獄と呼ぶ湧
水池があった。

 昔、清左右衛門という人が、よい水源を探してここ
まで来て、乗馬もろとも地中深く落ち、そこから勢い
よくたくさんの水がわき出したのだという。

 現在は、富士フイルムが管理し、足柄工場の第二
水源地になっている。

 池の中には弁天堂が祭られ、池のそばには、紅白
のフヨウがたくさん咲いていた。

 北に上がって大雄山詣での古道に出る。街道らしい
雰囲気を残す道筋を上がり、バス道路に出て少しで
石造の細長い円柱が立っていた。大雄山ゆかりのも
のらしい。

 その先に大雄山最乗寺の仁王門があり、14時ころ
に着く。ここで今日のウオークは解散となる。


 すぐにきた大雄山行きバスで、やまさんなど数人が、
まだしばらく先の大雄山最乗寺に向かい、私など残り
のメンバーは下ってきたバスで大雄山駅に戻った。

 戻った皆さんは、近くにあるタオルの量り売りの店
に行くという。私は皆さんに別れ、別のバスで新松田
駅に出て、小田急線で新宿駅に向かった。

(天気 晴、参加 12人、距離 5㎞、地図(1/2.5万)
 関本、歩行地 神奈川県小田原市) 
コメント
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