いよいよ春が来たようだ。桜の咲く頃はまだ寒い。一枚脱いで表に出ようと思う時には、もう、桜は散っている。この微妙な温度変化を、鮮やかに見せてくれるのが桜だ。
季節の変わり目を告げる花鳥風月は、それぞれあると言えども、桜ほど、心を躍らせるものはない。あまりの晴れ晴れしさに、無常の憂いに誘われる人も少なくない。
冬の厳しさから、まだ離れきれないでいる時に、勝手に野山を明るく染め変えてしまう桜に、日本人は春を宣告され、心を解放されてきた。
観て美しいことは言うまでもないが、それ以上に、開放感に浸ることが嬉しいのではなかろうか。
堪えて堪えて堪え忍んで、一気に爆発させる、日本人の美意識そのもののような桜。
咲いたら、後は知らない。
赤穂浪士の討ち入り、ええじゃないか、真珠湾攻撃、見事散りましょ国のため、健さんの殴り込み、宇宙戦艦ヤマト波動砲発射・・・
溜めに溜めたエネルギーを放出すれば、その先は考えていない。一気に咲いて一気に散る。
潔い美しさではあるが、ここに至る道は長すぎる。この華々しさのために長々と堪え忍ぶ歳月こそが、日本人の心情だとすれば、日本人の人生は、あまりにも辛い。
ところが、「坂の上の雲」を求めて、歩いて歩いて歩き続ける人々は、登り切ってしまうと目的を失う。
桜が咲く時は、ほとんど、散る時だ。明治の坂を上り詰めたところに真珠湾があり、戦後復興の坂を上り詰めたところにバブルがあった。
宵の蛍、夏の蝉、川辺の蚊柱、本当の生涯は地の底水の底にある。日本人が桜に心躍らせ、言い難い哀愁をいだくのは、咲く桜、散る桜に、堪え忍ぶ思いを見るからだろうか。
バブル崩壊から20年。いま、ヤマトは波動砲にエネルギーを充填中だ。