魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

意識した

2015年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム

花粉症の季節だが、花粉症には罹らないことにしている。小学生の時から慢性気管支炎だそうで、実際は慢性鼻炎らしく、ずっと鼻をかんでいる。だから、いまさら花粉症など関係ない。

花粉症には罹らないが、黄砂は確実に影響しているようだ。しかも近頃の黄砂はたちが悪い。天気が良かったので一日窓を開けていたら、夜、目とノドが痛くて、焦った。
そういえば、昼間、電車で皆、悪い咳をしていた。
花粉は生き物だが、黄砂は今や化学物質だ。

紙様のおかげ
子供の時から毎日欠かさず鼻をかんでいるが、一体、何本ぐらいの木を使ったのだろう。
テッシュがあって、本当に助かっている。
かすかな記憶か、妄想か解らないぐらいの幼児期には、戦後の物資不足で、新聞紙で鼻をかんでいたような気がする。その頃は新聞紙さえ不足していたはずだ。

日本は紙の国で、欧州で遣欧使節が紙で鼻をかむのが珍しく、捨てた鼻紙を地元の人が競って拾っていたそうだ。
その日本も、戦後の一時期、紙にも困るような時代があった。それを体験した世代が、オイルショックで、かの有名なトイレットペーパー騒動を引き起こした。

物心ついた時には、日本も立ち直り、再生紙のチリ紙が出回るようになり、やがて、テッシュペーパーやトイレットペーパーが普及した。
不思議なことに、何時からテッシュペーパーを使い出したか、記憶が無い。何か、当たり前のように浸透していた。

物資不足を経験した世代にとっては、豊富に上質な紙があることが信じられないでいたのだろう。だから、「無くなる」事の方が、現実的だった。
若い世代が、いくら「無くなりませんから、大丈夫ですから」と言っても、信じなかった。
そういう世代ではないが、今、紙があることを、有り難いと、心から思う。

ところで、何十年も鼻をかんでいるうちに、身についていたことがある。
人と話しながら、どうしても鼻をかみたくなり、「失礼します」と鼻をかんで、ゴミ箱に投げたら、
「す、凄い!」と、驚かれた。
何時もしていることなので、無自覚だったが、凄技のシュートなのだそうだ。
そう言われたら急に意識し、自信がなくなって、次には、歩いて捨てにいった。


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