魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

いじめ校

2016年03月09日 | 日記・エッセイ・コラム

愛が無い」で書いた、中学生の自殺も、射手座の土星だ。
本当に、かわいそうで、腹が立ってしかたがない。

教育と言い、福祉と言い、アナログな大家族時代から、システム社会のデジタル発想になり、人間性が失われてきている。
中学校側は、法規違反者として一律に切り捨てることにしていた。
もう、学校などと名乗るな。システム殺人のアウシュビッツだ。
   
しかし、この背景には、世の中の厳罰主義ムードの影響がある。システム社会では人間性の目が失われ、違法を二者択一の「×」としか考えない。人間が曖昧なものであることが忘れられ、犯罪者は始めから欠陥品であり、ただ取り除けば良いと考える。

犯罪を遺伝のように考える人は、自分の中に眠っている犯罪の可能性を全く理解していないから、かえって何かの拍子に犯罪者になる。
犯罪は、社会規範とのちょっとしたズレで起こる。いわゆる、魔が差すことになる。自分にも犯罪者の資質があることを理解してこそ、魔をはね付けることができるのだが、
自分は、「〇」側だと信じ込んでいるから、ちょっとした他人のミスを、ハゲタカのように寄ってたかって攻撃する。

こんな、想像力の無い人ばかりの世の中だから、人づくりの現場でさえ、欠陥品除去しか考えない。点数を上げることを教育だと思っている。
無理もない、いじめのはびこる学校を通過しながら、そんな学校の教師になろうと思えたのは、自分自身が、いじめられる側に立ったことは無かったのだろう。
外れた奴、落ちこぼれには関わるな・・・だ