突撃人生はポックリ死んだように見える。水木しげるが亡くなった時、自分の目的に突き進む人は、身体のことなど気にしてない。それがポックリ死の理由だと書いた。
「突撃人生」
先日、ラグビーを楽しんでいる高齢者達の話題があった。最高齢90過ぎの人に、「身体は大丈夫ですか」と、また同じ、バカな質問をしたレポーターがいた。
問われた、超高齢ラガーマンは(正確な記憶ではないが)
「健康や体調を考えているより、もっと大切なことがある」のような、返事をしていた。
まさにこれだ。
健康や体調を気にして費やす時間より、やりたいこと、やらなければならないことを追い求めている人は、それでバッタリ倒れても、人生を有効に使ったと思えるだろう。
何かに夢中になった経験のある人なら、本当に、「寝る時間が惜しい」と思ったことがあるはずだ。
終始そういう生き方をしていると、病院や検査など、もってのほかだ。
自分の健康管理ができないのは無責任だ、と言う人がいるが、家族や組織に対して無責任だという意味だろう。
しかし、死ぬまで医療費を使わないのだとすれば、しかも、趣味や仕事に燃焼しているのだとすれば、これほど大きな社会貢献はない。
健康に気を使い、早期発見をし、治療して長生きをし、老後は福祉を受ける。確かに長寿社会の幸せなのかも知れないが、それは一体、何のための人生なのだろう。
動けるだけ動いて、燃え尽きて、ポックリ死ぬ。(そう見える)
もし、世の中の人の大半が、突撃人生であれば、医療費も老後福祉も嵩張らない。
ただのサラリーマンであっても、死ぬまで働くことに、生き甲斐を見いだす人は多いはずだ。自分の目的を求める人もいれば、組織で働くことで、自分が役に立っていると実感できる人もいる。遊びに熱中することも、消費社会の生産行為であり、ムダではない。
いずれにしても、個々がムダのない生き方をすれば、社会にムダが生まれない。
「一億総括役社会」。意味は解るが、個々に訴える説得力もインパクトもない。
やっぱり、四文字熟語にかぎる。例えば、「躍動社会」のように、何となく解る言葉の方が、具体的に説明しようとする「一億総括役」よりむしろ、幅広いインパクトが生まれる。
政策にしても、細かいことを間に合わせていると、際限がなく、誰も満足させられないだろう。