魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

中間児症(2)

2015年11月16日 | 兄弟関係

中間児症」(1)

中間児が、周囲を気にして、言いたいことも言わずにいる時、長子や末子は、周囲を全く気にせず、言いたい放題やりたい放題で過ごす。

長子は弟妹に邪魔されると押さえ込もうとし、それが無理なら別の道を探り始める。何をやっても、弟妹が同じ道を這い上がってくるから、面倒くさくなると道を譲って別の道、新天地を探す。二番煎じに負ける先発企業だ。
末子は好き放題やっていても、本当にだめなことは、親兄姉に止められるか、助けられるから、自制を知らない。

前と後ろから突かれる中間児は、うかつに動き出してはいけないことを学ぶ。だから長子と末子のような、脳天気な言動に腹が立つ。
自制を知らない末子が、自制せざるを得なくなったのが中間児であり、先ず自制することで物心ついた長子が、自制から逃れようとするのとは逆に、自分が堪えている自制を他人にも求める。

何事も、確実を見極めてから動き出す中間児は、逆に、失敗に慣れていない。もし自分のミスによって攻撃を受けるようなことになれば、反射的に反撃を始める。
それまで、ゆったり構えているように見えていた人が、突然、早口になり、形相まで変わる。そして、絶対に謝らない。

反撃が難しい場合は、第三者を抱き込み、味方を増やそうとするか、脳天気で無防備な長子や末子のせいにする。この場合、扱いやすいのは末子だが、どちらも敵になった場合は、バランスを考えて、分の良い方にすりよる。
さらに不都合になると、死んだ人の言葉や権威者など、誰も確認にいけない人の言葉で、相手の間違いを立証しようとする。この際、自分の正しさの証明より、相手の間違いを立証することが先行する。そして、さらに追い詰められると、徹底的に沈黙するか病気になる。

もっとも、中間児は用心深いから、滅多にこういうことにはならない。また、この用心深さに、長子末子は全く気がつかない。用心深さの一つの方法として身につけている、「良い感じ」に、簡単にたらし込まれてしまう。
末子には無理だが、長子はその気になれば見抜くこともできる。一つの特徴は、内緒話的な会話が多い。また、複数の人がいる場所では、無意識のうちに、ちらりと目で様子を窺う。発言の前後、一瞬間がある。また、何かを問いかけても、全く反応しない人もいる。何れも、様子を窺っているからだ。

中間児のこの習性をすぐ察知するのは中間児だ。だから、中間児同士はものすごい馬が合うか、疲れる相手になる。
友達でも同僚でも夫婦でも、中間児は末っ子をバカにしながら可愛く思い、長子を煙たがりながら一目置く。

長子同士は徹底的な喧嘩をしないが、中間児末っ子など弟妹は、トムとジェリーのように常に仲良く喧嘩する。

なお、実際には、あらゆる類型タイプのような人は存在しない。あくまでも典型的イメージで、実在の人物を理解する上で、このイメージを基準として、個々を類型のバリエーションとして見れば理解しやすくなる。