魯生のパクパク

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2015年05月22日 | 日記・エッセイ・コラム

WAZA(世界動物園水族館協会)が、「追い込み漁」でイルカを入手するなら、JAZA(日本動物園水族館協会)を除名すると、突然、言ってきて、他の動物園活動に支障を来すので、JAZAは慌てて受け入れた。
これを受け、WAZAは「評価する」と言いながら、さらに追加の意図を臭わせた。

欧米の価値観による、クジラ信仰の布教策にハマッたようだ。
彼らの信仰のゴリ押しには腹に据えかねるものがあるが、日本の対応策は、一貫して、賢くない。

狂信者と争えば、殺し合いになる。今のイスラム原理主義との戦争だけではない。歴史的に全ての戦争は宗教戦争だと言っても過言ではない。
なんでこんな殺し合いを始めたんだろうと、よくよく反省してみれば、結局は、自分が正しいとする、互いの思い込みが原因だ。自分の信仰を認めない者を抹殺しなければ、自分が正しくないことになり、生き残れない。そう思い込むことから始まる。

イルカやクジラで戦争は始めないだろうが、悪感情は生まれる。
狂信者にはどう説明しても、聞く耳を持たない。狂信者は酔っ払いと同じだから、「目に付いた」とたん襲ってくる。酔っ払いは、意外な力を発揮するから、制圧するには何倍もの力を必要とする。理を説いても押さえつけようとしても、被害を受けることになる。
日本は酔っ払いを相手に、正面から理を説こうとしたり、多数派工作で制圧しようとして、ますます相手を向き直らせてしまった。

日本としては、自らの伝統であり「理に外れたこと」はしていない。自分たちは正しい道を歩いていたのに、いきなり酔っ払いに襲いかかられたような迷惑を被った。
この道を行くためには、話を聞こうとしない酔っ払いを制圧するしかない。
そう思い込み、正面切って戦い始める。

しかし、正面切って対応したことは、ことごとく、禍根を残すことになってしまった。
正面切って対応するとは、無視することも、相手に迎合することも含まれる。
戦後補償問題や、為替問題、そして今回のクジラ、イルカに至るまで、遡れば国連脱退や日米戦争など、すべて、誤魔化さず、正面切って対応した結果だ。

自分のやり方を、取りあえず引っ込めることをせず、反論か迎合しかしない。
中国が老獪だという見方は多いが、どう見ても知恵があるとは思えない。しかし、形勢不利と見たら、口で煙幕を張りながら、いつの間にか撤退している。逆に、荒唐無稽な大風呂敷でも、脈があると見れば、トコトン突っ込んでくる。

日本は、中国の真逆だ。何の足しにもならない自分の「思い」で突っ張り、チャンスの時には武士の情けと、悦に入って、突っ込まない。島国の一人っ子、世間知らずのお人好しお坊ちゃまだ。

クジラやイルカにここまで拘る理由が、日本の自尊心以外に、何があるのだろう。
何度も言ってきたように、欧米の横暴と捕鯨の必要性は理解しているつもりだ。しかし、厳しい駆け引きの世界外交の中で、差し引き、何のプラスがあるのだろう。
結局、今回のWAZAのように、主導権を握られる格好のネタを提供している。

この日本の弱点を、一番解っていないのが日本自身だ。世界の国は日本の習性をよく解っていて、えげつない国ほど、露骨に日本を刺激してくる。抜け目ない国は、愛想よく利用する。
WAZAの背後には、動物愛護団体のえげつない意図が動いているとしか思えない。
このまま行けば、またしても禍根を残すことになるだろう。
ことは、クジラだけの問題ではないのだ。

士農工商の日本人には、「損して得取れ」と言う、商の原理が解らないらしい。
中国が、腹芸の出来ない日本のことを「ちっせぇ」と、馬鹿にするのは、商魂の国から見れば、当然なのかもしれない。


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