魯生のパクパク

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動脈硬化

2015年03月12日 | 日記・エッセイ・コラム

横断歩道で信号待ちしている時、必ずと言っていいほど思い出す小話がある。
高度成長期、自家用車が爆発的に増えた頃の漫談だが、誰だったか思い出せない。

近頃は車が多くて道を渡るのが難しいですね
ほんとに、どこを渡れば良いのか解りません
 「おーい、道の向こうの人・・・どこから渡ったんですかー?」
 「私は、こちら側で生まれたんでーす」

まだ横断歩道がなかった時代だ。(道交法は昭和35年)
その後、これと似たようなネタは何度か聞いたが、子供の頃の衝撃がいまだに残っている。
都会はそんなに車が走っているんだという驚きと、それが笑いになるくらいだから、実際にはそんなに麻痺はしていないんだという現実感の、両方を知った。

中国の交通事情が取りざたされているが、突然、車が大衆化する時はどこでも混乱が起きる。アメリカでも、50年代に若者が車で繰り出して、大渋滞になっている様子が問題になっていた。詳しくは知らないが、欧米での交通混乱そのものは、第一次大戦後に起こったようだ。

工業化と輸送機器の氾濫は同時進行する。そして結局は、公共交通の方が合理的で便利なことに気づく。この点、やはり欧州には主体性がある。アメリカのような野放図な生活方式から離れて、秩序に向かう。新型路面電車や貨物列車輸送を中心に据えた鉄道を活用する生活で、コンパクトな文化都市を支えている。
アメリカのように幌馬車で広げて、トラックに頼る広大な土地でさえ、近頃は鉄道に関心が向かっている。

他人の物をちゃっかり活用する中国は、始めから鉄道に関心を持ってきた。つまり、鉄道が最も使える交通機関であることを見抜いたのだ。

鉄道立国
しかし、実は、日本人ほど鉄道の好きな国民はいないだろう。この狭い日本にびっしりと鉄道を敷き詰めた。それが戦後、アメリカ式の工業化を取り入れたことで車が氾濫し、鉄道が追われてしまった。
最近ようやく、鉄道の合理性が再認識され、貨物も旅行も、再び黄金時代の訪れを予感させる動きがある。

今日が最後の運行に泣き崩れる鉄道マニアは、感傷が過ぎるとしても、
トワイライト・エクスプレスをなぜ廃止するのかよく解らない。九州の七つ星は現にヒットしているし、観光資源として、新幹線による日本完全縦断など、何とか別の形で再登場させられないものだろうか。

余談になったが、鉄道は観光のためだけではない。最も大きな価値は、物流だ。
トラック輸送に頼ってきた日本経済だが、エコの問題以上に深刻なのは、高齢化による運転手不足だ。国を維持する血流を、一刻も早くトラックから、鉄道にすげ直して、車を地域輸送に活用することで、輸送業者も楽になるし、きめ細かな配送ができる。ローカル鉄道も活性化する。

昔、鉄道で旅行する時には、飛行機と同じように、手荷物を別に運んだ。
子供の頃、初めて、一人で列車に乗る時、親から
手荷物のところに行って、「チッキでお願いします」って言うんだよと教えられた。

鉄道中心の物流体制を整え直せば、トラック運送業の仕事は減るかもしれないが、鉄道に関わる新しい雇用が生まれるはずだ。


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