魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

カプセル

2015年05月30日 | 京都&ケンミン文化

ケンミンショーの、京阪神の相関関係は面白かった。
大阪は神戸好きだが京都を嫌い。神戸と京都は互いに好きだが大阪を敬遠。
京阪神で、大阪を好きな県は無いが、奈良は大阪好き。ところが大阪は奈良をバカにしている。
大阪の人に言わせると、「京都も奈良をバカにしているはずや」
その理由が、「何にも無いやん」

大阪人が口々に、「何にも無い」と言う度に、奈良ファンとしては、突っ込み放しだった。
「ロマンや想像力は無いのか!」

以前、「まほろば」で書いたように、確かに、奈良は何も無い田舎だ。しかし、この何も無い田園風景がいいのだ。
一見、日本のどこにでもある、何の変哲も無い田園が、奈良と思うだけで、萬葉人が花を摘み、歌い、祈り、煙たなびき、日が沈む・・・あー、胸が一杯になる。

この、想像のリアリティーは、大和盆地でなければ、決して味わえない。
大和三山、二上山、大和川、佐保川・・・萬葉や記紀の舞台は、ここにしかない。

奈良をバカにしていた大阪人は、奈良のブランドランクが、大阪より上の事実を突きつけられて驚いていた。それどころか、奈良の人自身が驚いていた。

京都には、もはや、土のにおいが感じられない。しかし、究極の古都、奈良には、土のにおいがする。西洋化する前の日本の歴史が、田畑の下にそのまま息づいている。
しばらく、行かないでいると、無性に奈良に行きたくなり、電車に乗る。
どこで何を見ようというのではない。奈良の柔らかな光と風、大作りな時間と空間の中で、何時しか萬葉人になっている。

奈良こそが、ブランドを超越したタイムカプセル、日本の偉大な故郷だ
そして、それをそのまま残してくれた奈良の人々に、感謝

やまとはくにのまほろば たたなづくあおがき やまこもれる やまとしうるわし