魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

再び荒野(2)

2012年09月01日 | 星の流れに

アメリカの大統領選もいよいよ佳境に入ってきたが、オバマ大統領の陰りの中、共和党の副大統領候補や、支持層保守派の顔を見ていると、「アブナイ、アブナイ」と思ってしまう。狂信者独特の表情だ。

84年前の世界。政治経済の破綻、偏ったリーダーの出現、ナショナリズム・・・その繰り返しの様相が、じわじわと姿を現し始めている。

集団というものは、人間であっても全く動物と同じで、一度、パニック暴走が始まると、もうブレーキは掛からない。崖から落ちるまで走り続ける。
これだけ、世界中がガタガタになっていると、何か些細な出来事で世界中に火が付くだろう。

今は、1920年代末だが、まもなく30年代に入る。
昭和5年から、15年まで。日本も世界もとんでもない時代だった。
戦争は、始まってしまったら後の祭りだ。むしろ、その前の段階こそ重要であり、これからの10年が正念場だ。

それが解っていても、どうにも止められないのが歴史であり、個人の力がいかに弱いものであるかを思い知らされる光景だ。
個人は歴史の傍観者であり、同時に加担者でもある。

昭和7年。私利私欲、党利党略を繰り返す政治家に、「キレた」軍人が、5.15事件を起こし、犬養首相が暗殺された。そして、この時、腐敗政治にうんざりしていた世論は、むしろ軍人に賛同し味方した。

政治家の腐敗が、政治家自身によるものか、時の流れの中で必然的にそうなっていったものか、何とも言えない。
現在の政治状況を見ていると、政治家が悪いと言うより、日本国民は嘆きながらも漫然と、腐敗を見ていることしかできない。

しかも、次のステップもまた、国民の荷担によって起こるのだ。
日本国民は草の根から政治ムーブメントを創ることがない。誰かを選択することが政治参加だと思っている。さもなくば、不毛なデモだ。
このままで行けば、選択は維新の会のような方向に流れていく。
日本に独裁者は出ないが、それが触媒となって、軍部のような勢力が「起動」することはあり得る。

草の根運動が起こらない日本とは逆に、草の根運動が政治を動かすアメリカのような国は、草の根自体の狂信が国を動かすことになる。
禁酒法や赤狩りなど、短絡的な正義が何時もアメリカを動かした。

また、パニック行動の大集団を抱える中国は、政治とは「枠組みのコントロール」で、暴走を止められなくなった時が、政治の破綻、国家の崩壊になる。
成長期に正しい完成像を持たず、ただ膨張することだけを考えていると、枠に収まりきれず死んでしまう。中国は枠の限界を迎えている。

一方、独裁の歴史を持つヨーロッパは、日頃は理性的だが、潜在的にヒーローを待ち望んでいる。

歴史の時限爆弾の針は、まもなく「0」を指す。