今回の、中国の異常なまでの日本攻撃は、実際の所、胡錦濤が面子を潰されたからだと、中国側(唐家璇)が伝えている。
色々な思惑が絡んだ言葉だろうが、案外、本当のところかも知れない。
しかし、だとすれば、「やれやれ」としか言いようがない。
中国や北朝鮮の、序列第何位とか聞く度に、ラストエンペラーの冒頭、宮廷に居並ぶ宮臣に掛ける号令のシーンを思い出す。
清朝まで続いた古代帝国が、共産党に厳然と存在している。
竹島問題での日本の強硬姿勢を、韓国は天皇を侮辱したことが大きいと信じている。確かに日本の中にはそれを怒る人達も存在するが、日本人の怒りの中心は、どの島にしても「無法」であって、韓国が核心と思っている天皇の問題ではない。つまり、韓国のマインドにこそ帝国が存在している。
一方、誰でもそうだが、人は他人を罵る時、まさに自分の尺度で罵る。
韓国は、日本の残虐非道を語るために、慰安婦問題以前から、植民地時代の日本の官憲の性的拷問風景を執拗に展示していた。
今回は、中国が日本を泥棒だと新聞広告までしている。
蛇の道は蛇と言うが、蛇の目は蛇の目だ。まさに、語るに落ちている。
だが、だからと言って、日本の言い分が全面正しいとも思わない。
日本の、論理の正しさは、前提条件が定かではないし、国際法というルールそのものが国連と同様、かなりうさん臭い。
エンジン
まあ、そうした国家問題は別として、胡錦濤は何に腹を立てたのだろう。中国の面子とは、長子中国の立場のことだが、このことは何度か触れているし又の機会にするとして、胡錦濤と野田の立ち話の瞬間、何があったかピンポイントで考えたい。
自動車人間では、胡錦濤はエンジン、野田もエンジンのスポーツタイプ。エンジンにはハンドルもブレーキも付いていない。一端、走り出すと止まれない。だから、予想外の壁にぶつかると爆発する。崖があっても飛び降りる。
二人が会ったのは、始めから短時間と決まっていた「立ち話」。どちらも話し合う気はない、意思表明だけだ。胡錦濤が、「事態は重大」と言ったのは、エンジンが、フル回転で中国としての信念をぶつけてきたのであり、微塵の迷いもない「決行」だった。
一方、野田も、それ以前からの「領土問題は存在しない」という信念に基づき、都よりも国が購入することが最善と、相手も了承しているものと信じ込んでいた。だから、通訳を介した相手の言葉は、従来通りの単なる決まり文句程度にしか聞いていなかった。
元来は、臨機応変のエンジン同士は、ぶつかり合えば、現実の言葉に対して、どちらも、不満を残しても妥協はできる。しかし、相手の言葉を持って帰って噛み締めるタイプではない。
15分の言いっ放しの「立ち話」では、互いに、自分は「言った」のだから、相手は理解したはずだと信じ込んでしまう。
エンジンは物理的で現実的だ。抽象的な言葉をひねくり回すことは性に合わない。エンジンの菅総理が原発に飛び込んだことも、具体的な手応えを求めてだ。手応えのある直接行動だけを信じるエンジンにとって、この場合の「立ち話」は、自分が「話した」行為だけがすべてだ。
自分の「決行」が、通じたと信じ込んでいた胡錦濤にとって、ほぼ同時の反対行動(国有化)は、突撃中に突然現れた壁だ。死のうが生きようが、体当たりして爆発するしかない。
おそらく、実際に激怒したものと思われる。
胡錦濤が激怒したとしても、他の国なら、ここまでのことはなかっただろうが、そこはやはり中国だ。皇帝が怒れば戦争も始まる。
随が亡んだのは、小国高句麗に頭にきた煬帝が、意地の戦争を繰り返したからだった。