魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

大発見?

2012年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム

DVDで「黄色いリボン」を観た。
幼い頃、両親に連れられて観に行った映画で、映画館を出てからも、「馬車が落とした荷物は、どうなったん?」と問い続けるが、両親ともそんなシーンに記憶が無く、困ったと話していた。

問題の荷物は、敵中突破の渡河のシーンで、坂を登る幌馬車から落ちる荷物と分った。ストーリーを追う大人と、ストーリーが解らずシーンを見ている子供の着眼の違いだろう。

荷物を落とすシーンは簡単に分かった。注目して見ていたからだろうが、絵として、必死の状況を表すのに欠かせないシーンだ。しかし、映画館の大画面でストーリーに入り込んでみていると、全体状況に溶け込んで、おそらく一度目では気付かないだろう。
良い映画ほどそういうものだ。

フォードの西部劇は、スタートレックがモデルにした幌馬車隊などの原型にもなっているが、この人も末っ子だ。やはり映画監督にも末っ子は向いている。理屈より見せることが上手く、人使いの上手さが監督にも向くのだろう。様々なジャンルの映画で才能を発揮している。

ジョン・フォード監督は、巨匠中の巨匠だ
その巨匠の映画だが、観ていて『あれっ』と思った。

ジョン・ウェイン演ずる老大尉は退役の日まで後6日。カレンダーに印を付けて一日ごとに消している。
その月めくりのカレンダーには「1876」年と大きく書いてあり、残り2、3枚しか無い。

物語は、カスター第七騎兵隊の全滅直後の話だ。
リトルビッグホーンの戦いと呼ばれる事件は、1876年6月25日。
だから、この退役を控えた6日間はその後で、しかも既に寒くなっている。カレンダーに月の記載は無く、残り2、3枚だから、秋か冬だろう。

1876年で、そのカレンダーに該当する、「1日が水曜日で始まり31日まである月」は、3月だけだ。同様に「1日が水曜日で始まる」月は、11月もそうだが、しっかり31日まで書いてある。
???・・・一体どういうことだろう

問題のカレンダー

Photo

あの巨匠が、細部にまでリアリティーを追求する伝統の、アメリカ映画が、こんな初歩的なミスをするとは考えられない。
何かこちらの間違いだろうかと、あれこれ確かめるのだが、このカレンダーなら3月しかない。

何か特別な意図か事情があるのだろうかと思うが、凡人には解らない。
凡人の勘ぐりでは、10月のつもりで、11月の1日と見誤り、水曜日から始まる10月のカレンダーを作ってしまった・・・のではなかろうか?

この問題を指摘する記事は見当たらないところを見ると、
これだけの目に曝された映画であるにもかかわらず
もしかしたら、「大発見」・・・かも知れない!!! かも?

しかし、それでもなお、信じられない。これは巨匠ならではの繊細な気配りで、あえて、時の設定をぼかし、この話がフィクションであると告げているのではなかろうか。
例え、これが監督のミスであったとしても、それを伝説に変えるのが巨匠の力というものだ。

しかし、それでも信じられないので、英語の記載を探した。
「あった!あった!」DUKEWAYNE.COMというサイトで、『黄色いリボン』のトリビア*として、全くこのことが書いてあった。
(ある意味、安心した)

この記事では、カレンダーは、カスターの死の報が着く2週間後の「7月のはず」だと言っている。
(しかし、それにしては画面は寒そうだし、カスターの最終報告が司令部から来て、冬の大攻勢に備えよと言っている。やはり秋だろう)

* Anachronisms: The calendar page that Capt. Brittles uses to mark off the days until his retirement is for the wrong month. The calendar most unusually shows the year but not the month, but it does show that the month has 31 days and begins on a Wednesday. Therefore, the only month in 1876 that this page would have fit was March. But it cannot be March, because it refers to the Battle of the Little Big Horn as having recently occurred and that Battle did not take place until June 1876. Arguably, the calendar should show the month of July, because John Wayne's character indicates that it is the 5th of the month, and news of Custer's death at Little Big Horn on Sunday June 25 would have taken about two weeks to arrive by (anachronistic) pony express.


再び荒野(2)

2012年09月01日 | 星の流れに

アメリカの大統領選もいよいよ佳境に入ってきたが、オバマ大統領の陰りの中、共和党の副大統領候補や、支持層保守派の顔を見ていると、「アブナイ、アブナイ」と思ってしまう。狂信者独特の表情だ。

84年前の世界。政治経済の破綻、偏ったリーダーの出現、ナショナリズム・・・その繰り返しの様相が、じわじわと姿を現し始めている。

集団というものは、人間であっても全く動物と同じで、一度、パニック暴走が始まると、もうブレーキは掛からない。崖から落ちるまで走り続ける。
これだけ、世界中がガタガタになっていると、何か些細な出来事で世界中に火が付くだろう。

今は、1920年代末だが、まもなく30年代に入る。
昭和5年から、15年まで。日本も世界もとんでもない時代だった。
戦争は、始まってしまったら後の祭りだ。むしろ、その前の段階こそ重要であり、これからの10年が正念場だ。

それが解っていても、どうにも止められないのが歴史であり、個人の力がいかに弱いものであるかを思い知らされる光景だ。
個人は歴史の傍観者であり、同時に加担者でもある。

昭和7年。私利私欲、党利党略を繰り返す政治家に、「キレた」軍人が、5.15事件を起こし、犬養首相が暗殺された。そして、この時、腐敗政治にうんざりしていた世論は、むしろ軍人に賛同し味方した。

政治家の腐敗が、政治家自身によるものか、時の流れの中で必然的にそうなっていったものか、何とも言えない。
現在の政治状況を見ていると、政治家が悪いと言うより、日本国民は嘆きながらも漫然と、腐敗を見ていることしかできない。

しかも、次のステップもまた、国民の荷担によって起こるのだ。
日本国民は草の根から政治ムーブメントを創ることがない。誰かを選択することが政治参加だと思っている。さもなくば、不毛なデモだ。
このままで行けば、選択は維新の会のような方向に流れていく。
日本に独裁者は出ないが、それが触媒となって、軍部のような勢力が「起動」することはあり得る。

草の根運動が起こらない日本とは逆に、草の根運動が政治を動かすアメリカのような国は、草の根自体の狂信が国を動かすことになる。
禁酒法や赤狩りなど、短絡的な正義が何時もアメリカを動かした。

また、パニック行動の大集団を抱える中国は、政治とは「枠組みのコントロール」で、暴走を止められなくなった時が、政治の破綻、国家の崩壊になる。
成長期に正しい完成像を持たず、ただ膨張することだけを考えていると、枠に収まりきれず死んでしまう。中国は枠の限界を迎えている。

一方、独裁の歴史を持つヨーロッパは、日頃は理性的だが、潜在的にヒーローを待ち望んでいる。

歴史の時限爆弾の針は、まもなく「0」を指す。