魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

夜明け前(1)

2012年08月23日 | 日記・エッセイ・コラム

海王星・魚座の時代。領土問題でますますヤヤコシイことになっている。この問題は、それぞれの国民が考えるような単純な問題ではない。
戦後と冷戦のドサクサが絡んだ、国家の成り立ちの問題で、明治維新の、官軍の錦旗はどちらのものかのような、結局は、「勝てば官軍」、要領の良さと力任せの現実でしか解決しない。

日中韓露の中で、どうも、一番うまく立ち回っているのは、やはり中国のようだ。しかし、策士策に溺れるとも、上手の手から水が漏れるとも言う。中国自身が抱える国の成り立ちの矛盾も、大きな不発爆弾だ。

戦後67年。四捨五入すれば、70年、いや100年と言ってもいい。
冷戦に始まった戦後体制だが、冷戦はとっくに終わり、ソビエト連邦以外の各国も、もう一度、自国の定義をし直さなければならない。
にもかかわらず、冷戦体制のまま、国家を固めようとする矛盾だ。

その意味では、良し悪しは別にして、ロシアが一番早く新生の道を歩んでいる。日本を真似て成功した中韓が、日本と同様に、矛盾を抱えたまま自国を固めようとすれば、自動的に相互の矛盾が衝突する。

日本を巡る領土問題は、それぞれの国の成り立ちに関わる問題だ。
その領土が自国のものでないとすると、それぞれ、国の成立が無かったことになる。国の表面が立派になるほど、それを覆すような基礎構造には、今さら手を付けられない。

ロシアは、ソビエトとロシアの連続性の問題を内包しているが、ソビエトの行為が正統な戦争行為かを主張するだけで、もともと自分の土地だとは言っていない。
これに対し、中韓は、とにかく昔から自分の土地だと言う。

中国も、韓国もいまだに、自ら「分断国家」だと名乗っている。
(中国が台湾を、韓国が北朝鮮を自分の領土という限り)
そのような「国」にとっての領土とは、「自分が主張」すれば領土だ。

強引とは言え、ロシアは法的根拠の次元で語っているが、中韓には「理」が無い。「かけひき」だけで手に入れようとしている。

法治主義日本の法的よりどころであるサンフランシスコ条約は、冷戦の過程であって、世界が一致賛同したものでは無かった。それだけに、もし、尖閣や竹島が日本のものではないと言うのなら、戦後日本は無かったことになってしまう。根幹に関わる。

どの国にとっても、今までの国柄を改めない限り、引くに引けない問題だ。つまり、出口は永遠に無い。

こんな次元に引きずられる、無意味な対立や停滞を避けるために、提唱された「未来志向」は良い言葉だ。
良い言葉が力を持たないのは、目標となるビジョンが無いからだ。

国家前提の近代から抜けだし、国家を村に引き下げ、グローバル時代を具現化する「地球国家」の具体的な構想が見えなければ、誰も、目先の欲や信念から離れられない。
幕末、「日本」を、すぐに理解できる人は、現代人が想像するほどいなかっただろう。井の中のカエルに、大平原は見えない。