魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

古代差別

2012年08月13日 | 日記・エッセイ・コラム

今回のオリンピックで、日韓のサッカーが揃ってベストフォーに入ったことで、中国ではアジアのサッカーの地位を高めたようなことを書いていた。まるで、わが舎弟よ息子よ良くやった、と言わんばかりの論調だ。(中国が勝ってもアジアを代表してとは言わないのだが)

中国や韓国では、何かにつけて自国以外で良いことがあると、「アジアの」と、都合良く自分の仲間にし、自国の時は「我が国が」と言う。
韓国など、イチローが有名になると「アジアの鉄人」と言いながら、何かにつけてイチローにケチを付け、「生意気だ」とまで言って、いつの間にか自分が躾する「子」にして、虐待している。

これを、単純素朴な可愛げと言えばそれまでだが、中韓と日本の間の、かなり大きな意識格差が表れている。また、アジアの多くの国は中韓側の意識だろう。そして、もっと言えば、日本の中にも少なからずこのレベルの意識に止まっている人がいる。

意識も大転換の時だ
アジアは、大航海以来500年、欧米の白人に陵辱されてきた。だから、白人コンプレックスが染みこんでいる。これは、もともとタテ型社会のアジア人の意識構造に、すんなり収まったこともある。

しかし、白人はアジア人が受け止めたように、力で圧倒してアジア全体を押さえつけたのではない。単に文明力が上だっただけで、アフリカとは違い、南米にせよアジアにせよ、既存のピラミッドの尖端を叩いただけで、驚いたことに、社会全体が向こうから転がり込んできた。つまり、古いアジアの社会構造ゆえに、アジア自らが屈したのだ。

白人は、黄色人種が自らの価値観を投影して見るように、黄色人種を差別しているわけではない。モンゴルに支配されたPTSDを持ちながら、「単に、現在勝っている」としか見ていない。もちろん何人であろうと、ナチやKKKのように偏狭な狂信者はいる。(根底は恐怖心)
タテ型の本質的な差別意識は、むしろ、黄色人種側のものだ。

アメリカという実験社会は、そうした、白人優位の力関係の根拠を転換させている。過去、3~40年の間に、アメリカ人の意識は大きく変わりつつある。人種の優劣といった意識が、時代遅れになりつつある時に、アメリカ敵視と白人敵視を混同させてものを考える人々が、いまだに日本にもいるし、中韓は根本的にそう考えている。
もちろん逆に、迎合や憧れも、表裏一体の差別意識に他ならない。

中韓の海外留学熱は、「上から下に」流そうとする卑しい「学習」意欲であり、敵地に侵入し、上下の関係を逆転させようとする意欲でもある。
その表れが、アメリカでの融和ではなく、自国主張だ。

日本の若者が、海外留学したがらないことは、考えようによれば、卑しさが無いからでもあるが、アメリカ、ひいては世界との、融和の機会を失い、同時に、卑しい野心に駆逐される危険がある。

アメリカが日本の若者に、留学を求めているのは、アメリカにはびこるガン細胞の危険を感じているからだ。
過去に於いて、日本の移民と留学生が果たした健全性を、ガン細胞の繁殖を前にして、再認識しているのだろう。
日本の若者よ、大志を抱け、世界のウルトラマンになれ。