船が沈む時、まれに、生き残るネズミもいる。
こういうネズミは、日頃、船内で充分餌も得られないような落ちこぼれが多い。優秀であることは、その船の仕組みの中で優秀なのであって、沈む船と、同じ運命を辿る。
歴史の嵐が過ぎた後。その歴史を語り継ぐのは、多くは落ちこぼれだ。
時々、歴史の生き証人自身が、英雄の一人だったかのような話になることがあるが、あまり信じられない。
生死をかけて、歴史の最先端を生きた者は、生き残れない。
歴史は生き残った者のものになる。生き残った者が自分に都合良く語るからだ。
だから、伝説、伝承、神話は、常に裏を読む必要がある。
(長子と弟妹5-④)
裏を読むと言っても、否定することでもないし、全く逆と考えることでもない。
説話を構成する要素を一度バラして、じっくり眺めることだ。
そして、恨み辛みなどの感情的な要因を排除し、冷徹な目で、有りそうな筋道をいくつか構成してみる。
すると、大まかな真相が見えてくる
「科学で解き明かすことのできない実態」に迫る方法だ。
歴史の真実、未来の予想、証言の真相、ニュースの実相、民意の真意、本のテーマ、「他人の話」・・・
いかにもそれらしい、証拠もそろった話は、信用できない。
「絶対的な真実」を求めると、何も得られない。
物事は多様で複雑な要因で成り立っている。スッキリわかりやすい真実など無い。
納得のいく答えがある話は「真実ではない」と考えてもいい。
ズバリこうなる未来や、神仏が救ってくれる話や、昔こうだったという話・・・、考慮は必要だが、判断の根拠にはならない。
人間は、今、自分の見ているものさえ信用できないのだ。
本当の話は曖昧模糊としている。藪の中こそが真実だ。
必要な真実は、大まかなところで充分だ。
すべてを考慮したうえで、判断し、行動するのは、自分だ。
<おまけ>
姉さん夫婦のアパートに泊めてもらった妹が、夜目覚めると
隣の部屋から・・・
「あ~ぁ、そう、そう。あ、もっと・・・、気持ちい~ぃ、あ、あ、あ」
「こうか、こうか、気持ちいいか」
妹は、ドキドキしながら襖をそーっと開けて覗いた。
義兄さんが姉さんをマッサージしていた。
真実とはそんなものだ。
姉さん夫婦が仲が良いことにはかわりない。