魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

中国太郎

2009年06月05日 | 兄弟関係

国連安全保障理事会での北朝鮮の扱いで、他国は、中国の腹が読めなくて困っているようだが、中国も困っているのではなかろうか。

中国とのつきあいは、長子とのつきあい方と考えた方が良い。
今、最も良くわかる長子の例は麻生太郎だろう。ボンボンで育っているから純正培養の長子だ。

長子、麻生太郎も中国も
全部自分でやらなければならない、と思いこんでいる。
人づきあいは、相手尊重だが、根本は自分だから、共同作業も始めからあまり相手に期待していない。最後は自分でやるつもりだ。

友人や身内に対する義を果たそうとするが、結局は、泣いて馬謖を斬ることになる。そこに至らせたのは自分の責任だと思うからだ。

友人や身内びいきは、情よりも義理や責任意識から来ている。
原理原則を重視する長子は、成り行きや空気では動かない。
ただ、その原理原則の基準が、自分にあることがやっかいだ。

自分の考えで結論を出そうとするため、対応に時間が掛かることが多く、手遅れになり、結局、周りの意見、情勢に従わざるを得なくなる。
また、自分の独善だけで方針を出すから、周囲との関係しだいでは、竜頭蛇尾になる。

中ソ紛争や、中印紛争などのように、相手が一人だけの時は強気になるが、集団の中ではあいまいになる。
社交下手なうえ、天下や道理の客観性にこだわるから、多数の意見は考慮しなければならない、と思っているからだ。
しかし、自分の信念に反することは、状況に関係なく拒否する。孤立はまったく恐れない。

長子の中国と話すには
中国は、義理と信念において、北朝鮮を他人にゆだねるつもりはない。
中国が動くのは、実際に、北朝鮮が中国の害になる時のみだ。

長子は親のような意識だから、不肖の子や弟妹でもかばおうとするが、かばいきれなくなれば、自分の手で、と考える。
だからこの逆に、日本に倭寇の制御を頼んできたように、他人の家の子供はその責任者に依頼することも多い。(他家の尊重)

弟妹といえども、あるいは内輪だからよけいに、トラブルを起こしたくない。弟妹が反抗する時、長子は困ったり、かわいそうに思ったり、責任意識で押さえようとしたり、実は相当、腐心する。

中国の、チベット問題や朝鮮問題は、おそらく、中国にとって見れば、日本が朝鮮を併合してしまったような、若気の至りの大失敗なのだろう。

好きにさせておけば良かったのに、進学や就職に口を挟んで、自分が責任をとらなければならなくなってしまった。

だから、一生懸命サービスをするが、何をやっても恨まれる。それでも長子の過剰な責任意識から、手放せない。

こんな長子に、声を掛けるにはどう言えば良いのか。
そこがポイントではなかろうか。
「あんたとこのチーちゃんなあ・・・」と、抗議や説教をすれば意地になるに決まっている。

「いやいや、お兄さんの教育がよろしいのか、なかなか良くできた弟さんではありませんか、一つわたしの所で働いて貰いたいのですがいかがでしょう?」のようなアプローチの方が良さそうだ。

具体的には、チベットは互恵関係を前面に、観光と工業の企業進出。
北朝鮮は鉱業技術開発を土産に、金王朝の廃却を密約。
中国中心の国連管理で復興支援をし、難民流出を抑える。
民主人権問題はまず、経済環境が整えば自然に変わるだろう。
まずは、衣食足りて礼節を知る、からだ。

長子は、愛想良く正面から申し込まれると、案外、断れない。


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