魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

往生際

2009年06月04日 | 日記・エッセイ・コラム

産業革命250年パラダイムの、大転換が起こっているにもかかわらず、大方の人が、何とか現状を維持しようとガンバっている。

変化というものは、その時代の現場では見えない、解らない。
オバマ大統領の「チェンジ」は、実は、チェンジするではなく、チェンジの時がきてますよと言う、合図だ。

みんなが感じていることを、はっきり言葉にしたから、うけた。
オバマ大統領自身、どうチェンジしたらいいのか、実は解っていない。
しかし、(才能さえあればだが)それは良いことだ。

むしろ、計画や主義があると、時の変化に対応できない。
人知を越えた時代の流れに、歩くべきか船に乗るべきかを、決めてかかると、一時は成功したように見えても、結局は、流れに打ち込んだ杭になる。ナチスドイツやソ連の例もある。

出たとこ勝負で、現実を見極め、最良の策を講じて進む、勇気と知恵こそがリーダーの役目だ。
太古、太平洋に乗り出した人々の勇気と知恵も、虚しく滅んだことが多かっただろう。
それでも、環境変化に「座して死を待つ」わけにはいかなかった。

工業生産の産業革命パラダイムを前提にした、様々なシステムをかえなければならない時がきている。
大きなものも小さなものもあるが、教育や婚姻など、文化に密着した基本的な問題を作為的に変えるのは無理だとしても、国内の税制や福祉は、政治力でどうにでもなる。

道路や、米など、工業生産のために、何でもありでゴリゴリにやって来た政策は、「一億総懺悔」して、百年の計で再出発するしかない。

しかし、既得権で張り巡らした芝生の根のような社会は、黒船や敗戦のように、土砂崩れ的なショックがない限り、全体が枯れるまで、変えることはできないだろう。

自民党だろうが民主党だろうが、パラダイム鈍感症に大差ない。しかし、それすらも変えることもなく、とうとう、任期満了まで行くつもりだ。
ここまで来ても、まだ「何時だ、何時だ」と騒いでいる。
どうでもいいですよ~♪


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